第140話 こどもなんだから

 マーダーグリズリーによるエルフの里襲撃事件は、南門から追撃に出たアルが変異種を討ち取ったことで無事終結する。決して自らは姿を表さず、注意深く立ち回っていた変異種だったが、この場にアルというイレギュラーがいたことが運の尽きだった。

 モンスターに慈悲をかけるアルでは無いが、それでも操られている者を屠っていくのは気持ちの良いものでは無い。索敵範囲を徐々に広げて反応を捉えると、決して逃がさぬように全速力でその首を取りに行った。 


 アルは全て終わったことを示すために、変異種の首級を右手に下げ、巨大な体を左腕一本で軽々と担ぎ上げながら崩壊した南門へと戻ってくる。通常であれば、大きくとも三メートルほどで灰色の毛皮を持つマーダーグリズリーだが、変異種は赤黒い毛皮を持ち体長は五メートルを超える大きさを誇っていた。

 いかにアルの力が並外れているとはいえ、もちろん素の力ではなく身体強化魔法を使っているのだが、それでも里の者たちとってその光景は刺激が強すぎた。子供たちは怯えて大人たちの後ろに隠れ、その大人たちも言葉を失って口をあんぐりと開けて硬直する。


「アルさん、お疲れ様です。ですが……さすがにそれは皆さん驚かれますよ?」


「こうして見せた方がみんな安心するかと思ったんだが……」


 珍しくやや呆れ気味のセアラにアルは居心地が悪そうに返答し、南門から入ってすぐの開けた場所に戦果を置くと、ズシンという音と共に砂埃が舞い上がる。


「それにしても大きいですね……」


「ああ、持った感じ重さも一トンくらいはあるんじゃないか?ところで……こいつどうするかな……?」


「そうですねぇ……素材はいいお金になりそうですが、お肉は食べられるんでしょうか?」


「まあ変異種とはいえ熊だからいけるんじゃないか?ただ味は分からんが……セアラは熊は解体出来るのか?」


「ええ、ここまで大きいものはさすがに経験はありませんが、体の作りは基本的に同じでしょうから大丈夫ですよ。たまに熊のモンスターを持ってこられる方もおられますし」


「そうか、頼もしいな」


 首と胴体が泣き別れしていては、生きていられるはずがない。頭では分かっていても、無意識に体が近づくことを躊躇ってしまうほどに禍々しいその姿。里の者たちは、その恐怖が具現化したような存在を前にして、夫婦の談笑を楽しむ二人を遠巻きから眺めていた。


「あ、あの……アルさん、セアラさん。その……ありがとう、ございました!」


 そんな中で最初に二人に声をかけたのは、今しがた死に直面し、恐怖に対して鈍感になってしまっている少女。二人が振り返ると、アイリが深々と頭を下げたまま静止していた。


「うん、何とか間に合って良かったよ。アイリちゃんに何かあったら、エルヴィンに合わせる顔がないからね」


 父親の話が出たことで、アイリが顔を上げて食い気味にアルに尋ねる。


「お、お父さんは?無事なんですか?」


「無事だよ、向こうにも戦力を残しておく必要があったから、シルと一緒に西門を任せてきたんだ。でもコイツを討ち取れたからには、もうあっちにも現れることは無いだろうけどね」


「そうですか……よかったです」


 アルが背後の変異種を親指で指しながら説明すると、アイリはほっと胸を撫で下ろし、安堵の溜息と笑みをこぼす。


「……エルヴィン、心配していたよ?」


 アルの言葉に、アイリはハッした表情を浮かべると、こぶしを握り肩を震わせながら俯く。


「っ……はい……アルさんたちが出ていったあと、セアラさんに言われたんです。焦る必要は無いって。その時はちゃんと分かったつもりになって……でも南門にモンスターが出たって聞いて、私、今は戦力が無いからって思って、それで…………なのに何も……何も出来なかった……ただみんなの足を引っ張るだけで……」


