第3話 嘘

 セアラはアルを引連れて意気揚々と服屋に入ったものの、二人にとっては全くの初めての経験。見渡す限り服だらけで、一体どこから見たらいいものか皆目見当がつかない。完全にお上りさん状態の二人を見かねたのか、栗色の髪をした妙齢の女性が声をかけてくる。


「いらっしゃいませ、何かお探しでしょうか?」


 圧倒され呆然としているときに、不意に声をかけられビクッと肩を震わせる二人。なんとか取り繕ってアルが答える。


「彼女に服を探しているんだが」


 店員の女性はニッコリと慣れた笑顔を見せながら、さらに突っ込んでくる。


「そうでしたか、奥さまはどのようなものをお探しでしたか?」


 いきなりの奥さま呼びに二人は赤くなる。そう見られることは夫婦のふりをしている二人にとっては望ましいことではあるが、いざそのように見られると羞恥の念を禁じ得ない。


「そ、そう見えますか?」


 おずおずと店員に訪ねるセアラ。


「はい、もしかしてまだ恋人でいらっしゃいましたか?私の勘は外れないと評判なのですが」


「い、いえ。まだ新婚ですのでそう見れるのは初めてでして……」


「そうでしたか、とてもお似合いに見えましたので」


「あ、あ、ありがとうございます……」


 地雷原へと自ら踏み込んでいって、ダメージを受けているセアラにアルは胡乱な目を向ける。


「セアラ、どんなものがいいか言わないと」


 アルの一言で引き戻され、セアラは立ち直る。


「は、はい。えっと、家事をすることになるので、普段から着られるようなものがいいんですが」


「それでしたらこちらの方をご覧になられましたら良いかと」


 そう言って店員が通してくれたのは動きやすそうな服が並んでいるコーナー。こちらの世界ではあまり女性のパンツスタイルは浸透しておらず、長めのスカートをはくのが主流だった。


「お客様は非常にスタイルが良いので、どれを着てもお似合いになると思いますよ」


「あ、ありがとうございます。ちょっと見てみます」


 そう言ってセアラは一帯の服を物色し始める。とは言え初めてのことなのでなかなか決められず、結局アルに向かって助けを求めるような視線を向けてくる。しかしアルとしても女性の服の選び方など、到底分かるはずもない。何か参考になるものはないかと周りを見ると、試着室らしきものが至るところにあるのを発見する。


「セアラ、少しでも気になるものがあったら試着してみたらどうだ?」


「試着ですか?つ、つまりここにある物は、試しに着てみることが出来るということでしょうか!?」


 文字通りのことを、大発見のようにセアラが尋ね返す。


「ああ、あそこの箱の中で着替えればいい。それで気に入ったら買えばいいだろう」


「成程……そんな素晴らしいシステムがあったんですね……分かりました!何着か選んでみますね」


 光明が見えたと目を輝かせ、何着か選んで試着室に入るセアラ。アルは女性だらけの店に一人だけ残され、肩身が狭い思いをしながらも、黙ってセアラが出てくるのを待つ。


「アルさん、どうですか?」


 試着を終えたセアラがアルに服を見せてくる。


「俺は服の善し悪しなど分からん。それは似合っているとは思うが、自分で決めればいいんじゃないか?」


「いえ、アルさんに選んでほしいんです。似合っているかどうかだけでも教えていただければそれでいいので」


「……まあそれくらいでいいなら構わないが……」


 先程の定員も言っていたことではあるが、確かにセアラは顔もスタイルも抜群に良かった。恐らくほとんどの服を、造作もなく着こなすはずだとアルは思う。

 そこからセアラによるファッションショーが行われる。そして最終的にはただ一つだけを除いて、全部似合うという結果に終わる。唯一の外れは猫の顔がデカデカとプリントされたTシャツだった。さすがにそれは無いんじゃないかとアルも言わざるを得なかった。だがセアラは余程猫が好きなのか、あからさまに悲しそうな顔をしていたので、アルは寝間着として着てはどうかと提案すると、彼女は満面の笑みでそれを受け入れた。

 結局セアラは十着ほどの服と下着を購入した。やはりアルに申し訳なさそうな顔を見せるが、気にするなと言って次の目的地へと歩を進める。ちなみに下着コーナーにはセアラだけで行ってもらった。


「次は鏡台だが、先に昼飯を食べてしまおう」


「はい!」


 相変わらず二人は手を繋いで歩く。アルは収納魔法を使うことができるので、一週間分の買い出しをしたとしても荷物が増えて困るようなことはない。そのため鏡台のような嵩張るものを購入したとしても何ら問題なかった。

 二人が並んで町を進んでいくと、やがて屋台が立ち並んでいる大きな広場が見えてくる。ここでは雨の日以外はいつも屋台が出ており、アルもよくここで食事を済ませていた。


「アルさん!すごいです!お店が一杯ですよ!」


 大声を上げ、目をキラキラさせながらはしゃぐセアラ。それでもアルはいつもと変わらず無表情を崩さない。


「そうだな、何か気になるものがあったら食べてみるといい」


 うわーと言いながらアルの手を引っ張って屋台を見て回るセアラ。まあ町に出る機会がなければこうなるかもなと思い、苦笑してされるがままにするアル。そんなアルの表情を見て、セアラは一層嬉しそうに笑う。


