第109話 お酒は程々に

 しばらく続いた耳をつんざく程の歓声が止むと、ギデオンがエールの入った特大ジョッキを持って、木箱に登り乾杯の音頭をとる。


「そんじゃあ気を取り直して……飲み物持ったかー!?」


「「「うぃーっす!」」」「「「はーい!」」」


「よぉーし、ほんじゃあアルたちの帰還を祝って、カンパーイ!!」


「「「カンパーイ!!!」」」


 高々とジョッキを掲げた後、喉を鳴らし、一気にエールを流し込む参加者たち。


「くあぁぁぁ!昼間っからの酒は効くなぁ!」


「ああ、全くだ!たまにはこういうのもいいもんだな!」


「だな!今日は可愛いお姉ちゃんもいることだし、言うことねえなぁ!」


 一斉に騒がしくなり始めると、アルたちの元へ次々と人がなだれ込んでくる。


「セアラ〜!!」「セアラさ〜ん!」


 普段はギルドに出入りなどしないセアラの友人、服屋の雇われ店長メリッサとオールディス商会のレイチェルが、泣きながらセアラの肩を掴んで力いっぱい揺らす。


「あ、ちょ、ちょっと待って……ちょっと!もう!待ってって言ってるでしょ?揺らしすぎ!」


「わ、わ、ごめん」「ご、ごめんなさい!」


 セアラが手に持つジョッキから、エールが盛大にこぼれて三人がびしょ濡れになると、ようやくメリッサとレイチェルは正気に戻る。


「もぅ……『浄化クリーン』。はい、ただいま。メリッサ、レイチェルさん」


 テーブルにジョッキを置くと、セアラがニッコリと微笑んで大きく腕を広げる。改めて二人がその豊かな胸に飛び込み、ポロポロと涙をこぼすと、セアラはまるで母親のように、その頭を優しく撫でる。


「うぅ……おかえり、会いたかったよ〜」


「おかえりなさい、心配しました……」


「うん……またよろしくね。あ〜なんだか二人の顔を見たら、本当に帰ってきたんだなぁってホッとしちゃった。今日はせっかくだから、たくさん飲ませてもらおうかな」


「そうね、たまには女同士で飲みましょ!」


「はい、私も今日は飲みますよ!」


 セアラたちがジョッキに残っていたエールを一気にあおると、すかさずモーガンから特大のジョッキを渡される。解体場の男たちも、それに続いてやって来ていた。


「おっと、女だけなんて寂しいこと言ってないで、俺らとも飲んでくれよ!セアラちゃん、今日はとことん付き合ってもらうぜ!」


「はい、喜んで!」


「……ほどほどにしてくれよ」


 屈強な男連中に全く引けを取らず、ハイペースでジョッキを空けていくセアラ。それとは対照的に、アルは精々口内を湿らせる程度。


「ご無沙汰しております、アルさん」


 幸せそうにご馳走を頬張るシルの横、呆れ顔でセアラたちを眺めるアルに、冒険者らしからぬ一人の男性が声をかける。レイチェルの夫で、同じくオールディス商会のトムであった。


「ああ、久しぶり。今日はオールディスさんは来られていないみたいだな」


「ええ、参加出来ずに残念がっておりましたが、なかなか忙しい方ですからね。よろしく言っておいてくれと言付かっております」


「そうか、また顔を出させてもらうよ」


 あまり酒を飲まない者同士で談笑していると、ギデオンがアルの横に来て肩を組む。ただでさえ大きな声が、酒のせいでより大きくなっていた。


「おぉい!!なにちびちびやってんだ!アルは相変わらず酒は飲まねえのか!?お前は今日の主賓だぞ?」


「なんだ、もう酔ってるのか?少しは飲んでるよ、だけど俺はそこまで強くないからな」


「全く……あんだけ超人じみた強さのくせして、不思議なもんだな。ところでそっちの別嬪さんを紹介してくれよ。なんとなくセアラに似ているような気もするが、姉妹なのか?」


 ギデオンのみならず、他の参加者たちも、ソワソワしながらリタを見ていた。彼女のセアラに引けを取らない可憐な容姿は、例え男性でなくとも目を引く。また、エルフの特徴である長耳も隠しているので、見た目には若く綺麗な女性にしか見えない。

 本人は知らないものの、ファンクラブがあるだけあって、セアラはこの町のアイドル的な存在。ただしアルがいる以上、絶対に手を出してはいけないと知るこの町の者からすれば、彼女によく似たリタが気になるのは当然のことであった。


