第139話 少女が抱く憧憬、そして決意
※時間は少し遡って
アルたちを見送り、セアラとアイリはリビングのソファに腰掛ける。
「ねぇ、アイリちゃんは、どうしてそんなに焦ってるの?」
分かりやすく肩を落とすアイリの手を取りながら、セアラは優しい声色で問いかける。
「お父さんは……私の憧れなんです。こうしてモンスターが里を襲った時には、いつも先頭切って戦って……私にとっては文字通りヒーローみたいで、いつもあの背中に憧れていました」
「……そうだったの……じゃあ……アルさんが気に入らないのは、私の夫だからじゃなくて、憧れのお父さんが褒めそやすから?」
アイリは気まずそうに『はい』と頷く。
「勝手にアルさんに対抗意識を燃やして……強くなってお父さんに褒められたいって……幸い私には戦いの才能があったようで、本来であれば十五歳からでないとダメなのに、守備隊の訓練に参加させてもらうことが出来ました。でもお父さんは……」
「あなたに厳しかったのね?」
「いえ?その逆で甘々でした。最初は褒められて嬉しかったんですが、最近は……」
話が随分と食い違っているなと思いながらも、セアラは黙って聞き続ける。
「だからある日言ったんです。他の守備隊のみんなと同じように扱って欲しいって、でもほとんど変わらなくって……それならお父さんに嫌われれば、遠慮無く厳しくしてくれるんじゃないかなって」
「それであんな態度だったのね……」
「シルが羨ましいな……二人に頼ってもらえて……」
その言葉を聞いてセアラはそういうことかと得心する。
「……あのね、アイリちゃん?私もアルさんも、本当はシルの力に頼りたくなんかないのよ?出来ることなら戦いなんて知らずに、普通の子供みたいに育ててあげたいなって思ってるの」
「……そうなんですか?」
「ええ、そうよ。シルにはね、本当に申し訳なく思ってるの。あの娘はまだ子供だし優しいから、別にいいよって、役に立てて嬉しいっていつも笑ってくれるけれど…………」
「セアラさん……」
「中にはね、聖女であるシルが私たちの娘になったのは、最初から決まっていた運命なんだって言う人もいたの。確かによく出来た話だし、私自身そうかもしれないなって思うこともあったよ?でもね、例えそうだとしてもね……私たちのシルへの思いが、親が子を思う気持ちが変わることなんてないの。私たちにとってシルは可愛い娘で、何をおいても守ってあげたい、そう思える存在なのよ。きっと叔父さんもアイリちゃんに対してそう思ってるよ。どれだけアイリちゃんに才能があったとしても、それは関係ないの。あなたはまだ子供で、お父さんもお母さんにとってかけがいのない存在なの」
「でも……私は……」
「ねぇ、アイリちゃん、早くお父さんみたいになりたいのは分かるよ。だけどね、子供のうちはちゃんと親に甘えるのも大事な仕事なのよ?」
「……そう、なんですか……?」
「そうだよ、自分の子供に甘えられて嬉しくない親なんて居ないの。私たちなんてシルに頼っちゃう分、ついつい甘やかしちゃうの。アルさんなんかはシルにすっごく甘いのよ?怒るのはぜ〜んぶ私に押し付けてね、さっきもシルが頼んでもいないのに肩車して遊んでたし」
セアラは日頃の損な役回りを思い出すと、わざとらしくかぶりを振って口を尖らせる。
「……ふふ、ちょっと意外かも……ありがとう、セアラさん」
「はい、どういたしまして」
「すっかり親になっちゃってから……」