「アルさん!あれ食べてみたいです!」


「ん?ああ、ホットドッグか。腹にもたまるし、いいんじゃないのか?」


 二人はホットドッグの屋台に並び一つずつ購入する。セアラは目を輝かせてホットドッグを見るとキョロキョロと辺りを見回す。


「あの、どちらで食べればいいんでしょうか?」


「どこ……と言ってもな、立って食べればいいだろう?」


「で、でもそれは……はしたなくないでしょうか?」


「屋台と言うのはそういうものだ。歩きながら食べたりもする」


 カルチャーショックを受けて目を白黒させるセアラ。元王女にしては感情表現豊かな娘だとアルは思うが、セアラが躊躇してなかなか食べ始めないので、嘆息して先に食べ始める。それを確認すると、ようやくセアラも恐る恐る小さな口でホットドッグをかじる。


「……美味しいです……なんだかちょっといけないことをしてる気分も楽しいかもしれません」


「そうか、しかしみんなしていることだ。周りを見てみるといい」


 二人の回りの人達が何も気にせず立ち食いを楽しんでいるのを見て、セアラも覚悟を決めてパクパクと食べ出す。


「アルさん、あっちのも食べてみましょう!」


「ああ、そんなに引っ張るな。ちゃんとついていくから」


「はい!」


 何気なくアルが言った一言がセアラには堪らなく嬉しく、今日一番の花のような笑顔を咲かせる。その後、結局焼きとうもろこし、唐揚げ、牛串、最後にわたあめまで食べた。食べる度にコロコロと表情を変えるセアラを見ていると、表情こそ変えないが少し面白いとアルは思う。


「うぅ……食べすぎました」


「そうだな、少し休憩しよう」


 二人は町の真ん中にある噴水の縁に腰を掛けて一息つく。


「はぁ、町ってこんなに楽しいんですね。お城にいるときよりもずっと楽しいです」


 そう語るセアラの表情は、その言葉が心からの物だと分かるほどに明るい。

 アルはそんな表情を見せるセアラが不思議で仕方がない。ほんの少し前に死ぬ思いをした元王女様が、こんなにも笑顔を見せられるものだろうか。よほど王城での日々がひどかったのだろうと推測はできるが、心の傷はそうそう治るものではない。実際アルも未だにあの時のことを夢に見てうなされる。聞いてはいけないと心がブレーキをかけようとするが、同じように傷を持つアルは抗うことが出来ない。


「……なんでそんな風に笑えるんだ?」


 そう尋ねるアルは自分がどのような表情をしているのか分からなかった。それは心底不思議に思っているような、酷く悲しいような、必死に助けを求めるようなそんな表情。

 セアラはそんなアルの心境を察したのか、真面目な顔をして話を始める。


「私、アルさんに嘘をついています」


 アルは何も答えない。ただ彼女の言葉を静かに待つ。


「アルさんと会うのは初めてじゃなかったんです」


「……知っていたのか」


 アルとて当然その可能性も考えてはいた。彼女は実は自分が誰なのか知っているのではないかと。


「はい。あなたはユウさんと名乗られていましたよね」


 アルの本当の名前は有(ユウ)であった。名前を変えてアルとして今は生きている。髪が伸びて、目の印象も変わり名前も変わっていれば、そうそう見つかることはない。


「実は風の噂であなたが生きてあそこの森に住んでいるということを聞きました」


 その言葉がアルの顔に焦燥の色を浮かべさせる。それが本当であれば自分のもとに追手が来るかもしれない。そんなアルの様子を見てセアラが続ける。


「心配要りません。この情報は私が苦労して掴んだものです。王国はあなたが死んだと思っており、調査などしていません」


 それを鵜呑みにするのならば、ますます意味が分からない。なぜ王国が調べないことを彼女が調べる必要があるのか。


「……なぜわざわざそんな情報をセアラが求める?」


「……私は……一目見たときから……アルさんのことが気になってしまい、あなたが王国に滞在中はずっとあなたのことを見ていました……あの日、あなたが死んだと聞かされて……私は信じられず、数少ない協力者に調査を依頼しました」


「……そして情報を掴んだというわけか」


「はい……かなり怪しげな情報屋だったようで、私も半信半疑でした。ですがそのあと国を追われた私には他に頼れる方もおらず、あなたのところを目指しました。あの日、一目見てあなただと分かりました。いくら私とて出会ったばかりの方に結婚を申し込んだりしません」


「…………それで、この先どうするんだ?」


「何も変わりません。私はあなたのそばにいたいのです。そうすれば過去にどれだけ辛い思いをしていても、笑うことが出来ますから」


 セアラの話はアルにとって理解できるものだった。彼女にとっては死にかけた思い出よりも、今の幸せの方が大きい。彼女が笑える理由はただそれだけ。

 そして自分が笑えないのはあの時の記憶が、心に大きな傷を残しているから。いつかそれよりも大きな幸せというものが、自分に訪れるのかは分からない。


「……アルさん、私は……あなたのそばにいてもいいのでしょうか?」


 不安そうな顔でセアラがアルに尋ねる。その瞳は涙で揺れている。


「……ああ、今まで通りでいい」


 アルは人に優しい。あの日以降、人を遠ざけ続けたが、今も昔もそれは変わっていない。だからアルにはセアラを拒絶することはできない。それをしてしまえば、彼女が自分と同じように人に絶望することは想像に難くないのだから。


「うぅ……あ……ありが……とう……ございま……す」


 アルの言葉を聞くとセアラの目から涙がポロポロとこぼれ、思わずアルの胸のなかに飛び込む。本当は早く打ち明けてしまいたかったが、好きな人のそばにいられるこの生活が終わってしまうのではないかと思うと言い出せなかった。

 それでも今言わなくてはならないとセアラは思い、アルもそれを受け止めてくれた。このとき彼女の心は決まった。今は自分がアルに頼っているだけ。だからいつかアルが自分を頼ってくれるような存在になりたいと。互いを支え合えるような二人になろうと。

 アルは周りの視線を気にして少し困惑するものの、何も言うことなくそのまま彼女の震える背中をさすり続けた。

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