第57話 未だ見ぬ新しい家族

 部屋に付いている露天風呂は、本物かどうかは定かではないが、檜のような香りが漂っていた。アルは濡れた床に滑らぬよう足元に気を付けながら進み、かけ湯をしてから体を湯船に沈める。

 湯の温度は魔法で好きなように変えられるので、四十度ほどに調整して、長く入っていてものぼせないようにしておく。

 広さは大人が四人くらいなら入れそうなほどであった。客室に付いている風呂としては十分過ぎるほどの広さと言っていい。


「アルさん、入りますね」


 アルが湯船に浸かって五分ほど経過した頃に、セアラの声が後ろから聞こえてくる。


「ああ、滑らないようにな」


「はい」


 かけ湯をしたセアラが、アルの隣に寄り添うように入ってくる。長い金髪を上げて露わになったうなじは艶めかしく、タオルを使わずに腕で隠された豊かな胸に視線が奪われる。とはいえここまでは前回までと同じパターンなので、アルにも若干余裕がある。


「……こうして二人で過ごす時間は、随分と久しぶりな気がしますね」


「そうだな」


「シルが一緒にいてくれるのは嬉しいのですが、アルさんと二人になれないのはちょっと寂しいですね。ちょっとワガママでしょうか」


「まだまだ新婚だからな、そういうものだろう」


「ふふ、そうですね。アルさんもやっぱり寂しいですか?」


 悪戯っぽい笑みを浮かべながらセアラがアルの顔を覗き込む。


「ああ、そうだな。それでもシルがいてくれて嬉しいことも多いけどな」


 アルはセアラの肩を抱いて引き寄せる。


「はい、そうですね」


 少しの沈黙が流れると、セアラがアルに大浴場でのことを語り出す。

 ここから西の大森林にエルフの里があるということ。普通の人間ではたどり着けないこと。ソルエールは魔法を使える種族に寛容で、エルフも多く住んでいるということ。


「クラウディアさんは、俺たちにソルエールに来て欲しそうな様子だったな……」


「ええ、なにか理由があるのか、単に私たちを心配してのことなのかは分かりませんが。そういえばアルさんはソルエールには行かれたことはないのですか?」


「行ったことはないが……俺に魔法を教えてくれた人は、ソルエールから招かれていた人だったな」


 少しアルの視線が泳いだのをセアラは見逃さなかった。一見すると笑顔を浮かべているが、目は全く笑っていない。


「どのような方だったのですか?」


「若い女性だった。ソルエールにエルフが多く住んでいるということを考えれば、魔力量といい技術といいハーフエルフだったのかもな。そうすると見た目通りの年齢ではないのかもしれない」


 誤魔化すようにアルが少し早口で捲し立てるが、セアラにとっては前半の情報が大事だったようで、そこを詳しく聞いてくる。


「……アルさん、何かやましいことでもあるんですか?言い寄られていたとか?」


 不自然に視線が泳いだことから、セアラはある程度の確信を持って聞いている。


「……何で分かるんだ」


 アルが嘆息すると、セアラは当たり前ですと言い返す。


「……魔王を倒したら必ずソルエールに来るようにと言われていた。理由は……まあそういうことだろうな。もちろん断っているぞ?そもそも魔王を倒したら、元の世界に戻れるという話だったしな」


「それでしたら、アルさんがまだこちらにいると知れたら……」


 相変わらず心配そうな表情を浮かべるセアラ。アルもセアラに要らぬ心配をかけたくなかったので、あまり言いたくはなかった。

 以前、セアラが自分を信頼していても、やはり不安になってしまうと言われているのだから、尚更だった。


「セアラ、こっちに」


 アルがセアラを自分の前に置いて、後ろから抱き締める。


「ア、アルさん?」


「セアラ、プロポーズしたときに言った言葉を覚えているか?俺はセアラを絶対に守る。もちろんシルもだ。二人を必ず幸せにする。例えセアラがいいと言ったとしても、俺は他の女性を妻にするつもりはない」


「……はい、分かっています」


 セアラが自身を抱き締めているアルの手に、自らの手を重ねる。


「だからこの先も三人で生きていこう。二人を絶対に離さない、ずっと一緒にいよう」


「……はい、でも……三人だけですか?」


「……?」


 セアラが振り向いてアルにキスをする。軽いものではなく舌を絡める濃厚なそのキスに、アルは最初は驚くが、それに応じる。


「……私、アルさんとの子供も欲しいです。もっと……もっとたくさんの家族に囲まれていたいです」


 真っ直ぐにアルを見るセアラの顔が真っ赤に染まっている。それは温泉のせいでも、先ほどのキスのせいでもない。彼女は精一杯の勇気を振り絞ってその言葉を言っている。だからこそアルもその言葉に真剣に答える。