リタは料理が冷めないよう収納空間に収めながら、リビングでの二人の会話を眺め、少し寂しそうに息を吐く。
「ふふふ、シルちゃんはアル君とセアラちゃんにとって、本当の娘なのねぇ」
「ええ……シルちゃんがあの子を親にしてくれて……私は、何も……」
「リタちゃん………あれぇ……?何かしら?」
「お母さん!これ!」
アイリが焦燥を帯びた叫びを家の中に残して外へと躍り出ると、敵襲を表す鐘の音が里に響き渡っている。
遅れてセアラたちが外に出てくると、ほかの家からも次々と人が飛び出していた。
「アイリちゃん、これは?」
「敵襲です、この鐘は南門です!くっ、こんな時にっ!!」
アイリは玄関に置いてあった弓矢をむんずと掴むと、風魔法を使い南門へと向かって猛スピードで駆け出していく。
「アイリちゃん!!っ、お母さん、私はアイリちゃんのとこに行くから」
「ええ、分かったわ。義姉さん、私たちは避難の手伝いを」
「セアラちゃん、アイリを……」
「はい!絶対死なせたりしませんから!」
エルフの里の南門ではアイリとセアラが見張り台の上から、マーダーグリズリーの群れに相対する。しかし守備隊の戦力は西門に集中してしまっているため、今この場で戦っているのは数名の見張りと正規の隊員でない者。
それでもセアラの魔法を中心に何とか門を守っていたのだが、徐々に森から染み出す灰色は数とその勢いを増していく。
どうやらこの南門が本命だったようで、その数は目視出来るだけでもすでに五十を超えており苦戦を強いられていた。
「アイリちゃん!落ち着いてよく狙って!相手は遠距離攻撃は無いから」
「は、はい!!」
初の実戦。その上Aランクモンスターの殺気を真正面から受けたアイリは、顔面を蒼白にして矢を番える。セアラの助言にコクコクと頷くものの、手の震えが止まることはなく、ことごとく狙いから矢が外れる。
この地に揺蕩う精霊たちよ
汝らに命ずるは長耳の始祖
我が言の葉に応え汝らの力を貸し与えよ
天より舞い降りる数多の流星よ
この地を穢す不浄なる魂を穿ちたまえ 『
土属性の最上級魔法をセアラが発動させると、マーダーグリズリーの頭上から流星のような数多の石礫が襲いかかる。回避不能と瞬時に判断した灰色熊たちは、最初に討ち取られた味方を肉の盾として装備する。その上で身を屈めて肉を締めれば、いかにハイエルフの魔法と言えど大したダメージは期待出来ない。
「……なんて厄介なの……これが変異種の力ってこと?」
徐々に門へと迫り来る驚異に、セアラの額から汗が滲み出る。
変異種とは文字通り突然変異によって生まれた個体で、魔力を有し、特定の魔法を使うことが出来る。変異種は魔力を有するものを好物とし、それを食すことでより強大な魔力を得る。それゆえにエルフの里が目に留まったということだった。
そしてセアラもまたアルが推察したのと同じように、このマーダーグリズリーの死をも恐れぬ統率の取れ方は、恐らくは精神操作の魔法であろうとあたりをつけていた。
「とにかく変異種を倒さないと……キリが……」
焦るセアラを横目にアイリが深呼吸を二度、三度と試みるが、上手く肺に十分な酸素を送り込めない。
(息苦しい……これが実戦、なの?膝が震える、指先の感覚が無い。自分の体が自分のモノじゃないみたい。もっと出来るって思ってたのに……)
「あっ、門が!!!」
ドガアァァァァァァァァァァァン!!!!!
