第61話 母が願うは娘の幸せ
アルが投獄されてから一週間、その間はほぼエルヴィンがアルの見張りをしている。二人は親しくなったとまでは言わないが、普通に会話を交わすようになっていた。
「セアラとシルは元気でやっているのか?」
「心配要らない。リタの家で楽しくやっているようだ」
「ならいい」
あっさりと会話を切り上げるアルがエルヴィンには理解できない。
「……説得できているのか気にならないのか?」
「気にならない訳じゃないが、セアラにとっては久しぶりの母親との時間だ。要らんことに気を回してほしくないな」
「はは、要らんことか」
アルもセアラとシルが自分がここにいることを知らされていないと聞かされている。そしてリタが二人にここに残るように説得を試みていることも知っている。
それでもアルは焦ることはない。自意識過剰と思われるかもしれないが、アルはセアラとシルは必ず自分と一緒にいたいと願うと分かっている。
そしてリタがセアラのことを大事に思うのであれば、それに気付かないはずがない。セアラとシルが意図していないとしても、それはリタを説得することに繋がるだろうと思っている。むしろ言葉で言い繕うよりも、効果はあるかもしれないと。
アルの様子を横目で見ながら、エルヴィンがリタの様子について語り出す。
「リタは……迷っているみたいだな」
「……そうか」
「セアラはやはりお前と一緒にいたいようだ……あとはリタがどうするかだが、どちらを選ぼうとも、俺は前に言ったようにリタの判断を応援する」
エルヴィンがアルの目を真っ直ぐに見て言うと、アルは肩を竦める。
「ああ、それでいいんじゃないか?俺は必ず二人を連れて帰るがな…………?」
アルの様子が変わったことを察したエルヴィンが怪訝な目を向ける。
「どうした?」
「……妙な気配が急に二つ現れた。一人と、もう一つは生き物じゃない。ちっ、セアラとシルの近くだ!」
「なんだと!?だがこの森に入ればすぐに……」
エルヴィンの言葉が終わらぬままに、里の兵士の一人が慌てた様子で飛び込んでくる。
「エルヴィンさん!大変です!里の近くにいきなりゴーレムが!」
「なにっ!?この大森林の感知を掻い潜ったと言うことか?」
アルですら気が付かなかった大森林に施されている感知魔法。どれくらいの範囲かは定かではないが、外敵が里の近くに来るまで気が付かないようなお粗末なものではないのは確かだ。
考えられるとすれば、ゴーレムを使役しているものが相当の魔法の使い手か、元からそれを知っていたと言うこと。
「アル、お前はここにいろよ」
「バカを言うな、セアラとシルが危険だろうが」
「お、お前っ、何を!?」
アルが力尽くで拘束を外し、報告に来た兵士をエルヴィンが制する。
「……分かった、お前を連れていく。その代わり俺と一緒にだぞ」
「ああ、それで構わない」
「勝手に決めるでない」
地下牢に長老たちが護衛を伴って入ってくるなり、アルとエルヴィンを制止し、入り口は護衛たちが塞ぐ。
「……邪魔だ」
アルの怒りを真正面から受けて長老たちは怯むが、それでも退くことはない。
「……大したものじゃが、お主の力は必要ない。直に兵士たちが到着し敵を討つ」
そして長老は通信用の魔道具を取り出す。討伐を終えたら連絡が来る手筈になっているということだった。
兵士たちで対応できる敵ならばそれでいい。だが今回現れた者たちは明らかに異質だ。
「しかし長老様、敵は我々の感知を掻い潜っております。私とアルも向かわせてください!」
エルヴィンが焦燥に染まった表情で訴えかけるも、暖簾に腕押しだ。
忌々しげな視線を長老たちが二人に向けてくる。
「エルヴィン、セアラの叔父だからこそ、この男の監視をお前に任せたのだぞ?それが容易く篭絡されおって」
「全くだな。下等な人間などに頼ろうとは、恥を知れ」
「ぐっ……」
にらみ合いをすること数分、埒が明かないとアルが強行突破をかけようとした時、魔道具に連絡が入る。
時間は少し戻り、セアラとシルはリタに連れられて、里の近くにあるサワーベリーを摘みに来ていた。
「おばあちゃん、このまま食べれるの?」
「食べても大丈夫だけど……シルちゃん、ちょっと食べてみる?」