「初めまして、セアラの母のリタです。娘がいつもお世話になっております」


 よそ行きの顔と口調でリタが優雅に挨拶をすると、周囲の時が一瞬止まり、そこかしこでジョッキが床に落ちる音がする。


「は、母親……?冗談……だよな?」


「いや、本当だ。変な気を起こすなよ?」


「あら、アル君、心配してくれるの?でも私もそろそろ恋愛を解禁してもいいかな〜って、思わないでもないんだけど?」


「え……?」「お、お母さん!?」


 いきなり爆弾発言をかますリタに、アルとセアラが硬直し、周りの者は混乱しつつも、その目を期待に輝かせる。


「な〜んて冗談よ、でも恋って落ちるものでしょ?そうなった時は……ね?」


「……うぅ、何この気持ち……どう処理すればいいの……?」


 セアラは両手で真っ赤になった顔を覆いながら懊悩し、その恥ずかしさを誤魔化すようにジョッキを空にする。


「……セアラ、気持ちは分からないでもないが……リタさんも大人なんだし。俺たちがとやかく言うことじゃないって……」


 アルはひたすら飲み続けるセアラを諭しながら、落ち着かせようと試みる。


「ねぇ……二人ともなんでそんなに深刻な感じなの?そんなにおかしなことかしら?」


 呑気に首を傾げながら、一息でエールを飲み干すリタ。さすがにセアラの母親だけあって、こちらもかなりのハイペースで飲み続けている。


「だって……親の恋愛話なんて聞きたくないでしょ……」


「あのね?自慢じゃないけど、私は今まで恋らしい恋なんてしてないのよ?もう少し、おおらかな気持ちで見守ってもいいと思わない?」


「いやよ、絶対いや!せめて私に分からないようにやってよ!こんな風に堂々と言われたら、恥ずかしいじゃないの!」


「はぁ?セアラこそ、いっつもいっつもアル君とイチャイチャしてから!私の方が親として恥ずかしいわよ!そばで見せつけられる私の身にもなってちょうだい!」


「あの……二人ともそれくらいで……」


 二人とも言葉を交わす度にジョッキを空けるので、酒量がどんどん増え、それに比例して議論がヒートアップする。


「……それなら言わせてもらうけどね、『何が恋って落ちるもの』よ!?よくも百歳を超えてそんなことを言ったものね!?母親の口からそんな言葉を聞く娘の身にもなってよ!?恥ずかしくて死にそうなんだけど!?」


「あ〜!言ったわね!とうとう言ったわね!?なによ!百歳超えてようが、恋くらいしたっていいじゃないの!だいたいエルフの寿命からすれば、まだまだ私は若いほうよ!」


「あっ!ちょっ、二人とも!それは……」


 アルがしまったと思っても、時すでに遅し。会場中にセアラとリタの声が響き渡っていた。


「ひゃ、百歳超えてるって……?それに……エルフだって……?」


「ええっと……」


 とても誤魔化せる状況ではなかったので、リタがエルフ、セアラがハイエルフであること。この際なので、アルが魔王の息子で魔族と神族の混血であること、シルがケット・シーであることも伝える。

 セアラはアルに申し訳なさそうにしていたが、もとよりアルが目指す世界は種族の差別がない世界。そして目指す以上は、自分がそれを隠している訳にはいかない。


「大丈夫、気にしなくていい。いつ言おうか迷ってたくらいだから、ちょうど良かったよ」


 もちろん、こんなにも早くなるとは思わなかったが、それは言わないでおく。


「アルさん……ありがとうございます」


「しかしそういう訳か……なんで獣人のはずのシルちゃんが、あんなに魔法が上手いのか疑問だったんだよ。まあそういう獣人もいるのか?くらいにしか思っていなかったけどな」


 得心が行ったというように、モーガンが豪快に笑いながら大きく頷くと、ギデオンもまるで気にすることなく笑い飛ばす。


「はは!確かにアルも人間とは思えねえほどの強さだからな。驚くよりも納得するって感じがつええわ。それにしたって魔王の息子にエルフか……お前んとこの家族はびっくり箱だな、おい!」


「俺も最近まで知らなかったんだけどな。ギルドは種族は関係ないんだろ?」


「ああ、犯罪者でもなきゃ、誰であろうと構わねえよ。ところでシルちゃん、良かったらギルドで診療所をしてくれねえか?前みたいに臨時じゃなくてよ。シルちゃんがいれば、死亡率は大幅に下がると思うんだ」


「ん?うん、別にいいよ〜」


 黙々と食べ進めていたシルが顔を上げ、ギデオンの要請を気安く請け負うと、モーガンから待ったがかかる。


「おいおい、シルちゃんはうちの大事な戦力だぞ?引き抜きは感心しねえな」


「ああん?シルちゃんがいいって言ってんだから、良いだろうが!」


 厳つい熊獣人を先頭にした冒険者たちと、スキンヘッドの男を先頭にした解体場の従業員たちがシルの頭上で睨み合う。しかし本人は我関せずで、嬉しげにデザートのプリンへと手を伸ばす。


「あらあら、シルったらモテモテね〜」


「いや、さすがにあれは無い……」


 ほろ酔い気分のセアラが呑気にコロコロ笑うと、アルは本気で嫌そうな顔をする。


「「シルちゃんはどっちで働きたいんだ?」」


「ん〜……両方。ケガした人は、解体場に来てくれたら治すよ。みんなが死んじゃったりしたら嫌だから」


「くっ……まあシルちゃんがそう言うなら仕方ねえか……」


「シルちゃんいいのか?診療所をしてくれりゃあ、解体場で働かなくても十分な給料になるぞ?」


「いいよ。私、解体場で働くのも好きだし、働いてるみんなも好きだから。もちろん冒険者のみんなも好きだよ」


 シルの言葉に、その場の厳つい男どもは完全に骨抜きになり、だらしなく顔を蕩けさせる。


「う〜ん、シルちゃんは天然のたらしと言うか、魔性の女になるかもしれないわね……顔も可愛いし、もう何年かしたら本当にモテモテだろうねぇ。アル君も心配なんじゃないの?」


「……そうですね」


「アルさん、顔が怖いですよ……そんなのは、まだまだ先の話ですからね?今のうちから過保護だと、嫌われちゃいますよ?」


「それはそうかもしれないが……もしもな?もしもシルが変なやつに引っかかったら、向こうの親御さんにも申し訳ないだろ?任せてもらった以上、ちゃんと責任を持たないと!」


 必死に言い繕うアルに、セアラとリタは先程までのケンカも忘れ、笑い合うのだった。

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