第87話 かけがえのない存在
アルとセアラは、シルが穏やかな寝息を立てているのを確認すると、部屋を出てクラウディアの執務室へと向かう。
日中に見たときとは全く異なる重々しさを感じさせる扉を開くと、黒髪のケット・シーの男女が、ソファから立ち上がり二人を出迎える。男性の口元、女性の目鼻立ちは、シルのそれを連想させる。アルとセアラには一目で二人がシルの両親だと分かった。
「すみません、遅くなりました」
アルが通り一遍の言葉を口にすると、クラウディアは気にしなくていいと言うように軽く手をあげてから、二人をソファへと促す。
「じゃあ、もう察しがついているとは思うけれど、こちらの二人がシルちゃんの本当の両親よ」
「レイです」
「ローナです」
名前だけという二人の簡単な自己紹介を受けて、アルたちも自己紹介をする。
この状況下において、どちらから話を切り出すべきか、重苦しい沈黙が室内を支配する。
アルとセアラは対面してからというもの、二人の様子をつぶさに観察しているが、目も合わせない二人からは感情を読み取ることなど出来なかった。
このまま待っていても埒が明かないと、アルが一つ息を吐いて切り出す。
「では単刀直入に、あの娘が猫の姿になっていた理由をお聞かせ願えますか?」
なるべく不快感を表に出さないように、あえて感情をこめず事務的な雰囲気で質問をする。
「はい。それにつきましてはケット・シーの風習も交えて、ご説明させていただきます」
夫のレイが伏し目がちのまま口を開く。
「まずケット・シーは全ての者が黒い体毛と赤い目を持っており、生まれたばかりのあの娘も例外ではありませんでした」
アルとセアラはシルがかつては黒髪だったということに驚くものの、娘のことをどこか他人事のように話すレイに違和感を感じる。
「あの、私たちは気にしませんので、シル、娘さんのことを呼びやすいように呼んでください」
セアラが作り笑いをしながら提案するが、妻のローナが頭を振って答える。
「ケット・シーは生まれたときには名前をつけません。十歳になった時に受ける儀式で、巫女から真名を授かるのが習わしとなっています」
「そうですか……」
その後はレイが淡々と説明を続けていく。
その話によると、ケット・シーの子供は、十歳になるまでは集落の外に出ることは許されず、ほとんどの時間を家庭の手伝いに終始するとのこと。生活魔法はそのときに覚えるもので、シルも当然そのように育ったが、魔法を教えるとすぐに使いこなすことから、両親も大きな期待を寄せていた。
そして迎えた十歳の誕生日、『妖精王オーベロン』に巫女が祈り、シルに真名がつけられ祝福されるその日に事件は起こる。
いつもと変わらぬように、代々祀られてきたオーベロンの像に巫女が祈りを捧げると、像が眩いばかりの光を放ちシルを包み込む。未だかつて起こったことの無い事態に、儀式に参加していた者たちは一様に恐れ慄き、その光景をただただ見つめるばかりだった。
やがてシルを包んでいた光が消えたときには、シルの髪の毛は今と変わらぬ銀色に変化しており、一族の歴史でも前例の無い銀髪のケット・シーが誕生していた。
「集落の者たちは娘の扱いを巡って議論を重ねました。あの娘は妖精王オーベロンに選ばれし存在だと主張するものもおりましたが、それはごく少数の意見でした。ケット・シーは元来閉鎖的、排他的な一族。昔ながらの伝統や風習を重んじる我々にとって、あの娘は異端者でしかありませんでした。儀式の際に邪(よこしま)な考えを持っていたために、妖精王の怒りを買って呪われた、忌み嫌うべき存在であるという意見が多数を占めておりました」
「シルが……あの娘が邪……?」
「セアラ、抑えるんだ……」
シルの純粋さを知っている二人からすれば、聞き捨てならない言葉。セアラが思わず口を挟み、アルが制止する。
それでもレイは感情を出すことなく、淡々と語りを続ける。
「数の優位、そして特に重要視される巫女の意見には逆らうことができず、ついにあの娘の集落からの追放が決まりました……外の世界と関わりを持たない我々ケット・シーにとって、集落から追放されるという事実は非常に重いものです。私たちもまた、その決定に抗うことは出来ませんでした」
レイが当時のことを思い出すように目を瞑ると、わずかに言葉を詰まらせるが、一呼吸をおいて続ける。
「せめてもの温情として、集落からもっとも近い人里に追放することとなりました。そこは今も獣人差別が残る場所でしたので、猫の姿にすることで誰かに拾ってもらえればと……もう私たちはあの娘に会わせる顔はありません、どうかこのまま何も知らせずに育ててやってください。お願いします」
レイが淡々とシルに起こった出来事を話し終えると、顔を赤くしてして立ち上がろうとするセアラ。アルはそれを制止すると、決して声をあらげず、それでも怒りを滲ませながら告げる。
