第26話 アルの体

 一回戦の内容は百キロの取っ手が付いた鉄の塊を両手に下げて、往復五十メートルのコースを競争するというもの。

 元の世界で言うとファーマーズウォークという種目のようなものだった。

 アルの順番は一回戦の第四試合。他の出場者はどの程度のものだろうかと見学していると、第一試合は前回の優勝者、アレクの試合ということで大盛り上がりだ。


「すごい人気だな、さすが昨年の優勝者ということか」


 特に答えを求めた訳では無いアルの呟きだったが、隣で見ているモーガンが目を細めながら返答する。


「ああ、もちろんそれもあるがな。町のゴロツキだったアレクが今や辺境伯のもとで働いてるんだ、サクセスストーリーの主役ってことよ」


「成程な」


「レディー……ゴー!」


 審判の掛け声と共に、アレクともう一人のいかつい男が鉄の塊を持ち上げる。

 アレクは早歩きくらいのスピードでどんどん歩いていくが、もう一人は少し歩いては下ろしてを繰り返しており、勝負になっていない。

 結局相手が十メートルほど進んだところで、アレクがゴールし圧勝した。

 ファーガソン家の三人が拍手しているのを見つけると、アレクは手を少しあげてから深くお辞儀をする。


「さすがアレクだな、俺も負けちゃいられん」


 二試合目は二人とも五分くらいかけて、やっとゴールするという低調な結果に終わり、モーガンが出場する三試合目になる。


「おっしゃ、行ってくるぜ」


「ああ、頑張れよ」


「モーガンさん、頑張ってください」


 アルとアレクの声援を背に受けてモーガンがスタート位置につく。相手はまだ若そうな冒険者風の男。


「レディー……ゴー!」


 二人が合図と同時に鉄の塊を持ち上げて、ぐんぐん進んでいく。

 最初は互角だったが、徐々に冒険者風の男が、モーガンを引き離していく。


「モーガンさん!頑張ってください!」


 セアラの声援を受けてモーガンがスピードをあげた次の瞬間、冒険者風の男が鉄の塊を落としてしまう。


「くっそ、いってぇな!!」


 どうやら手の皮が耐えきれなかったようで、手のひらから血が滴っている。こうなってはもはや持ち上げることは不可能だった。

 それでもなんとかしようと四苦八苦している男を尻目に、終始ペースを落とすことなく、歩ききったモーガンが勝利を掴む。


「おめでとう」


「危なかったですね」


 アルとアレクに迎え入れられると、モーガンは頭を掻いて、恥ずかしそうに苦笑する。


「俺もまだまだ若いもんには負けねえって思ってたんだがな、なかなかキツくなってきたようだ」


 ついに一回戦の第四試合、アルの順番になる。相手はカイルという名の冒険者。

 予選でとんでもない奴がいたと話題になったようで、アレクに負けないほどの声援がアルに注がれる。


「予選見たぜ?あんなのいかさまだろ?」


 揺さぶりのつもりか、いきなりアルに絡むカイルだったが、当の本人は受け答えすらしない。そんなことよりもセアラに手を振る方が大事だった。


「ちっ、余裕ぶりやがって」


 やがて審判が二人の前に進み出て手をあげる。


「レディー……ゴー!」


 審判の手が振り下ろされると同時に、カイルが鉄の塊を持ち上げて歩き出す。

 アルはその様子を確認すると、軽々持ち上げて一気に駆け出す。歩くでもなく、早歩きでもなく、軽やかに走っている。

 一人だけ物理法則を無視しているようなその光景に、誰もが唖然とし、カイルも思わず持っていた鉄の塊を落としてしまう。

 結局アルは二十秒とかからずゴールし、今までの大会記録を大幅に更新する。


「ど、どうなってやがんだ……」


 呆然としているカイルを後目に、相変わらずアルはセアラに手を振って、モーガンとアレクのところに戻る。すると二人はまじまじとアルの体を見て、怪訝な表情を浮かべる。


「お前の体はどうなってるんだよ……?」


「ちょっと理屈がわからないですね……アルさんは体重は?」


「百十キロ程だな」


「はあ?おかしくないか?」


 モーガンが思わず大声をあげる。つまりアルの身長は百八十センチで体重が百十キロということになる。

 確かに筋肉がついており、ガタイがいいと言えるが、そんなにも体重があるようには見えない。

 ちなみにモーガンが一九十センチで体重が一三十キロ、アレクが百九十五センチで体重が百四十キロだが見た目がまるで違う。


「つまり筋肉の量、密度が異常ということでしょうね。見たところ脂肪なんてほとんど無さそうですし」


 モーガンとアレクはそれなりに脂肪がのってこの体重。それと比べてアルの体脂肪は五パーセント程しかない。


