第60話 母の思い
※今回はセアラの母親、リタ視点です
あの日私は絶望にうちひしがれた。
お金のために好きでもない男に抱かれ身籠った子供。セアラは私にとって宝物だった。
この子のためならば私は命を捨てることが出来る。私は心の底からそう思っていた。あの日までは。
「リタだな。娘セアラは王女として王城に迎えられることとなった。これは王からのせめてもの慈悲だ。取っておくがいい」
汚らわしい金の代わりに、私の目の前で略取されていくセアラ。私は何も出来なかった。私が出来たことと言えば、泣き叫んで私を呼ぶセアラの名前を呼ぶくらいだ。何もしていない。
セアラのためならば命を捨てることが出来る。私の思いは偽物だった。あの日、私の体は動かなかった。
王都にはいられなかった。セアラが王城にいると思うと、辛くてたまらなかった。
王城を見るたびに心が張り裂けそうな程痛んだ。
私は逃げた。一国を敵に回してセアラを取り戻すことなど、誰にも出来るはずもない。逃げるしかない。私は私の心を守るためにセアラを見捨てた。
私は自分に嫌気がさしていたことを誤魔化すように人間を嫌った。二度と関わりたくないと思い、里へと帰った。
里のみんなは私を受け入れてくれた。塞ぎ込む私に何があったか聞くことなく、優しく接してくれた。私はその優しさが辛くて唯一兄さんにだけは全てを打ち明けた。
兄さんは私を責めることはなかった。何も言うことなく、黙って私の話を最後まで聞いてくれた。
そして最後まで聞いて一つだけ私に聞いてきた。
「もう一度セアラに会えたらどうするんだ?」
私の答えは決まっている。もう二度とセアラを離さない。誰にも渡さない。セアラを守るのは私だ、今度こそ自信をもって言ってみせる。
いつもと変わらぬ日常を過ごす私に、兄さんから信じ難い一報が入る。
「人間がハーフエルフとケット・シーを連れてこの森に入った」
私は心臓が締め付けられるような気持ちになる。何故だか分からないが、それがセアラのことだと確信した。
恐らく兄さんもそう思ったのだろう。だからこそ、いの一番に私にそれを伝えにきた。
「リタ、お前の過去を長老たちに伝える。その上で今回のハーフエルフがセアラであったのなら、それを考慮してどうするかを判断してもらう。それでいいか?」
「はい、お願いします」
私と兄さんの直感は正しかった。セアラを連れてきた人間は、セアラの夫を名乗っていると言う。冗談じゃない。人間などに私の宝物を渡せるはずがない。セアラは私のもとで一生暮らして、エルフの男性と結ばれればいい。例えセアラが人間と一緒にいたいと言っても、それを許すことはできない。絶対に。
私は長老と幹部の四人に呼び出される。セアラとケット・シーの少女を連れてきた人間は、牢に入っているらしい。
長老と幹部たちは私に命令を伝える。
「リタ、セアラとケット・シーの少女と暮らせ。あのアルと言う人間は親子水入らずにするために、里を離れていると伝えるのだ。そして二人にここで暮らすように説得するのだ」
「はい、分かりました」
願ってもないことだ。絶対にセアラをこの里から外になんて出さない。ケット・シーの少女はセアラが娘として育てているらしい。事情は分からないが、その娘が私に懐いてくれれば、セアラもきっとここに残ると言いやすくなるはずだ。
私は意気揚々とセアラとケット・シーの元へと向かう。少し緊張するが、楽しみな気持ちの方が大きい。だって愛しい娘とこれからはずっと一緒にいられるのだから。
セアラがいるという部屋に向かい、扉を開けると、ちょうど目を覚ましたセアラと目が合う。
「……セアラ」
「……お母さん?」
一目でセアラと分かった。十年以上会ってなくても分かるなんて不思議なものだと思うが、今はそんなことはどうでもいい。
私がセアラを抱き締めると、セアラも私を抱き返してくれる。私とセアラは抱き合って涙を流す。正直に言ってほっとした。本当に良かったと心底思う。あの日何も出来なかった私に、セアラは怒っているのではないか、軽蔑しているのではないか。眠りにつく前に、そう思わない日は一日とて無かった。でもこうして私と再会したことを心から喜んでくれている。私の心はふっと軽くなった。
「ごめんねセアラ。会いたかったわ」
「ううん、いいの。私も会いたかった」
私とセアラが抱き合って涙を流しているのを、ケット・シーの少女が眺めている。
「あ、お母さん。私とアルさんの娘のシルだよ。あれ?……アルさんは?」
セアラがキョロキョロしながら二人を連れてきたという人間の姿を探す。
「あ、ああ、アルさんならしばらくは親子水入らずで過ごして欲しいって言ってたわ。そちらのシルちゃんも一緒にね。また少ししたら迎えに来ると思うわよ」
「……そうなんだ……じゃあお母さんもアルさんに会ったのね。アルさん、すっごくかっこよくて、優しかったでしょ?」
「え、ええ、そうね」
セアラは少しだけ表情を曇らせたあと、満面の笑みを見せてくれる。私の心が少し痛む。だけどこれはセアラのためなのだと言い聞かせる。外の世界に出て良く分かった。セアラはこの里で生きていく方が幸せに決まっているのだから。
