第138話 エルフの里に迫る危機

「あらあら〜、いらっしゃ〜い。リタちゃんも久しぶりねぇ、元気だったぁ?」


 エルヴィン宅に着くと、家の奥からとたとたと足音がし、エプロン姿のルイザが出迎えに出てくる。セアラと同じくらいの腰まである金髪に、エメラルドのような緑の瞳。顔立ちはアイリによく似ているものの、おっとりした雰囲気を纏っていた。

 ちなみにエルヴィンの自宅は二階建てのログハウス。頑強性を考えて石造りの家が多い中、妻のルイザの希望でログハウスになったとの事だった。


「義姉さん、ご無沙汰してます。見ての通り元気ですよ。あとセアラの前ですし、ちゃん付けは止めてくださいよ」


 一歩前に進み出たリタが、ルイザとごく自然に抱擁を交わす。それは二人の関係が良好なものであることを示していた。


「もぅ、リタちゃんはリタちゃんでしょう?それにしても良かったわぁ、里にいた時より活き活きしてるんじゃ……それに抱き心地が……ちょっとふっくらしたかしらぁ?」


「ふ、太ってませんよ!?……ふふっ、義姉さんは相変わらずですね。里にいる時には本当に心配をかけてしまって……今は楽しく暮らせてますよ」


「うんうん、やっぱり家族は一緒でないとねぇ。それでそちらが噂のセアラちゃんとアル君とシルちゃんねぇ?」


 自身の正面に立つリタから顔を覗かせるようにして、後ろにいるアルたちを笑顔で見るルイザ。アルたちが一人一人丁寧に自己紹介を終えると、中へと快く迎え入れられる。


 既にダイニングテーブルの上には多くの料理が並べられており、アイリが笑顔の花を満開にする。


「セアラさん、リタさん、シル、ノアいらっしゃい!」


「アイリ?アル君もいるでしょう?」


「あぅ……いらっしゃい……アルさん……」


 ニコニコとした表情は崩さずにルイザが威圧感たっぷりに指摘すると、アイリは肩を震わせて蚊の鳴くような声で歓迎の辞を述べる。


「ありがとう、アイリちゃん」


 いくら外見が大人っぽいと言えども、アイリはまだシルのひとつ上で十一歳。アルは気分を害すことなく、素直にそれを受け取って礼を返す。


「さてと、じゃあ座ってくれ。せっかくアイリも手伝って?作ってくれたんだ、冷めないうちにいただこう」


「ちゃんと手伝ったよ?」


「うふふ、そうねぇ。食器を出したり、テーブルを拭いてくれたりしたわよねぇ?」


「あ!!私もいつもしてるよ〜」


 ルイザの暴露にシルが嬉しそうに手を挙げて反応すると、アイリは肩身を狭くして、両手で赤くなった顔を覆い隠す。


「い、言わないでって言ったのに……」


 和やかな笑いに包まれた家族団欒ムードも束の間、扉を破りそうなほどに激しいノックと、切羽詰まった苦しげな声が家の中に響き渡る。


「隊長!エルヴィン隊長!!おられますか!?」


「どうしたんだ一体……?済まない、先に始めていてくれないか?」


 エルヴィンが一人玄関へと向かい来訪者を出迎えると、脇腹から血を流した一人の兵士が家の中へと倒れ込んでくる。致命傷とまでは行かないが、それなりの血を失っているようで顔色が悪い。


「どうした!?」


「す、すみません、モンスター、マーダーグリズリーです……現在西門にて守備隊が交戦中ですが……」


「マーダーグリズリーだと?確かに厄介なモンスターだが……お前たちなら退けることは十分可能だろう?」


「それが……どうやら変異種がいるらしく……単独ではなく相当数が……」


「チッ、群れか……」


 只事でない様子を察知し、アルたちがダイニングからぞろぞろと出てくると、兵士の負傷に気付いたシルが手早く治療を始める。


「大丈夫だよ、すぐ治るからね」


「あぁ、ありがとう……すごい、魔法だな……」


 失った血までも復活させるシルの治癒魔法によって、兵士の顔色に朱が帰ってくる。


「何か手伝った方が良さそうだな?」


「ああ、正直なところアルがいるときで助かった。エルフの戦闘方法とは相性が悪くてな、一頭ならまだしも、群れとなると我々だけでは死傷者が出るのは免れん。済まないが負傷者もいそうだ、シルも借りていいか?」


