第115話 セアラの誕生日とアルの浮気疑惑⑤ 溢れる奇跡が紡ぐ世界

 窓から差す陽光に誘われてアルが目を覚ますと、既に隣はもぬけの殻。大きな深呼吸を一つして、こんな状況も今日の夜までの我慢だと、気を強く持って階下へと降りていく。


「おはようございます!アルさん」


「……?あ、ああ、おはよう」


 意気込むアルの出鼻を挫くかのように、昨日までの態度とは打って変わって、元気いっぱいの挨拶をしてくるセアラ。これには、アルも困惑を含んだ挨拶を返すことしか出来なかった。

 アルはとりあえずいつものように、朝食の準備を手伝おうかと、キッチンに立ったものの、既に準備はほとんど終わっており、大人しく先客の座るダイニングテーブルに着席する。


「リタさん、セアラはどうかしたんですか?」


「ええ?アルくんの仕業じゃないの?てっきり耐えきれずに、お漏らししたのかと思ってたけど?」


「お漏らしって……何も言ってないですよ」


 二人はセアラに聞こえぬよう、小声で情報交換するものの、糸口を掴むことは出来なかった。


「ふわあぁぁ、おはよ〜」


 二人が頭を悩ませていると、シルが眠い目をこすりながら起きてくる。するとセアラは先程のように快活な声を出して、娘を迎える。


「おはよう!シル、もう朝ごはんできるから、顔洗っておいで」


「はぁ〜い」


 言われるがまま洗面所へと消えていくシルを、笑顔で見送るセアラ。それを見て、二人はますます首を傾げる。


「……一体どういう風の吹き回しかしら?」


「まさか……家を出ていくつもりなのでは!?それでこんな生活も今日までだと清々して、あんな態度を……」


 あまりにも悲壮な表情を浮かべるアルに、リタは肩を竦めて嘆息する。


「はぁ、どういう理屈でそうなるのよ……薄々感付いてはいたけれど、アル君もセアラのことになると、アレになるわよね……まあ考えられることといったら、結局自分の勘違いだって結論に至ったんじゃないかしら?」


「そ、それならいいんですが……」


 二人が密談に一つの結論を見出すと、セアラが目玉焼きと腸詰め肉をのせた、メインの皿を置いていく。


「はい、出来ましたよ!それにしても、二人ともこの間から変ですよ?」


 アルは喉元まで出かかった、セアラの方が変だという言葉を堪えると、強引に話を逸らす。


「そ、そんなことないだろ?ところで今日から仕事なんだろう?カペラへは転移魔法で行くつもりなのか?」


「ええっと、今日はアルさんも行かれるんですよね?私もどうしようかなと思っていたところなんです」


「ああ、時間があるなら、たまには歩くのもいいかもな。シルもここからカペラまでは歩いて行ったことないしな」


「それもそうですね、じゃあ今日は一緒に歩いて行きましょう」


「あ、それなら片付けは私がしておくわ」


「うん、じゃあお願いね」



 そして朝食と準備を終え、リタを残し三人が家を出る時間になる。見送りに出て来たリタにアルは目配せして頷くと、リタも分かってると言うように頷き返す。


「「「行ってきます!」」」


「はい、行ってらっしゃ〜い」



「ふわぁ〜、寒いよぉ〜!!」


 白い息を伴ったシルの声が、静かな森に響き渡る。

 森を白く染め上げていた雪も融け、日中の気温は少しづつ暖かくなってきたとはいえ、まだまだ朝のきぃんと澄み切った空気は、冬の様相を呈していた。


「シル、手袋する?持ってきてるよ」


「ううん、手を繋ぐから大丈夫だよ」


 鼻の頭を赤くしながら、シルがにっこりと微笑むと、娘を真ん中に配した三人家族は手を繋いで歩いていく。


「こうして歩くのは久しぶりだな」


「はい、年末以来になりますから、二ヶ月ほどなんですけどね。なんだか随分と遠い過去の話に思えてしまいます」


 アルとセアラが感慨深げに言葉を交わすと、シルがその感情を示すかのように飛び跳ねる。


「私、こうやって手を繋ぐの好きだなぁ。パパとママの手って不思議なんだよ?パパの手はごつごつ、ママの手はすべすべで全然感触が違うのに、繋いでるとおんなじように心がポカポカするんだよ」


