第27話 ケット・シー
昨年優勝したアレクの準決勝敗退、ファーガソン家の三人だけがショックを受けているのではなく、観客も騒然としている。それだけ一回戦の様子からは、予想外の結果だった。
事実、間近で見ていたアルとモーガンもアレクの圧勝を確信していた。
そしてグレンの底知れない力にアルは困惑する。力というのは一朝一夕で強くなるものではない。つまり一回戦と準決勝の戦いを見れば勝てるかどうかはすぐに分かる。
だがグレンが相手に合わせて力を出す以上、その実力は未知数。自分が上回っているかどうかが分からなかった。
「結局やってみなきゃ分からないか……」
顔を曇らせるアルをモーガンが怒鳴り付ける。
「アル!まだ準決勝終わってねえぞ!」
「ああ、すまん」
全く心のこもっていない謝罪ではあるが、モーガンはそれを指摘するようなことはしなかった。それはアルの考えていることが、理解出来たから。それと同時に、自分ではアルの相手にはならないことも。
結果はモーガンも健闘したが、アルが余裕を持って二十五回、モーガンは十五回だった。
これで決勝の組み合わせが決定し、開始は人出が一番多くなる十九時からとなった。
「アルさん、お疲れさまです。相手の方は強そうですね?」
「ああ、ちょっと不気味だな」
二人のもとにモーガンとアレク、ファーガソン家の三人がやって来る。
「アル君、決勝は勝てそうかい?」
ブレットも相手が底知れないことを理解しているようで、心配そうに聞いてくる。
「正直なところ分かりません。いずれにせよ、全力でやって上回られたら仕方がないというだけです」
「確かにそうだね。応援しているよ」
「はい、ありがとうございます」
憂いたところで、結局のところやることは同じ。力勝負なのだから、出し惜しみすること無く、ただ全力を出すだけ。
テントで作られた簡易的な控え室で、椅子に座るアルとセアラ。セアラはアルの集中を邪魔しないよう、何も言わずに手を握る。たったそれだけのことだが、アルの心を落ち着ける助けになっていた。
やがて十九時になり、決勝戦の舞台に呼ばれる。
「ありがとう、セアラ。行ってくる」
「はい、しっかりと見ておりますので」
「ああ」
アルは自身を真っ直ぐに見つめてくる、セアラの凛とした表情に思わず見惚れる。
シンプルな一言、それでもセアラの激励は、アルをこの上なく勇気づけてくれる。
「よろしく、アルさん」
「ああ、よろしく頼む」
気さくな感じで握手をしてくるグレンに、アルも応える。
決勝戦の種目は綱引き。単純故に、どちらが強いか一目瞭然。そしてアルの方針もやはり単純明快、瞬発力で一気に勝負を決めるつもりだった。
「綱を持ってください」
審判に促され、アルとグレンが綱を持つと、審判の手がゆっくりと上がる。二人は振り下ろされる瞬間を見逃さぬよう、審判の動きに集中する。
「レディー…………ゴー!」
アルとグレンが一気に力を解放して綱を引く。引く力に強いはずの綱から、ぎりぎりとちぎれそうな嫌な音がする。
スタートは互角、こうなればあとは力比べだ。アルは出し惜しみすることなく綱を引き寄せる。
体を大きく倒して上を向くような姿勢になっているので、グレンの様子を伺う余裕はない。
「アルさん!頑張ってください!相手も苦しそうですよ!!!」
セアラの大きな声援が耳に入ると、一気にアルが力を振り絞る。するとアルと同じような体勢だったグレンの体が、徐々に徐々に引き起こされ、遂には引き摺られるように前に倒れ込む。ここにアルの勝利が確定した。
「アルさ〜ん!」
表彰式で称えられるアルに向かってセアラが大きく手を振って、アルもそれに応える。
そして観客からは大きな拍手がアルとグレンに送られると、グレンがアルに近づいてくる。
「まさか負けるとは思わなかったですよ。それであの猫はどうするんですか?」
「妻にあげるつもりだが?」
「アルさん、あの猫は普通の猫じゃないですよ。だから私も欲しかったんですがね」
飄々と聞き捨てならないことを話すグレン。アルはその言葉が意味するところが分からず、困惑しながら聞き返す。
「どういうことだ?」
「危険なものではないので安心してください。それにアルさんなら多分分かると思いますので。それでは」
最後まで掴み所の無いグレンが、手をヒラヒラさせて人混みに消えていく。
表彰式が終わってアルはセアラ達のもとに戻ると、口々に祝福の言葉をかけられる。
「アルさん、おめでとうございます!」
