第56話 シルの不安と二人の思い

 やはりアルの方が先に風呂から上がり、風通しのよい板の間で涼みながらセアラとシルが出てくるのを待つ。その中央には火は入っていないものの、囲炉裏があり、風情を感じさせてくれていた。

 アルが女湯の入り口の方を気にしながら景色を眺めていると、金髪碧眼の女性、クラウディアが浴衣を纏い板の間へと向かってくる。クラウディアはアルの姿を確認すると軽く会釈をし、囲炉裏を挟んでその正面に座る。アルは目の前の女性とは面識はないと思いながらも、とりあえず会釈を返し再び景色に目を向ける。

 しかしクラウディアは景色に目を向けることなく、じっとアルを見つめる。


「……?」


 その意図が分からず、不思議そうな顔をしているアルにクラウディアが話しかける。


「セアラさんの旦那さんかしら?」


「……?ええ、アルと申します。失礼ですがあなたは?」


「あら、失礼しました。私はクラウディアと申します。セアラさんとシルちゃんとは中で一緒だったので」


「そうでしたか」


 アルはただの世間話だろうと思い、軽く相づちを返す。


「セアラさんにソルエールに来た際には、是非寄るように伝えておきましたので、アルさんも一緒にいらしてくださいね」


「ソルエール……魔法都市ですね。ええ、機会がありましたら」


「……絶対ですよ?二人を守ってあげてくださいね?」


 クラウディアのいきなりの不穏な物言いにアルが警戒心をあげる。


「……どういうことですか?」


「そのままの意味ですよ?二人とも普通の国で暮らすのは危険が多いでしょうからね。ではまたソルエールで」


 アルは何も言わずにクラウディアの背中を見送る。二人を守ってという彼女の台詞自体は可笑しなものではないが、初対面で言われるようなものではない。そしてわざわざ忠告を与えてくるということは、二人がハーフエルフとケット・シーだと知っていると暗に言っているものだった。


「あ、アルさん。お待たせしました」


 セアラが声をかけてきて、シルは何も言わずにアルに抱きつく。ただならぬその雰囲気は、二人の浴衣姿を楽しみにしていた、アルの浮かれた気分を吹き飛ばす。

 アルは困惑してセアラを見るが、その顔は浮かない。この場で話を聞く訳にもいかないので、一先ず部屋 に向かうが、その間もずっとシルはアルにしがみついている。

 そして部屋に戻り、アルがシルの頭を撫でると、おずおずと口を開く。


「……パパとママは……私がずっと一緒にいたらダメ?」


「そんなことはない、シルは俺たちの家族だろう?」


「うん……」


 そしてまた黙り込んでしまうシル。どうしていいか分からないアルに、セアラが事情を説明する。


「実は大浴場でエルフの方と一緒になりまして、その方はソルエールから来たと仰っておりました」


「ああ、もしかしてクラウディアとかいう女性か?俺も声をかけられたよ。だがエルフの耳ではなかったと思うが」


「はい、魔法で偽装されておりましたので」


 アルは耳だけでなく、魔力量も一般の人間程しかクラウディアから感じなかった。つまりそれさえも偽装していたということになる。


「それで……その……魔法を使える種族が多く住んでいると仰られていたので、ケット・シーがソルエールに住んでいるのかと……ですがそこにもケット・シーはいないと」


「そうか……」


 シルがアルの体に回している腕に、ぎゅっと力を込める。シルの不安はケット・シーが見つからなかったことではない。もしソルエールに家族や同族がいた場合、二人と離れることになるのではないかということだった。


「……いいか?シル、よく聞くんだ。シルの両親、家族はもしかしたら生きているかもしれない。だから俺たちはそれを探してやりたいと思っている」


「……うん」


「もし見つかったときはシルが決めるんだ。両親の元に行くのか、俺たちの元に残るのか」


 シルが顔をあげてアルとセアラの顔を交互に見る。二人は目を逸らすことなく真っ直ぐに見返す。


「俺たちはシルに一緒にいてほしいと思っている。だけど本当の両親も、きっとシルのことを心配している。だから本当の両親にも、シルを会わせてやりたいんだ」


「シル、ちゃんと説明しなくてごめんなさい。まだ見つかるかどうかも分からなくて、変に期待を持たせたくなかったの。あなたが私たちと一緒にいたいなら、ずっと一緒にいるわ。私たちもシルと一緒にいたいのよ」


