第2話 買い物

「私も家事をします!」


 昨日アルはセアラに押しきられる形で結婚することになった。といっても結婚しているフリではあるが。

 人里から離れた場所での独り暮らしよりは、夫婦の方が身分を隠しやすいかもしれない。アルはそうして無理矢理納得することにしていた。

 そして今、セアラは両の拳を胸の前で握り、分かりやすくやる気を漲らせて、アルに家事をすると宣言してくる。


「……出来るのか?」


「いいえ、ですからアルさん教えてくださいね」


 きっぱりと言い切る彼女の潔さは、いっそ清々しさすら感じさせるものではあるが、面倒な事この上ないので大きなため息をつく。

 正直なところ、アルはたまに生活費のために、森の奥でモンスター狩りをする以外は特にやることがない。そんな彼にとって家事は負担になっていないし、時間を潰せるのだからむしろ有り難いくらいだった。

 そういう状況のため、セアラにやってもらう必要は全くないのだが、本人に譲る気は微塵もないようだった。そして彼女と議論を交わしたところで、勝てそうにないのは昨日でよく分かっている。そんなわけで仕方なくアルは一緒にやることにする。


「……とりあえず朝食にしようか。まずは卵を取りに行く」


 セアラはニコニコしながら返事をしてアルについて行く。アルの家の裏には小さな鶏小屋があり、そこで鶏を三羽飼っている。そして今日は三つの卵が産まれていた。


「今日も貰ってくよ」


 アルは鶏に餌をやると声をかけて卵を貰っていく。セアラは上機嫌なままアルの様子を見ている。何がそんなに楽しいのかよく分からないアルは、怪訝な目を向けるが彼女は全く意に介さずに見返す。


「セアラは食べられないものはあるのか?」


「いえ、何でも食べられます」


「そうか、朝は簡単にベーコンエッグとパンと野菜スープでも作ろう」


 そう言うと手際よく作り始めるアル。セアラには何をやってもらおうかと悩むが、ベーコンエッグなら大して味付けをしないから大丈夫だろうと作り方を教える。

 まずはフライパンをコンロ型の魔道具で熱し、ベーコンを焼き始める。脂はベーコンから出るので敷かない。やがてベーコンの片面が焼けてきたらひっくり返して卵を投入。好みの固さまで焼いて塩コショウをすればOKだ。

 OKなはずなのだが、アルが野菜スープを作るために少しだけ目を離した瞬間に、焦げたベーコンエッグが出来上がっていた。


「……まあ最初だしな。そのうち出来るようになる」


 がっくりと肩を落としているセアラにいつもより優しく声をかけるアル。


「すみません……火を消そうと思ったら逆に強くしてしまって……」


 アルはどんな間違い方だと言いたくなったが、きちんと教えなかった自分が悪いと思い直す。


「気にする必要はない。食べられないことはないんだからさっさと食べてしまおう。買い物にも行かないといけないしな」


「買い物……ですか?」


 不思議そうな顔をして聞いてくるセアラ。アルは朝食をテーブルに並べながらその疑問に答える。


「ああ、この家には物が少ない。女性が暮らすには不便だろう」


 二人が席につき朝食を食べ始める。ベーコンエッグは確かに焦げているが許容範囲だ。


「私の物をですか?そんな、勿体ないです」


「そうは言っても服すらないんだぞ?さすがにそれは困るだろう」


 もっともなアルの意見にセアラは何も返すことが出来ない。事実今も服はアルのものを借りているが明らかにサイズがあっていないし、下着もここに来たときに着けていたものしかなかった。


「すみません、いつかお返ししますから」


「気にするな。結婚しているふりをしているんだから、これくらいは普通の事だ」


 アルの言葉にセアラは一瞬驚いた表情を見せるが、すぐに破顔する。そして一つだけ欲しいものをアルに告げる。


「アルさん、私、鏡が欲しいです」


「鏡か……確かに女性には必要なものだな。なら鏡台でも買うとしよう」


「え?手鏡で十分ですよ?」


「遠慮する必要はない。少しは収納があった方がいいだろう。ここは本当に何もないからな」 


 アルの家は質素なもので、一階にはLDK、二階には二つの部屋と物置があるという間取りだ。そして彼は収納魔法の使い手ということもあり、物をあまり持つ必要がないので、家の中はがらんとしている。

 しかしセアラの物までアルが収納しておくわけにはいかないし、女性となると細々した物があるイメージだったので、鏡台があった方がいいだろうという判断だった。


「セアラは王女だった割には、質素な生活をあまり厭わないように思えるんだが?」


「……はい。私はあまり手をかけられておりませんでしたので……」


 セアラの表情があからさまに曇ったので、アルはこれ以上は踏み込まない方がいいだろうと判断し、話を切り上げる。予想できるところとしてはセアラの母は正室ではなく、側室なのであろうということ、それもあまり序列の高くない。