「そっかぁ、アルさんも一緒に居てくれれば良かったのにな……」
寂しそうな表情を見せるセアラ。その感情をかき消そうと、私は二人を家へと招待する。
「おじゃまします!」
「……おじゃまします」
「あらあら、あなたたちの家と思ってもらえばいいんだから、ただいまでいいのよ?」
私の言葉にセアラとシルちゃんは少し複雑そうな表情を浮かべる。
「ありがとうお母さん。でも私たちにも、ちゃんと帰る家があるから。ね、シル?」
「うん」
二人の反応は芳しくないものではあるが、初日なのだから仕方ない。焦る必要なんてない。ゆっくりと時間をかけて、二人がここで暮らしたいと思ってくれればそれでいい。外の世界は二人にとっては優しいものでは無いのだから、難しいことではないはず。
翌日、私が朝食の準備を始めようとすると、セアラも一緒にやると言って起きてくる。ささやかだけど、私の夢が一つ叶った瞬間だった。
「セアラも普段料理してるの?」
「うん、アルさんに教えてもらって、少しずつ覚えてるところだよ。でもアルさんは私が作ると何を食べても美味しいって言うから、ちゃんと感想を言ってほしいんだけどね」
少し困ったような顔を見せながらも、幸せそうな表情を見せるセアラ。アルという人間が妬ましいと思ってしまう。それと同時に分かってしまう。セアラが本当に彼のことを好きだということが。
「ふふ、そうなのね。じゃあ私が正直に感想を言うわ。だからここでしっかりと練習して、新しい料理も覚えないといけないわね」
「うん、色々教えてね」
セアラの料理は私の目から見ても、良く出来ていると思った。セアラは謙遜していたが、その腕前はなかなかのものだと言っていいと思う。きっと美味しいものを食べてもらおうと、いつも努力しているのだと分かる。
やがて朝食の匂いに釣られたのか、シルちゃんが目を覚ます。
「おはよう、ママ。えっと、おばあちゃん?」
シルちゃんが首をかしげながら私に向けておばあちゃんと言ってくる。まだまだ若いつもりの私にとっては、少しダメージがあるもののその可愛さには抗えない。
「おはよう、シルちゃん」
「おはよう、シル」
シルちゃんは笑顔を見せると、キョロキョロと辺りを見回す。
「……パパ、今日もいないの?」
寂しそうな表情を浮かべるシルちゃんに、私は申し訳ない気持ちで一杯になる。
「シル、アルさんはすぐ戻ってくるから、私たちは待っていようね」
「……うん、分かった。パパに褒めてもらえるように、私ちゃんと待ってる」
それから一週間、ずっとそんな感じで毎日が進んでいく。セアラは私に対して、離れていた時間を感じさせないほど自然に接してくれる。シルちゃんも少しずつ心を開いてくれている。そんな二人が嬉しそうに語るのはいつもあの人間のこと。
ここにいるのはあくまでも少しの間だけ。二人にとって帰る場所は別にあるということが、こうしていると嫌というほど思い知らされる。
私はどうしてもセアラがそこまで慕うのかが理解できなかった。だからそれを聞かずにはいられなかった。聞く必要の無いことだと思っていたのに。
「ねえセアラ。あなたはなんでアルさんがそんなに好きなの?」
セアラは顔を赤くしながらもポツポツと私の疑問に答えてくれる。
王城で他の王女たちに無実の罪を着せられたこと、命からがらアルのもとへと辿り着き、優しく介抱してもらったこと。アルがセアラのことを思って、町に住まわせてくれたこと。王国に誘拐されたこと。そしてアルが単身王国に乗り込んで助けてくれたこと。
私は愕然とした。セアラが今ここにいるのはアルのおかげだ。彼は私が出来なかったことをやってのけた人だと、セアラのために国を敵に回すという選択をした人だと気付かされた。
それならば、私が彼に敵う道理なんてない。だって私にはそれが出来なかった。あのとき全力で魔法を使って兵士を追い払えば、セアラを守れたかもしれない。
だけど私にはそれは出来なかった。国を敵に回すということが恐ろしくて出来なかった。
セアラが心から愛し、シルちゃんが心から慕う人。そして例え一国を敵に回してでも、二人を守ってくれる人。何より二人をこんなにも幸せそうな表情にさせる人。親としてそんな人が娘を妻として迎えてくれたことを、幸せだと思わずにはいられなかった。
※ちょっと補足
リタはある人物と結構な期間を外で暮らしていました。
場所もアルクス王国だけでなく、エルフであることを隠して色々なところで暮らしていました。
それは各地を旅するというよりも、引っ越しを繰り返していたという感じです。
そういう背景もあり、人間とも多く触れ合っており、それほど嫌いなわけではないです。
本文中でも少し触れられていましたが、セアラを守れなかった自分も悪いという事実を認められず、
その結果、人間が嫌いだと徐々に思い込んでいきました。
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