第130話 ブレットの真意

 セアラとカミラが退出し、空になったアルの横にはブレットが座り、アフロディーテと向き合う。先程までの軽い雰囲気はすっかり鳴りを潜め、その所作の一つ一つには女神らしい優雅さが宿る。


「さて、お巫山戯ふざけはこれくらいにして……ファーガソン辺境伯。この現状からすると『女神降臨祭』とやらが行われることは、間違いないようだけれども、私はそんなお話頂いてないわよ?少なからずこの町を守ってきた私に対して、あんまりな仕打ちではないかしら?」


「……事後報告になってしまったこと、大変申し訳なく思っております」


 ブレットがソファから降り、まるで謁見の間におけるそれのように、礼を執る。


「ねぇ、あなたのお父様は、女性に断りなく予定を入れることを是とするお方だったのかしら?お母様は、貴方に女性の扱いというものを教えてくれなかったのかしら?」


「おい、止めろよ、なんか訳の分からないことを言い出したぞ?」


「黙っておれ、口を挟んで良いことになる訳が無かろう?」


 コソコソと話す父と子。アフロディーテはそれを一瞥すると、恐縮しきりのブレットに微笑みかける。


「大丈夫、私は怒っているわけじゃないんだから。ただね、教えて欲しいだけなの。そこの二人が言うにはあなたは非常に有能らしいから、納得のいく理由というものがあるのでしょう?」


 アフロディーテはアルの横を指さし、ブレットを再び着席させる。


「……は、はい、それでは順を追って説明させていただきます。まずソルエールの大戦が終わったあと、ご子息とセアラさんから、ここディオネで結婚式を行いたいという依頼を受けました。また、その際に各国首脳たちもその場にいたことから、ぜひ出席をしたいという要請がありました。残念ながらこれを突っ撥ねることは、『アルクス王国が二人を囲うのでは?』という疑念を抱かせてしまうため、その場で受諾をしております」


「ええ、それは聞いているわ」


「そうなりますと、各国首脳がわざわざアルクス王国の辺境伯の領地に来て、世間的にはただの平民である二人の結婚式に出席するという、有り得ない状況が生まれてしまいます。つまりこれが不自然でない理由が必要になってきます」


「そうねぇ、それで?」


「そこで私が考えた案が、祭りのメインイベントとして、女神様に選ばれた二人が祝福を受けて、結婚式を挙げるという事にしてはどうか、ということです。女神様からすれば、地上に住まう者の身分など関係ありませんから」


「……確かに私にとって身分は関係ないわ。でも私がアルとセアラちゃんを祝福する理由は?」


 ブレットもその質問は当然想定しており、澱みなく答えていく。


「今やディオネの教会で多くの夫婦が行うようになった宣誓は、二人から始まったものだと聞いております。であれば、再び教会に人が来る切っ掛けを作ったとして、女神様が祝福の対象として二人を選んだとしても、それで一応の説明はつくのではないかと……もっとも、多少名が広がってしまうことは避けられません」


「偽名を使ったり、魔法で姿を変えたりということは?」


「……確かに二人であれば、それは造作のないことでしょう。しかし私は二人には…………」


「……続けて?」


 何事か言いかけて口ごもるブレットに、アフロディーテが先を促すと、僅かな逡巡ののち、意を決してその胸の内を語り始める。


「……このようなこと、本来お二人を前にして言うべきではないことは、重々承知しております。ですが、私も妻もアル君とセアラさんを実の息子と娘のように思っております。そんな二人に対して、人生の門出を祝うべき結婚式で、名を偽り、姿を偽ってくれなど、どうして言えましょうか?」


「で、でもブレットさん、私なら……」


 出かかった言葉を制するように、ブレットは隣に座るアルの肩にポンと手を載せる。


「私はこれでもアル君とセアラさんの性格は、よく知っているつもりです。二人は私が頼めば、嫌な顔ひとつせず、偽名でも何でも受け入れてくれるのでしょう。ですが私が受け入れられないのです。主役の二人に無理を強いるくらいなら、例え身内であろうとも、陛下を始め、各国首脳の皆様には出席をご遠慮願うつもりです。しかし、私は出来うる限り、多くの方々に二人を祝福してもらいたい。その為には女神様のお力が必要なのです」