「まあ、そういうことみたいだな」


 アルは昔から見た目と体重が合っていないと言われており、自分でもそれは自覚していた。

 つまりアルの体は凝縮された筋肉の塊で、それゆえ多くのエネルギーを使うため、脂肪がほとんど無い。それこそがアルの力の秘密だった。


「成程な、それならあの出鱈目な力も説明がつくのか……んん?つくのか?」


 もはや混乱して訳がわからなくなるモーガン。もっとも、アル自身、自分の力がなぜここまで強いのか合理的な結論は見出だせていない。

 とりあえず筋量と筋力が異常なことを自覚しているだけ。


「アルさん、準決勝進出おめでとうございます。かっこよかったです!モーガンさんとアレクさんも」


 軽やかな足取りのセアラが、ファーガソン家の三人と共にアル達のもとにやってくる。


「ありがとう」


「ああ、ありがとうセアラちゃん。ま、どうせアルには勝てねえけどな」


 卑屈なことを言い出すモーガンにセアラが苦笑する。

 そしてブレットがアレクを激励する。


「アレク、おめでとう。アル君に負けないように頑張れよ」


「はい、ありがとうございます」


「しかしアル君はすごいな、あそこまで目立つと、この会場にいる全員がアル君の事を覚えるだろうね」


「変な虫が寄ってこないといいですね、セアラさん」


「え……ええ!?そ、そういうことがあるんでしょうか?」


 レイラに突然水を向けられたセアラが、一瞬呆然とした後、焦った表情を見せる。

 余程セアラの反応が面白かったのか、悪戯っぽい笑みを浮かべたヒルダも、それに乗っかってくる。


「何せお父様も去年のこの大会で、アレクに声をかけたのですからね。アルさんを気に入った女性から熱烈なアプローチがあってもおかしくないと思いますよ。いつに時代も女性は強い男性に惹かれるものですから」


「そ、そんな……」


 今にも泣き出しそうなセアラをアルが抱き寄せる。


「心配しなくていい、俺の妻はセアラだけだよ」


「……はい」


 アルの腕の中で顔を蕩けさせ、幸せそうな笑みを浮かべるセアラ。そしてそれを見て楽しそうな様子のレイラとヒルダをブレットが窘める。


「レイラ、ヒルダ、ほどほどにしておきなさい。しかしアル君、女性が近づくかどうかはともかく、君の力が知れ渡れば囲いこもうとする者も出てくるはずだ。その中には当然良からぬ事を考えるものもいる。気を付けてな」


 良からぬ事と言いながら、アルの腕の中のセアラの方を見やるブレット。アルもその意図を察する。


「はい、ご忠告ありがとうございます」


 アルとて最初からその心配はしていた。だが今の生活を捨てるつもりはないので、もし打診があったとしてもすべて断るつもりでいる。

 しかしセアラにまで危険が及ぶようなことまでは考えていなかったので、ありがたい助言だった。


「皆さん!準決勝始まりますので、こちらにお願いします」


「セアラ、行ってくる」


「はい、お気を付けて」


 運営委員から声をかけられ、準決勝に進んだ四人が再び会場へと向かう。

 準決勝の種目はクリーン&ジャーク。ウエイトリフティングの種目の一つだ。

 床に置かれた百キロのバーベルを制限時間内にどれだけの回数頭上に挙げられるかを競うものだ。

 一試合目は前回優勝者のアレクが登場し盛り上がる。

 対戦相手はグレンという名前らしいが、一回戦の様子を見る限りアレクの敵ではなさそうだ。


「まあ、ここはさすがにアレクが勝つか」


「そうだな」


 二人の前に立つ審判が手をあげる。


「レディー……ゴー!」


 掛け声と共に二人がバーベルを頭上に挙げ始める。予想外にグレンがアレクのペースにぴったりと合わせている。


「おいおい、どういうことだこりゃあ?ちょっと雲行き怪しいぜ?」


「あいつ、一回戦では本気じゃなかったのか?」


 アルとモーガンは、目の前で起きている光景に釘付けになっていた。

 見る限りアレクは出来うる限りのハイペースで飛ばしている。だがグレンには余裕があるようにも見える。

 やがてアレクのペースが徐々に落ちてくるが、グレンのペースは最初と変わらない。まるで機械のように同じペースでバーベルを挙げる。

 そして結果はアレクが十八回、グレンが二十回。まるで狙ったかのような結果に、アルは顎に手を当て渋面を作る。一回差では最後にペースを上げて追い付かれては困るので、あえて二回差にした、そんな風に思える程にグレンには余裕があった。

 楽勝と思えたコンテストだったが、思わぬ伏兵の登場にアルは気を引き締め直すのだった。

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