「うわぁぁぁぁぁぁ、門がっ!!門が破られたぞ!!!」
土魔法で生成した岩石で押さえていたにもかかわらず、それごと門を吹き飛ばすマーダーグリズリーたち。
「ダメ、もうここの戦力で討伐は無理だわ!皆さんも早く避難場所へ、ここは私が食い止めます!!」
「え?セアラさん!?何を……危ないですよ!!」
「アイリちゃんも早く逃げて!!」
セアラは泣き出しそうなアイリを一喝すると、逃げ惑う門を守っていた人々とマーダーグリズリーの間に飛び降りながら詠唱を始める。
この地に揺蕩う精霊たちよ
汝らに命ずるは長耳の始祖
我が言の葉に応え汝らの力を貸し与えよ
我に仇なす刃を封じたまえ『
崩壊した南門と、そこからしみ出てきたマーダーグリズリーを囲んで障壁が展開されると、突如として現れた侵入を阻害するそれに、獣たちは激高して体当たりを喰らわせる。
「皆さん!今のうちに早く逃げてください!!……きっとアルさんが来てくれる、それまで耐えれば……」
その時、セアラは障壁の中に一人の少女が取り残されていることに気付く。
「アイリちゃん!!」
「セ、セアラさん……ごめんなさい……」
ここまで何とか勇気を振り絞って立っていたものの、初めて体験するリアルな死の予感に触れ、まだ幼い少女は既にその場から動けぬほどに消耗していた。
狡猾な変異種がそれを見逃すはずもなく、二手に分かれ一方は障壁に、もう一方は見張り台に向かって執拗にその身を叩きつけ始める。
「ひぃっ……た、助けて……お父さん……」
体当たりをする度に頑丈なはずの石垣は激しく揺れ、アイリが恐怖に身を強ばらせて涙を流し始める。
「しょ、障壁を……」
セアラが障壁を解除して助けようとするが、それを思いとどまる。障壁内は既にマーダーグリズリーによって埋め尽くされており、解除されるその時を今か今かと待ちわびている。今これを解除してしまえば、里全体に甚大な被害が出ることは火を見るより明らかだった。
「あ、あぁ……お父さん……ごめんなさい……ごめんなさい……」
只々泣きじゃくるアイリを見つめる他に術が無く、噛み締めたセアラの唇から一筋の血が流れ出す。
そして次の瞬間、遂に耐え切れなくなった城壁が、ガラガラと音を立てて崩れ始める。
「きゃあぁぁぁぁ!!」
「セアラぁっっ!!」
「アルさんっ!解きますっ!!」
幾度となく聞いたその声を確認すると、阿吽の呼吸でセアラは障壁を解除する。
勢いそのままにアルは落下するアイリ目掛けて疾走すると、襲いかかる爪の餌食となる寸前に抱きとめ、そのままティルヴィングを振るいながら、セアラの元へと最短距離で戻ってくる。
『
アイリを受け取ったセアラは、アルと自らの間に再び障壁を展開する。
「……えっ?今……私」
恐怖のあまり目を瞑っていたアイリが恐る恐る目を開けると、セアラのほっとした顔が飛び込んでくる。
「アイリちゃん!大丈夫?痛いところはない?」
「セアラさん……は、はい……何が……?」
「もう大丈夫だよ!アルさんが来てくれたから、すぐに終わるよ」
アイリがセアラの視線の先を追うと、鬼神の如く魔剣を振るい血の雨を降らせるアル。一振りごとに複数頭のマーダーグリズリーの首が宙を舞う。
「す、すご……い……」
「ふふっ、そうだよ。アルさんはすごいんだから。伊達に英雄って呼ばれているわけじゃないのよ、叔父さんが褒めるのも分かるでしょ?」
「はい…………」
アイリはぐっとこぶしを握って、アルの戦いを目に焼きつける。
彼女が惹かれたのは、その圧倒的な力などでは無い。この場の空気をいるだけで一変してしまう存在感だった。事実、アイリの体の震えは止まり、周囲の者たちも目を輝かせてその戦いの行方を見守っている。
そしてそれは、アイリが幼い頃に見たエルヴィンに抱いた憧憬を思い起こさせる。
『私もいつか、あんなふうになりたい』
もしもアイリがそう言ったのなら、隣に立つ英雄の妻は笑うことなく『きっと出来るよ』と力強く応援してくれたに違いない。だがその思いが音になってセアラの耳に届くことは無かった。それは決して甘えたくなかったからでは無い。
カタチのあるものでは無い、そんなことで消えたりしないと分かっていても、胸に抱いたこの決意を、アイリはどんな形であれ外に出したくなかった。
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