「ああ、俺もセアラとの子供が欲しい。きっと女の子ならセアラに良く似たかわいい子だろうな」


「ふふ、きっと男の子ならアルさんに似てかっこいい子ですよ」


 二人は顔を見合わせて笑い合うと、アルが思わず呟く。


「……シルはいい姉になるだろうか?」


「ええ、シルなら大丈夫ですよ。私たちの娘ですから」


「そうだな。心配する必要はないか」


 二人は再び唇を重ねる。その体が火照っているのは、決して温泉のせいだけではなかった。



 まだ暗いうちに、シルがふと目を覚ますと、隣の部屋で一つの布団で眠るアルとセアラを発見する。ちなみにシルが先に起きる可能性も考えて、一応浴衣は着ていた。


「パパ、ママ、ずるい……」


 シルは寝ぼけまなこをこすりながら、二人の間に入って再び眠りに入るその表情は、心底安心しきっている。

 そしてアルとセアラはシルが間に入って来たことに気付いたが、何も言わずにその頭を優しく撫でて笑みを浮かべる。

 せっかく三つの布団があるにも関わらず、いつもと変わらぬ様子で眠る三人。確かに狭くて窮屈だが、何故かそれが心地よく感じられた。



 日が昇ると、三人はほぼ同時に目を覚ます。


 シルがどうしてもお風呂に入りたいと言うので、朝食前に部屋の風呂に入る。セアラだけでなくアルも一緒だった。

 初めてアルと一緒に入れることが余程嬉しかったのか、シルは入浴中はずっとアルの体に背中を預ける。そして気持ち良さそうに頭をゆらゆらさせながら、耳はぴょこぴょこ動いている。


「パパ、おうちでも一緒に入ろうね」


「そうだな、シルが嫌だと言うまでは入ろう」


「え〜?私は嫌だって言わないよ?」


 シルが振り向いてアルに抱きつく。


「はは……そうだといいんだがな」


 そう言ってくれるのはうれしいが、本当にそれでは困るので、アルは苦笑いを浮かべる。セアラはアルの肩に頭をのせながら、そんな二人の様子を楽しそうに眺めていた。


 朝食は別室に準備してあるとのことだったので、風呂から出た三人はさっそく告げられている部屋へと向かう。

 夕食の会席料理とは打って変わって、純和風の朝食だった。お櫃に入った白米に、味噌汁、鯵のような魚の干物、卵焼き、漬け物。お好みでどうぞと納豆もついていた。

 ただ、料理が素朴だからこそ、その凄さが理解できるというものだった。素材の良さを存分に引き出す調理がなされており、味はアルが元の世界で食べていた和食よりも優れている。

 セアラとシルも舌鼓を打っていたが、さすがに初見で納豆を食べることは出来なかった。


「アルさん、今日はすぐに西の大森林に向かいますか?」


「そうだな、遅くなって野営ということにはしたくないからな」


 アルだけであれば、それでも何の問題もない。しかしセアラとシルをつれている状況では、極力リスクを排した行動を取らなければならなかった。


「ママのママだと、私のお婆ちゃんだよね。会えるといいな」


 無邪気なシルの頭をセアラが優しく撫でる。


「ふふ、そうね。いきなりこんなかわいい孫が出来たら、お母さんも驚いちゃうわね」


(歓迎してもらえるといいんだがな……)


 アルは心のうちの不安を外には出さないように努める。セアラの話や、今まで聞いた話ではエルフは人間に対してあまりいい感情を持っていない。

 長い歴史の上で、その魔法の力を利用しようと馬車馬のように働かせたり、美しさゆえに金持ちの性奴隷にされたりということが珍しくなかった。

 ゆえにエルフはあまり人間に関わらない。積極的に復讐をすることは無いが、己の領域に踏み込んでくるのであれば、容赦しないであろうことは容易に想像できる。ソルエールのように共存しているような国は例外中の例外。

 とは言え、間違っても敵対してこちらが攻撃するわけにはいかない。もし状況が良くないのであれば、すぐに逃げられるようにと心の準備をしておくアルだった。

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