「ブレットさん……」


 ブレットが金色の瞳を真っ直ぐに見つめ返すと、アフロディーテは肩を竦めて背もたれに倒れ込む。


「…………ふぅ、分かったわよ。確かにあなたの言うことには、きちんと筋が通っているわ。二人のことを大切に思っていることもよく分かった」


「それでは……」


「ええ、あなたに返さなくてはならない恩もあるみたいだしね。結婚式では二人にド派手な祝福をしてあげるから、任せておきなさい」


「ありがとうございます」


「はぁ……じゃあシルちゃんとお祭りを楽しむのはお預けか……」


 一応の納得はしたものの、肩を落とすアフロディーテに、ブレットが訝しげな視線を送る。


「それは……なぜでしょうか?」


「だって私は主役なんだから、祭りの当日はかなり忙しそうでしょ?見て回る暇なんてないじゃない」


「ああ、そういうことでしたか!祭りは十日間の日程で行われますので、大丈夫ですよ。実際に女神様に顕現していただき、二人の結婚式をするのは最終日の予定となっております。さすがにその日は難しいかもしれませんが、他の日でしたら十分に回っていただけるかと」


「え!?それ、マジな話?」


 目を輝かせながら身を乗り出すアフロディーテに、ブレットは面を食らってソファの背もたれに沈み込む。


「え?ええ、世界中の国から来てもらうというのに、二、三日では到底足りませんから。十日間でも短いくらいですが、なにぶん準備期間が……」


「なぁんだ、じゃあ最初から問題ないじゃないの」


 気の抜けたアフロディーテの様相に、ブレットは困惑を隠せない。


「……女神様の懸念というのは、勝手にお名前を使わせていただいたことでは……?」


「う〜ん、まあそれも全く無いとは言わないけれど、シルちゃんとのデートを満喫出来ると分かった以上、どうでもいいわね」


「む?二人ではないからな?我も一緒に回るのだぞ?」


「あらあらぁ、魔王ともあろうアナタが孫に嫉妬かしら?」


「アディにシルを任せるのは不安というだけだ、他意は無い」


「あはは、照れちゃって、もぉ〜」


 賑やかな両親(と言うよりもアフロディーテ)を冷めた目で見ながら、アルはブレットに頭を下げる。


「ブレットさん、私たちの結婚式だというのに、何から何までありがとうございます。セアラには自分から伝えておきますので」


「アル君が気にすることは無いさ。私も協力するって言ったんだし、これくらいはね。また細かい打ち合わせは日を改めてでいいかい?」


「はい、あと……うちの母がすみません……突然押しかけて、無茶苦茶して……私もあんな感じだと知ったのは、つい先程で」


 アルが恥ずかしそうにこめかみを掻きながら、謝罪の言葉を口にする。


「いや、やっと根回しが終わって、女神様にお話を持っていくところだったからちょうど良かったよ。まあご両親とも仲が良さそうで何よりじゃないか……それにしても……アル君は魔王陛下似だね……うん」


「まあ……間違ってもアレでは無いですね……ちょっと母さん、仮にも女神様なんだからさ、当日はそんな恥ずかしい真似は止めてくれよ?」


「恥ずかしいって何よ?それに仮じゃないわよ!正真正銘、現役バリバリの女神様よ!?」


「現役バリバリって……それ死語だろ?」 


「え?嘘でしょ!?不味いわね、アナタとばっかりじゃなくて、もっとナウなヤングと会話をしないと……」


「ナウなヤングも死語だがな……」


「なん、ですって……?むむ、これは早急に対策が必要だわ……結婚式の日には、私も若者言葉を使えるって見せておかないと」


「頼むから止めてくれ……」


 ブレットは三人の掛け合いに苦笑しながら、セアラといる時とはまた少し違う、柔らかな英雄の横顔を盗み見る。


(にわかには信じがたくとも、こうして三人でいるのを見ていると、やはり家族だね……しかし……いや、それはさすがにわがままいうものだな……)


 微かに湧き上がる寂しさという感情を押し殺し、ブレットは感慨深げに頬を緩めるのだった。

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