 セアラに背中をさすられると、シルはとうとう泣き出してしまう。


「わあぁぁぁん……私……パパとママと、一緒にいたいよぉ……私……パパとママの娘だもん……やだよぉ、離れたくないよ……」


「ああ、シルは俺たちの娘だよ……」


「……うん、ありがとうパパ。ありがとうママ。二人とも大好き」


 シルが二人の頬にキスをして、涙を流しながら笑顔を見せる。アルとセアラはほっとした表情を浮かべると、お返しにその頬にキスをする。ふにゃっと頬を緩め、嬉しそうな表情を浮かべるシルは、二人の自分に対する深い愛情を感じていた。



 シルの懸念も解消されたことで、改めてセアラとシルの浴衣姿を見てアルが褒めていると、程なくしてリコが部屋を訪れて食事の準備を始めてもいいか尋ね、アルたちはお願いする。

 ずらりと並べられた料理の美しさに、三人は感嘆の声を漏らす。食べるのが勿体ないほどの繊細な盛り付けと、飾り包丁が施された食材は目でも楽しむことができる。

 和食に馴染みの無いセアラとシルはもちろん、アルもこれほど見事なものは見たことがなかった。


 まずは食前酒として大人二人には梅酒が、シルには梅ジュースが用意される。


「このお酒、甘くて美味しいですね。これならいくらでも飲めてしまいそうです」


 セアラが頬に手を当ててうっとりとした表情を見せると、アルは本当に際限無く飲みそうだと苦笑いしながら同意する。


「そうだな、確かに飲みやすい」


「このジュースも美味しいよ」


 すっかり立ち直ったシルに二人は笑顔を見せる。

 その後は先付、前菜、椀物、向付、煮物、焼き物、強肴、御飯物、香の物、留め椀、水物と続いていく。ちなみにシルは子供用にワンプレートに色々乗せられて、料理が提供される。

 どれも美味しいものではあるが、肉料理は先付に合鴨のローストが出てきたのと、強肴に和牛のような刺しが入った牛肉が出てきただけで、魚がメニューの中心になっていた。

 向付で刺身が出てきたときには三人とも驚いたが、食べられないということはなく、むしろセアラとシルも喜んで食べていた。


「この辺りは海が近いんでしょうか?」


 セアラが給仕をするリコに疑問を投げ掛ける。


「それほど遠くはありませんが、それでも馬車で一日の距離はあります。当宿では仕入れ担当には、空間収納魔法を使えるものを複数雇い入れておりますので、新鮮な魚をご提供できるのですよ」


「成程、刺身にするものは冷凍処理を?」


「ええ、やはり良くご存知ですね。こちらでも寄生虫はおりますので、冷凍処理は必須となっております」


 セアラとシルが不思議そうな顔をしていたので、アルは魚の生食のリスクを説明する。


「後から言わないでください……」


「まあ川魚に比べればリスクは低いし……火を通したって、死ぬだけであって、いなくなる訳じゃないし」


「そういう問題ではないです!」


「はい……」


 そして、どちらの世界でも、宿の食事というのは食べきれないほど多いのは同じらしく、残さず食べるとかなりの満腹感を得ることが出来た。そして三人が食休みをしていると、今度は布団が敷かれ、ふかふかの布団にダイブしたシルが眠そうに目を擦る。


「シルはもう眠いでしょ?歯を磨いて寝ましょうね」


「……うん」


 今にも目を閉じて夢の世界に旅立とうとしているシルに歯磨きをさせて、布団に寝かせると、すぐに寝息をたて始める。


「朝早かったからな……」


 アルがシルの乱れた髪を撫で付ける。


「ええ、そうですね。ところでアルさん、お部屋のお風呂に入りましょうか」


「……明日の朝でも」


「シルも寝てしまったことですし、せっかくですから二人で入りましょう!」


 アルの言葉を途中で遮るセアラ。こうなるともはや聞く耳を持たない。


「……そうだな、たまには二人で入るのもいいだろう」


 アルにもセアラが頑なに一緒に入ろうと言う気持ちは分かる。一度だけ一緒に入ったが、翌日にはシルが家族になった。そしてシルが来てからというもの、アルは一人で入ってばかりだったので、セアラはそれを不満に思っていた。


「じゃあ、先に入っておくから」


「はい、私もすぐに行きますので」

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