「うん……うわっ!酸っぱい!」
シルが思わず顔をしかめ、セアラとリタがそれを見て笑う。
「ふふ、ごめんね。サワーベリーはそのまま食べると酸っぱいけど、ジャムにするととっても美味しいの。だから今日はこれを使ってジャムを作りましょうね」
「うん!」
張り切ってベリーを摘むシルの様子を見ながら、二人は敷物に座るとセアラがリタに話しかける。
「シルも大分お母さんに懐いてきたね」
「そうね、でもやっぱり少し寂しそう」
「うん、私もそうだけどアルさんはいつも一緒にいてくれたから……離れると寂しいわ」
「そう……」
リタには分からない。セアラとシルをこの里に縛り付けることが本当に正しいのかどうか。
きっとアルであれば、外の世界に出たとしても二人を守るだろう。それならば二人をアルのもとに返してやることが、幸せなのかもしれない。
だがこの里にセアラとシルを縛り付けるのは、決して二人のためだけではない。リタ自身が二人と一緒にいることを楽しいと、家族を手放したくないと感じている。だから彼女は迷う。
「……ねえ、お母さん」
真剣な顔をしたセアラに思わずリタは驚く。
「どうしたの?」
「アルさんは……ここにいるよね?」
「え?何を言ってるのよ、どうしてそんなことを?」
リタは急にセアラから告げられた言葉に、思わず動揺してしまうが、わざとらしい笑顔を浮かべ平静を装う。
「だって……アルさんは私たちからは離れないって、ずっと傍にいるって約束したもの。アルさんは必ず私たちを守ってくれるの」
セアラは証拠があって言っているわけではなかった。セアラはただアルを信じている。いくらこの里の人達が自分達に危害を加えないと言っても、もしもの時に駆けつけられないような場所に、自分達を置いていくはずがないと信じている。
「……あなたは……本当に、アルさんが好きなのね……」
複雑そうな表情を浮かべるリタにもセアラは動揺しない。リタが人間にいい感情を持っていないことなど確認するまでもない。それゆえ、自分がアルと結婚したことを快く思えないことも理解できる。
それでもセアラはアルを認めてほしかった。どんなに危険な状況であろうとも自分達を守り、深い愛情を注いでくれる彼を、そして自身が深い愛情を注ぐ彼を母親に認めてほしいと願うのは自然なことだった。
「……やっぱり、お母さんは嫌?」
リタは暫くセアラの目を見ると、微笑みを浮かべながら頭を振る。
「……嫌じゃないわ。この短い間だったけど、セアラがアルさんをどれだけ好きか良く分かった。あなたとシルちゃんをアルさんから引き離すのは、私のワガママね……」
「……お母さん」
セアラの目には涙が浮かぶ。リタはその頬を撫でながら、意志のこもった強い口調でセアラに語りかける。
「セアラ、幸せになりなさい。あなただけじゃなく、アルさんもシルちゃんも一緒に。あなたたちならきっと大丈夫、私はいつでも三人の味方よ」
「うん……うん、ありがとう。お母さん……」
セアラがリタの胸に顔を埋めて声を上げて泣き出すと、シルがそれに気付いて寄ってくる。
「ママ、どうしたの?」
「ふふ、何でもないのよ。シルちゃんもおいで」
リタがセアラとシルを膝枕して、二人の頭を優しく撫でる。
「セアラ、覚えてる?あなたはこうやって膝枕してもらうのが好きだったのよ」
「うん……何となく覚えてる」
少し落ち着いたセアラが、昔を思い出すように目を瞑ったまま答える。
「いつでも来たらいいわ。ここはあなたのもう一つの家だからね。シルちゃんもよ」
「うん……ありがとう」
「私もまた来る。今度はパパも一緒だといいな」
シルは気持ち良さそうに目を細め、耳と尻尾を動かしている。
「ふふ、そうね。三人でいらっしゃい。もっと多くてもいいわよ、セアラ?」
「え!?う、うん。いつかは、ね……」
セアラが顔を赤くして答え、シルは良く分からずキョトンとしている。
「ええ、期待してるわね」
三人の回りに穏やかな時間が流れる。誰も声を発することはないが、心地のよい静寂がそこにはあった。
そしてその静寂は、転移魔法の光とそこから現れたモノによって破られた。
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