「うん、私も行くよ!ノアは待っててね」


「みゃあ」


 シルの左肩からノアが飛び降り、セアラの足元へと駆け寄る。


「ちょっと待ってよ!私も連れて行って!!」


「お前はダメだ。まだ実戦に出す訳にはいかない、ましてこの状況では子守りなどできん」


「アイリ、お父さんの言う通りよ?」


「だって、いつまで経っても連れて行ってくれないじゃない!守ってもらわなくたって、弓で援護するくらいなら出来るよ!!それにシルなんて私より年下じゃないのよ!?」


 時間的な余裕も無い状況で、これ以上アイリと議論している訳にもいかず、エルヴィンは嘆息して落とし所を提案する。


「……分かった、明日から見張りの任務に就くといい。だから今日は大人しくしているんだ。アル、シル、行こう」


「ああ」「うん!」


 アルはソルエールの時と同じように、シルをおぶって、エルヴィンととも西門へと駆け出す。



「くっそ!何なんだよこの数はよぉ!!」


「つべこべ言ってねぇで打ちまくれ!間違っても味方に当てんじゃねぇぞ」


「分かってる!」


 エルフの里の防衛は、周囲を高い石垣で囲い、東西南北に見張り台と門を設置するというシンプルなもの。

 そして今まさに西門の見張り台に配された弓兵たちが、忌々しげに愚痴をこぼしながら、二十頭以上からなるマーダーグリズリーの群れに向かって矢を射掛ける。


 マーダーグリズリーは、非常に好戦的なAランクのモンスターで、二、三メートル程の体長と、灰色の魔法耐性のある毛皮を持っている。攻撃面では鋭い牙と爪、並外れた膂力によって接近戦に無類の強さを発揮する。一方、防御面では毛皮、脂肪、筋肉の厚みの恩恵も然ることながら、その胴体は一枚肋いちまいあばらと呼ばれる特殊な骨格によって守られた鋼の肉体を持つ。

 生半可な魔法では効果が薄く、風魔法によって威力が上乗せされたエルフの矢でも、容易に弾かれ体に矢を突き立てることは至難の業。眼球などの急所を的確に狙うか、毒矢で筋肉の継ぎ目を狙うのがセオリーだった。


 現状の作戦は十人ほどの身体強化魔法に長けた者が、マーダーグリズリーを引き付け攻撃の際に動きが止まったところを、毒矢で狙い撃つというもの。本来であれば一頭に対して囮役二人以上が理想なのだが、今はおよそ二頭に対して一人という状況。絶えず迫り来る致命傷に至る一撃が、その精神を徐々に削り取っていく。


「弓兵共は何してやがんだ!?全然減ってねえぞ、ちくしょう!!」


 戦局を確認しようとした一人のエルフの男。その死角からマーダーグリズリーの右前脚が襲いかかる。


「くっ!しまった!!」


 大振りの平手打ちを躱しきれずに、男は宙を舞って石垣に激しく叩きつけられる。幸い爪の直撃は免れたものの、その衝撃は甚大。咄嗟にガードした腕はぐにゃりとひしゃげ、頭蓋骨は陥没し顔中から血が吹き出す。


「……あ……あぐ……」


 統率されたモンスターほど厄介なものは無い。それは魔族の侵攻で嫌という程、地上の者たちが知った事実。

 そして今、この場においてもそれが再現されていた。戦闘不能と見なしたものに追撃を加えるのではなく、知性を持った獣たちは一人を失ったことによる戦線の崩れを的確に見抜き、手薄になった部分に戦力を集中させる。


「う、う……あ……」


 三頭の血を求めて狂う獣に囲まれ、ひたすら逃げに徹して粘っていた男が、ついに疲労の限界によって足をもつれさせてしまう。男の脳裏に走馬灯がよぎると、その結果はもはや不可避と判断し、諦めて目を閉じる。


「グワァァァァァ」


 もたらされるはずの衝撃の代わりに聞こえてきたのは、マーダーグリズリーの叫び声。それは歓喜ではなく悲痛に満ち溢れていた。男が驚いて目を見開くと、自分を囲んでいた三頭の双眸に深々と矢が突き刺さっている。


「アル!頼む!」


「任せろ!!」


 出し惜しみ無しで、魔剣ティルヴィングを手にしたアルが、怯んだ三頭の首に漆黒の刃を走らせる。目にも止まらぬその剣速は、まるで空でも斬ったかのように滑らかで、微塵も抵抗を感じさせない。


「立てるな?すぐに下がれ!」


「は、はい!」


 そのまま容赦なく次々と首を落としていくアル。半数ほどを失ったマーダーグリズリーの群れは、速やかに森の中へと引いていく。


「アル!ひとまず戻ってくれ」


 エルヴィンがアルの元へと駆け寄ってくる。


「追わなくていいのか?」


「ああ、変異種の姿が見えない今、ここで深追いをして躱されたら不味い。一先ずここを立て直してからだ」


「ああ、そうだな……この付近にはいなさそうだ」


 戦闘モードで気を張っていたアルが『索敵』を終え、ふっとそれを緩めると、慌てた様子で守備隊の男が二人のもとへと走り寄る。


「隊長!!み、南門から連絡があり、あちらにもマーダーグリズリーが現れました!!至急応援をとのことです」


「何だと!?」


「そ、それと、アイリが……」


 言い淀む隊員の様子に、エルヴィンがその先を察する。


「……まさか」


「はい……迎撃に出ているそうです……」


「……そんな……どうして……」


 エルヴィンの手から弓が滑り降ちる。


「落ち着け、おそらくセアラも出ているから、いざとなれば障壁で閉じ込めることも出来る。とにかく俺がそっちに行って片付ける」


「いや、それなら俺がっ!!」


 取り乱すエルヴィンの頬を、アルがパシッと叩く。


「守備隊長の役割をきちんと果たせ!!この付近には変異種らしき反応は無かった。つまり間違いなく奴は遠隔から同種との視覚共有、精神操作が可能だ。そんな中で南門に戦力を集中させればどうなる?もう一度こっちを突破しにやってくるだけだぞ?ここにはシルを置いていく。もしヤツらが戻ってきても、それで対処は出来るはずだ」


「ぐっ……ああ……すまん……気概がどうのと偉そうなことを言っておいて……これではセアラに笑われてしまうな。アイリを……いや、里を頼む」


「任せておけ。シル!悪いがこっちは頼む!」


「うん!行ってらっしゃい、気を付けてね」


「ああ!行ってくる」


 アルは娘の頭を一撫ですると、全速力で南門への最短距離を駆け抜けて行った

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