「……私には……私たちにはあなたたちの仰っていることが理解できません。確かにケット・シーにとって、集落の決定は絶対なのかもしれません。ですがそれは本当に自分の娘よりも大事なものなのですか?それに、会うか会わないか、それを決めるのはあなたたちではないはずです。シルが決めることです。いつになるかは分かりませんが、あの娘がこの事実を受け止めて、それでも望むのであれば、あなたたちは会わなければいけないはずです。このまま逃げることは絶対に認めません」
「アルさん……」
徐々に声に熱が籠り出すと、セアラがアルの手に自身の手を重ねる。
「……当たり前の話ですが、私とセアラはシルと血が繋がっていません。それでも私たちはあの娘を心から大事に思っています、本当の娘だと思って育てています……お二人には勘違いしないでいただきたいのですが、あの娘にとって私たちが必要だから育てているのではありません。私たちにとってあの娘はかけがえのない存在なんです。だから、あの娘が望むのであれば、きちんと会って話をしてあげてほしいんです。あの娘に対して申し訳ない気持ちがあるのならば、謝ってあげてほしいんです。シルのことを愛する気持ちがあるのなら、逃げないと約束してほしいんです」
湧き上がる怒りを押し殺して、シルのことを思うアルの言葉に、二人はハッとして伏し目がちだった顔を上げる。
娘を捨てたその日から、罪悪感や後悔の念に囚われない日は一日たりとてなかった。そしてここに来るまでに、レイとローナは自分達の娘が愛情を持って育てられていると聞かされている。だからこそ自分達は娘に会ってはならないと、それが娘にとって最善だと信じていた。
しばし重苦しい沈黙が流れ、誰も声を発することが出来ずにいると、ギィと入口のドアが開き部屋の中の視線が一人の少女に注がれる。
「あ、パパ、ママ!もー、こんなとこにいた。寂しいから早く寝に来てよ」
突然現れたシルに驚く一同だったが、アルとセアラはその中でとっさにレイとローナの反応を窺ってから、シルのもとへと向かう。
「すみませんが、今日のところはこれで。シル、一人にしてごめんな。さあ、寝に行こう」
距離は非常に短いが、部屋までの廊下をシルを真ん中にして、三人は手を繋いでゆっくりと歩く。
そして三人が部屋に入ると、セアラがシルのわずかに震える小さくて華奢な体をそっと抱き寄せ、アルが部屋に防音の魔法をかけて、いつものように頭を撫でる。
「え……?どうしたの?」
「シル、えらいね、よく我慢したね」
「ああ、よく頑張ったな」
二人の優しさに包まれると、シルが顔を歪めて、その赤い瞳から大粒の涙を溢す。
「パパ、ママ……あ……うぅ……うわぁぁぁぁん!どうして!?どうしてなの……?私……私悪いことしたの?」
「ううん、シルは何も悪くないわよ」
小柄な体に見合わない、耳をつんざくほどの声量でシルが泣き続ける。それでもアルとセアラは静かに寄り添い、気の済むまでシルを泣かせてやる。
やがてシルが泣きつかれると、セアラがそのまま抱き上げ背中を擦りながらベッドへと向かい、もう一度三人でベッドに川の字になる。そして真ん中のシルが黙って天井を見上げると、二人はそんな娘の横顔を優しく見守る。
「……パパ、ママ、ありがとう」
「お礼なんて言わなくていいのよ?」
「ううん、言わせてほしいの。ずっと……ずっと分かってたけど、さっき改めて思ったの。やっぱりパパとママは、私のこと大切にしてくれてるんだって。私、パパとママが大好き。パパとママと一緒にいられて幸せだよ。それに、きっと私が泣くのを我慢していたのに気付いてくれたのは、パパとママだけだよ。私のこと一番見てくれてるって、そう思ったら嬉しくて、どうしてもお礼が言いたくなって……」
拙いながらも、自身の感情をなんとか伝えようとするシルが愛おしく、アルとセアラはその頬にキスをする。
「俺たちもシルが娘で幸せだよ…………なあシル、今は難しいかもしれないが、いつか話せるときが来たら両親と話してみるといい。俺たちに遠慮はしなくていいからな」
二人はシルを見たレイとローナの眼差しを思い出す。うっすらと浮かんだ涙の向こうに見えたそれは、アルとセアラがシルに向けるそれと変わり無いものだった。二人には今にもシルのもとへと駆け出したい気持ちを、必死に押し殺しているように見えていた。
「……うん……でも、パパとママはずっと私のパパとママだよね?」
「ああ、もちろんだ」
「ええ、いつもそばにいるわよ」
シルはその言葉に安心すると、目を閉じて再び夢の世界へと誘われていった。
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