 アルクス国は本当に魑魅魍魎が跋扈しているような国だった。召喚されて旅に出るまでも、そこら中で権力争いのせいなのか人が死んでいた。だからセアラが殺されかけたと聞いても、さもありなんとしか思わなかった。

 恐らく勇者である自分を殺そうとしたのも、英雄なんてものは邪魔だからであろう。手柄だけ横取りして道具は捨てる。実にあの国らしい考え方だとアルは思っていた。


「ごちそうさまでした。美味しかったですアルさん」


 いつの間にか、いつものニコニコした表情に戻ったセアラがアルに声をかけてくる。


「ああ、片付けをしたら出掛けるとしよう」


 アルはもう自分にはあの国には関係ないと思考を切り上げ、片付けを始める。片付けはアルが食器などを洗って、セアラが拭いていくという役割分担。アルは先程の料理の様子から、彼女はもしかしたら相当なポンコツで、食器を割りまくるのではないかと思ったが、どうやらそうではないようで安心していた。

 全ての洗い物を終え、出掛ける準備を始める二人。さすがにセアラに自分の服を着させて町に行くのはどうかと思ったので、最初に着ていた服を魔法で簡単に直しておいたものを彼女に渡す。


「アルさんすごいです!ありがとうございます」


「別に大したことじゃない」


 大事そうに胸に抱えてセアラが心を込めたお礼をアルに伝える。彼女はお礼など自分の気持ちをストレートに伝えてくる。それがアルには眩しく、少しくすぐったくて思わず目を逸らしてしまう。

 自室で服を着替えたセアラと共にアルは町へと向かう。町へは三十分ほどは歩かなくてはならず、王女だった彼女には少し辛いかと思ったが杞憂に終わる。少しペースを落としていたとはいえ、彼女は常にアルの横を息を乱すことなく町まで歩き続けた。 

 町の名はカペラ。自由都市という形式を取っており、複数の商人達が都市の運営をしていた。

 かなり大きな町であり、各国との貿易も盛んなようで、欲しいものは問題なく揃えることができる。アルは行ったことがないが、近くにはダンジョンもあるらしく冒険者も多く見かける。


「アルさん、手を繋ぎませんか?」


「……なぜだ?」


「夫婦ですから」


「……そういうものなのか?」


「はい、そういうものです」


 言われるがままに手を繋ぐアル。セアラの手は小さくて柔らかく、女性だと再認識してしまう。

 気恥ずかしい思いをしながら歩いていると、周りから鋭い視線を感じる。アルはセアラを狙った追手かと思ったが、そうではなかった。アルは週に一度はこの町に来ているので、それなりに顔を知られている。そしてアルには町の人間と交流を持とうとしない変わり者だと思われているという自覚もあった。

 そんなアルがきれいな女性と手を繋いで歩いている。見るなという方が難しいだろうと思いながら周りを見渡すと、あることに気付く。


「セアラ、夫婦らしき人たちでも手を繋いでないように思うのだが?」


「きっとあまり仲がよろしくないのではないでしょうか?私たちは新婚ですのでこれが普通です」


「……そうか」


 いつもの笑顔で言い切られると不思議とそんな気がしてくる。まるで魅了や洗脳の類のようだとアルは思う。


「セアラはこうして町を歩くようなことはあったのか?」


「いえ、私はほとんど城から出たことがありませんでした。一度だけお忍びで出たことはありましたが」


「……王女とはそういうものなのか?」


「中にはお供を連れて出歩く方もおられました。ですが私にはそのようなお供もおらず、自由もありませんでしたから」


 またしてもセアラの顔が曇る。彼女にとって城の日々はただただ辛いものでしかなく、アルはわざわざ思い出させることもあるまいと話題を切り替える。


「今日の目的は服と鏡台だな。とりあえず服から見るとするか?」


「はい、初めての事ですので楽しみです。でも本当にいいんですか?」


「ああ、遠慮する必要はない。あそこの店は服屋か?」


 二人は目についた女性物の服が多く売っている店に入る。アルにとっても初めての体験なのでアウェー感がひどく、思わず気後れしてしまう。


「アルさん、どうしたんですか?色々見てみましょう」


「こういう店は初めてでな。どうしていいかよく分からん」


「そんなに気にする必要ないですよ。他の方も夫婦や恋人同士で来ているようですし」


 不慣れなはずのセアラに引っ張られ、店の奥へと引き込まれるアルだった。

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