第114話 セアラの誕生日とアルの浮気疑惑④ 姉妹

 とある町の宿、アルとセアラが再会する前日のこと。


「姫様……私が姫様と共にいられるのは、ここまでにございます。この先は二手に分かれて逃れましょう。どうかそのようなお顔はなさらないで下さい、それでは折角の美しいお顔が台無しにございます。明日には、ユウ様にお会いするかもしれないのですよ?」


「いやっ!エリーが一緒じゃなきゃ嫌だよ!一人なんて無理だよ!だって、だって私、一人じゃ何も出来ないよ……」


 セアラが泣きながら専属侍女のエリーに縋る。

 いわれのない罪によって王城を追放されたセアラ。彼女には、それを画策した者たちによって放たれた追っ手が迫っていたが、エリーの手引きによって何とか王都を脱出し、ユウ(アル)の元を目指していた。

 この日、追っ手の目を掻い潜った二人は、心身ともに疲れ果て、宿で休息を取っていた。


「姫様、後生ですから、どうか聞き分けてくださいませ。ここで貴女に死なれては、私の苦労が全て無為になってしまいます」


 泣きじゃくるセアラを諭すエリー。その口調は柔らかくも、決して揺るがない覚悟を感じさせる。

 それから、声を殺し、一頻りエリーの胸の中で泣いたセアラは、これが最後ならばと、勇気を持って一歩踏み出す。


「ねぇ、どうしてなの……?どうしてエリーは、そんなに私に優しくしてくれるの?私なんて妾腹だし、今はもう王女でもないのに……私、こんな風にしてもらっても、何も返してあげられない……エリーが私なんかのために、命をかける理由なんてないんだよ?」


 セアラは怖かった。『仕事ですから』とでも、一蹴されるのではないかと怯えていた。それは幼い頃からエリーを唯一の味方と思って、頼りきっていた彼女からすれば、あまりにも残酷な言葉。決して気軽に聞けるようなことではなかった。


「そうですね……多分に私情が入っている故に、お話することが憚られたのですが……本当に姫様のことを思うのならば、きちんとお話しておくべきだったかもしれませんね。大した話ではありませんが、聞いていただいてもよろしいですか?」


「ええ……お願い」


 セアラは涙を拭い、呼吸を落ち着けると、エリーに向き合って、その言葉を待つ。


「私が姫様の専属侍女となる少し前、私の故郷で、とある病が流行しました。その病は重症化すれば命の危険があるものの、治療法は既に確立されており、早期に治療出来れば、大して問題にもならないものです。ですが……私の生まれ育った村は貧しく、ろくな医者も薬師もいない村でしたから、その流行病は両親と、まだ幼かった妹の命までも奪っていきました」


「そう……だったの……」


「はい、十歳にして王都に出て、少しでも家族に楽な生活をさせてあげたい、いつか家族を王都へ呼び寄せてあげたいと思い、必死で働いてきた私は、それを聞いた時、絶望しました。目の前が真っ暗になり、何をすれば良いのか、この先、何の為に生きればいいのかが分からなくなりました」


「…………」


 大好きな母親から無理やり引き離され、もはや会うことが出来ないと悟った時の絶望。それよりも更に深い絶望を経験してきたエリーに、セアラはかける言葉が見つからず、下を向いて涙を静かにこぼす。そんなセアラをエリーは目を細めて見つめると、先を続ける。


「そんな時に私の前に現れたのが、姫様だったのです。姫様にお仕えする侍女としては許されざることですが、私は貴女に亡くした妹の面影を見ておりました。容姿自体が似ている訳ではありませんが、優しく、家族のことが大好きで……ニコニコしながら私の後ろを……いつもついてくるような……そんな娘でした」


 まるで妹の姿をまぶたの裏に映すように、閉じられていたエリーの両目。そこから一筋の涙が流れ、頬を伝う。


「エリー……」


「失礼致しました……姫様は王城に来られてすぐの頃、夜な夜な泣いておられましたね。いきなり五歳の幼子が母親から引き離されたのですから、それも仕方の無いことだと、可哀想だけれども、私は何も考えずに仕事だけすればいいと思っておりました。そんな中であっても、貴女は私が身の回りの世話をする度に、いつも笑顔でお礼を言ってくれた。それが……妹に重なって見えてしまったのです……そんな貴女が、徐々に感情を押し殺していく様を見ることが、私には耐えがたい苦痛でした。いつしか、私は、私だけは貴女の味方であろうと思うようになりました。私は姫様を、私が生きる理由として利用させて頂いたのです。申し訳ありません」