「ああ、ありがとう」
「……あの?どうされたんですか?」
礼を言うアルの表情が少し曇っているのを、目敏く見つけたセアラがアルの顔を覗き込む。
「ああ、グレンがちょっと気になることを言ってきてな。とりあえず猫をもらいに行こう」
「そうでしたか、はい。行きましょう!」
やはり猫がもらえることが相当嬉しいようで、セアラは足取り軽やかに、鼻歌交じりで受け渡し場所へと向かう。
「あ、アルさんですね。優勝おめでとうございます。こちらが副賞の猫になります」
「猫ちゃん、おいで」
運営委員の男性から、ケージごと銀色の毛並みが美しい猫を手渡される。猫は大人しくしているが、アルとセアラの事を赤い瞳でじっと見つめてくる。
「はわわ……可愛いです……」
セアラがうっとりとした目で猫を見ると、アルは思わず笑みをこぼす。
「そうだな、とりあえず家に戻ろうか」
「はい、そうですね!」
二人は家に戻ると、早速、猫をケージから出して自由にさせてやる。猫は恐る恐る外に出ると、セアラの腕の中に飛び込む。アルはグレンに言われたことが気にかかり、猫をじっと観察する。
「これは……」
「アルさん?どうされましたか?」
「……呪いのようなものがかかっているな」
「え!?」
アルの物騒な言葉に思わずセアラが身を仰け反らし、猫を落としそうになってしまうが、猫はしっかりとセアラにしがみつく。
「ただ、タチの悪いものではないな。呪いと言っても姿を変える魔法に近い。解呪は出来そうだが、やってみるか?」
「はい、お願いします」
「分かった『解呪』」
アルが猫に手をかざすと姿が変わり、美しい銀髪と赤い目、白い肌の猫獣人の少女になる。
「……猫獣人、なのですか?」
「……いや……魔力量が獣人のそれではないな」
一般的に獣人はあまり魔法が得意ではなく、魔力量も少ない。目の前の少女は、明らかに魔法を使える魔力量を有していると分かる。
「それでは何なのでしょうか?」
「……初めて見るが……恐らくケット・シーだろう」
「ケット・シー、ですか?」
「ああ、いわゆる妖精の類いだな」
「……あの」
アルとセアラに向かってケット・シーの少女が、ビクビクしながら声をかけてくる。
「ああ、ごめんなさい。私はセアラ、あちらはアルさん。あなたのお名前は?」
「……分からない。何も覚えてないの」
少女は不安そうな表情を浮かべ、頭を振って答える。
「記憶喪失と言うことか。さっきまで猫だったことは覚えているのか?」
「はい、気がついたら猫になっていて……」
「アルさん、どうしましょうか?」
「……元いた場所に返すとしても、ケット・シーの集落があるなんて聞いたことがない。だからこの娘が唯一のケット・シーなのか、一族がいるのかもよく分からん」
アルとしてもケット・シーという存在がいるとしか、聞いたことがなかった。それは即ち、彼女を返す場所を探すことは非常に困難だということ。
「……アルさん、私たちで引き取りませんか?もしかしたら、そのうち情報が得られるかもしれません」
「……お前はどうしたいんだ?」
アルはセアラはすでに引き取るつもりになっていることを察し、ケット・シーの少女に水を向ける。
「……私、行くとこなんてありません……だから、ここに置いてもらってもいいですか?」
アルは嘆息する。セアラとの二人きりの時間がなくなる事は、アルにとっては大問題だ。しかし、そうは言っても、この娘を放り出すわけにはいかない。
「……分かった。名前をどうするか」
「それでは銀の毛並みなので、『シル』というのはどうでしょうか?」
「……シル、うん、私それがいいです」
やっと少しだけ笑顔を見せるシル。
「シル、ここで暮らすのであればお前は家族だ。もっと子供らしく話せばいい」
「……家族……私の家族」
家族という言葉に反応し、目を潤ませるシル。
「そうよ、シル。私たちはあなたの家族よ」
セアラがまるで本当の娘を諭すように、シルに優しく語りかける。
「……パパ、ママって呼んでもいい?」
おずおずと二人に尋ねるシル。アルとセアラは顔を見合わせ、頷き合う。
「ああ、そう呼べばいい」
「うん、私があなたのママよ」
「うん、ありがとう……パパ、ママ」
そう言うとシルはセアラの胸で、気持ち良さそうに目を瞑る。こうしてケット・シーのシルが二人の新たな家族、娘となった。
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