「ふふ、きっとアルさんも私もシルのことが、大好きだからじゃないかしら?」


「ああ、そうだな。シルの手も、こうして繋いでると心が温かくなるよ」


「そっかぁ、私も二人のこと大好きだもんね。じゃあみんな仲良しってことだね」


 シルの言葉に、アルとセアラは顔を見合せると、穏やかに微笑み合う。


 そのまま十分ほど歩くと、シルが眠そうに目をこすり始めたので、アルが左腕一本で抱きかかえ、右手をセアラの左指に絡めて先を進む。


「俺はこうして歩くのも好きだけどな」


「はい……私も好きですよ」


 アルが照れながらも、率直な気持ちを言葉にすると、セアラも頬を赤らめてそれに応える。


「私もパパの抱っこ好き〜」


 シルが気持ちよさそうに、アルの胸に額をぐりぐりする。


「こんな風に、シルと手を繋いだりするのはいつまでなんだろうな?いつか恥ずかしいとか言う日が来るんだろうか」


 アルが感傷じみたことを言うと、セアラがくすくすと口元を押さえて笑う。


「そうですねぇ、手を繋ぐのはともかく、抱っこはもう少しで卒業ですかね」


「え〜?私はおっきくなってもパパに抱っこしてもらうもん」


「はは、それは嬉しいけど、今よりもシルの背が伸びたら、こんな風には出来ないからなぁ」


「そうよ?いつまでも小さいままじゃ困るでしょ?」


「むぅ〜……じゃあ大きくなったら、ママみたいにお姫様抱っこしてもらうもんね」


「それはダメよ、シルが好きな人が出来たら、してもらったらいいわ。アルさんにしてもらうのは私だけだからね」


「えぇ〜!ママずるいよ〜」


 アルの腕の中でむくれるシルと、それを見て笑う二人。


「なぁ、セアラ」


「はい、なんでしょうか?」


「いつもありがとう」


 アルの口から告げられたのは、昨日の行動に対する弁解でもなければ、謝罪でもない言葉。それが何故だか、セアラには堪らなく嬉しかった。


「……はい、こちらこそありがとうございます……」


 そのまま歩き続けてカペラの町に入る頃、アルの腕の中でシルが静かに寝息を立て始める。


「ふふ、やっぱりまだ眠かったみたいですね…………ねぇ、アルさん」


「ん、どうしたんだ?」


「昨日、小さい頃からずっとお世話になってた、とっても大切な人が夢に出てきたんです」


「……うん」


「夢の中ですけど、その人の顔を見ることが出来て思い出したんです。アルさんのそばにいられるようになる前のことを。そうしたら、こんなにもたくさんの人の中から、大切な人を見つけて、好きになって、好きになってもらって。それって当たり前の話なんかじゃなくて、すごく贅沢で、奇跡なんだって思ったんです」


「……そうだと思うよ。俺なんて二度も違う世界を渡ってセアラと出会ったんだ。それを言い表す言葉を探すのなら、奇跡以外はありえないだろうな」


「はい、本当に……だから……この世界は、きっと想像もつかないほどの、色んな奇跡が溢れているんです。その中にはアルさんと私なんて目じゃないほどの奇跡だってあるかもしれません」


「ああ、きっとあると思う」


「そんなたくさんの奇跡が紡いできたから、この世界があるんだって、そう思うと、すごく愛おしいものに見えてくるんです。だから、私はずっとずっと、アルさんと一緒にこの世界を見ていたいです」


「俺はこれからもずっとセアラのそばにいるよ。だからセアラにもずっとそばにいて欲しい」


「はい、もちろんです……だからアルさん!!」


「え?は、はい……なんで、しょうか……」


 それまでの甘さを感じさせる雰囲気から打って変わって、揺るぎない強い決意を宿したセアラの瞳に、アルは思わずたじろぐ。


「私、アルさんのそばに居られれば、もう一人奥さんがいても気にしませんから!!私、分かったんです、それだってこの世界を紡ぐ奇跡に違いないんだって!」


 一分の迷いもその瑠璃色の瞳に灯さずに、セアラが力強く宣言するが、アルは拍子抜けしてしまう。


「……は?……え?」


「ほら、シル起きて、もう着いたよ」


 言われた意味が分からずにアルが呆然としていると、セアラがその腕の中からシルを抱き上げる。


「……ふえ?もう着いたの……?ふわぁぁ、パパ〜 、また後でね〜」


「あ、また後で……」


 シルの言葉も完全に右から左。上手く思考がまとめることが出来ずに、オウム返しをするだけになってしまうアル。


「ええっと、今日はアルさんは終わるの早いんでしたよね?先に帰ってて下さいね」


「あ、分かっ、た……」


 にこやかに解体場に入っていく妻と娘を見送ると、アルはその場に立ち尽くす。


「…………えぇ?」


 今朝方の自身の想像とは、完全に別方向なセアラの決断に、アルは暫く動くことが出来なかった。

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