 エリーの表情、口調、雰囲気、全てが彼女の言葉が真実であることを物語る。今や漠然と抱いていた不安は消え去り、嬉しさと温かさがセアラの胸に込み上げてくる。


「謝らないで……エリー、ありがとう……そんな風に思ってくれてたなんて…………じゃ、じゃあ一緒に行こ?あの方ならきっと!」


 嬉々とした表情を見せるセアラの言葉に、エリーは微かな笑みを浮かべながら、ふるふるとかぶりを振る。


「貴女の感情を取り戻してくれたのは、間違いなくユウ様です。あの方に憧れ、恋をした貴女はとてもお綺麗でしたよ。寄り添うことしか出来なかった私では無く、貴女にはユウ様が必要なのです。このまま二人で逃げ続ければ、すぐに見つかり二人とも殺されるでしょう。ですが、私が姫様のお召し物を着て囮になれば、貴女がユウ様に会うことが出来る可能性が生まれます」


「だ、だってそんなことしたらエリーが……エリーが…………うっううぅぅ……そんなこと……言わないでよ……私にはエリーが必要だよぅ……」


 自身の胸に顔を埋め、止めどなく涙を溢れさせるセアラの頭を、エリーはかつて妹にしたように、優しく、慈しむように撫でる。


「姫様……私ならば大丈夫です。みすみす殺されたりなどしません。落ち着きましたら、きっと会いに参りますから」


 セアラにも、それが単なる気休めでしかないことなど、十分に分かっている。それでもこの申し出を無下にすることなど、出来るはずもなかった。

 最後の別れとなるであろうことを悟ったセアラは、エリーの腰に手を回し、ぎゅっと抱きつく。そしてエリーもこれが別れの儀式であることを理解して、そっと抱き返す。


「ねぇエリー……」


「はい、なんでしょうか、姫様」


「私のことをセアラと呼んで欲しいの」


「それは……」


「お願い、私はもう王女じゃない。エリーの妹になりたいの。どうか最後のわがままだと思って……」


「……分かりました……私はいつでも、セアラの無事と幸せを祈っているわ。だからユウ様に好きだっていう気持ちを、きちんと伝えるのよ?きっとあの方は、セアラの想いを受け止めてくれるから」


「うん、ありがとう。絶対に……絶対に会いに来てね、エリー姉様」




「はぁ……久しぶりだなぁ、この夢……」


 多少の気まずさがありながらも、アルと同じベッドで眠ったセアラは、天井を見上げて今しがた見ていた夢を思い出す。


(それにしても……今日の夢は、随分とはっきりとした夢だったなぁ……まるで、あの日の追体験みたい……これもハイエルフの力なのかしら?)


 セアラは自身の頭にぽんと手を乗せて、夢の感触を思い出す。エリーの手は、夢の中だと言うのに、優しさを感じさせ、温かかった。その感触によって、昼の一件と、夕食時の会話でざわついていた心が、少し楽になっていた。


「エリー姉様が心配してくれたのかな……?」


 思わず漏れ出た言葉に、セアラはふっと頬を緩ませ、横で眠るアルに視線を移す。穏やかな表情で、静かに寝息を立てている夫の姿。それを見ていると、聞きたいことも聞けずにいる自分が、どうにも馬鹿らしい気持ちになり、八つ当たり気味に、アルの頬をむにっとつまむ。


「……ふふ、ずるいなぁ、そんなに安心した顔しちゃって……」


 アルがこうして熟睡するのは、セアラの前でだけ。同じことを他の者がすれば、つまむ前に飛び起きる。

 それは偏に、アルがセアラのことを信じているからに他ならない。もちろんセアラに言わせれば、自分だってアルを信じている。それなのに、ちょっとしたことで浮き足立って、動揺してしまう自分が恥ずかしかった。


(そうだよね……ありがとう、エリー姉様。私は今、すごく恵まれてる、こんなの奇跡なんだよね。こんなにも好きな人のそばで、その人のことを想って生きていられるんだから……私の気持ちに気付いて欲しいなんて、アルさんの考えてること全部知りたいなんて、わがままだよ。私がしないといけないのは、もっともっとあなたが好きだって伝えることだけだよね)


 セアラはアルの頬に口づけると、その腕を抱いて、幸せそうに眠りにつくのだった。



※補足

エリーの年齢は専属侍女になった時が13歳で、セアラとは8歳差。王都に出てきて3年という、通常であれば、まだまだ見習いの時期。ただし、決して大抜擢などではなく、セアラが大切にされていなかったからという理由からでした。

それでもアルの居場所や、事前にセアラに冤罪がかけられるという情報を掴んだりと、非常に優秀なのは間違いありません。

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