「アイリちゃん……」


「怖かった……怖かったよぅ……もうダメだって、死んじゃうって思った……」


 アイリの足元にポタポタと涙の雫が落ちると、セアラがそっと抱き寄せ、あやす様に頭を撫でる。


「うん、怖かったよねぇ、よく頑張ったね。もう大丈夫だよ、良かったねぇ、無事で。もう安心だからね」


 優しいその声に包まれると、極度の緊張から解き放たれたアイリがセアラの胸の中で大きな声を上げて泣き始める。


「アイリー!」


「アイリ、大丈夫か!?」


 ややあって、エルヴィンとルイザが時を同じくして南門へと走ってくる。


「あ……お父さん、お母さん……」


 まだ遠い自分を呼ぶ悲痛な声に反応して顔を上げたアイリは、二人の姿を確認すると後ろめたさからか戸惑うような表情を見せるが、セアラにくるりと体の向きを変えられポンと背中を押される。


「さ、アイリちゃん、ごめんなさいして、ちゃんと甘えておいで?」


「……はい」


 改めて言葉にされると恥ずかしい気持ちが溢れてしまいそうになるが、アイリはそれを押しとどめてコクっと頷き素直な返事を返す。そして魔法の力を借りることなく、しっかりと地面を踏み締めて二人のもとへと走っていく。

 アイリは余計なものを置き去りにするように走り出すと、大好きな両親の胸を目掛けて飛び込みしっかりと抱きとめられる。そして再び一頻り声を上げて泣くと、もう二度と感じられることが出来ないと思った温もりに身を任せ目を閉じる。


「良かった、無事で……本当に良かった」


 娘の生きている証を感じようと、ついついエルヴィンの腕に力が入ると、アイリが思わず『痛い』と声を上げる。


「あっと……すまん」


「ううん、いいの……お父さん、お母さん、本当にごめんなさい……」


 今のアイリにはその痛みすらも愛おしい。知らぬ間に目を背けていた、自分を心から大切に思ってくれているその仕草の一つ一つが、たまらなく嬉しかった。

 そんなアイリの様子にルイザは目を細めると、その乱れたショートカットの金髪をそっと手櫛で整え、両手で少し汚れた頬を包んで語り掛ける。


「ねぇアイリ、お父さんみたいに里を守りたいって思う気持ちはね、すっごく素敵な事だと思う。だからこれからもずっと大切にして欲しいと思うわ。でもねぇ、セアラちゃんも言ってた通り、あなたはまだ子供なの。ううん、今だけじゃないわ。アイリがこれからどれだけ素敵な大人になっても、ずっと私たちにとっては大切な子供なの。あなたが生きていてくれる、それが何よりも嬉しいと思う人がここにいる。その事を絶対に忘れないでいてね」


「うん…………ありがとう……お父さん、お母さん……大好き」


 二人は知ってるよと言うように優しく微笑む。


「ああ、俺もだよ」


「ええ、私もよ」



「アイリおばちゃん、よかったねぇ」


「ひゃあっ!?」


 うんうんと頷きながらアイリたちの様子を静かに見守っていたセアラは、突然背後からシルに声をかけられその場から飛び退く。


「シル、いつの間に……どこから来たんだ?」


「えっとね、もう大丈夫って連絡があったんだけど、エルヴィン叔父さんが先に行っちゃって。道がよく分からないから石垣の上を走ってきたの」


「ははっ、そうか」


 アルがシルをひょいと持ち上げると、そのまま左腕一本で抱えセアラと共に頬を寄せる。


「んふふ〜?どうしたの〜急に?」


 シルはくすぐったそうに体をくねらせ、突然の両親の行動に小首を傾げる。


「ふふ、シルが可愛くてね〜」


「ああ、理由なんてそれでいいだろ?シルはうちの娘なんだから」


「そっかぁ、ありがと〜!パパ、ママ」


 この上なく単純明快シンプルで的を射た回答にシルはふにゃりと笑うと、お返しとばかりに二人の頬にキスをするのだった。

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