結婚編

第1話 私と結婚してください

「……無様なものだな、勇者よ」


 魔王が見下ろすのは異世界から召喚された勇者。その背中にはまだ出来たばかりの大きな切り傷と酷い火傷。

 渾身の一撃で魔王を倒したと思ったその時、彼は背中を切り裂かれ魔法で焼かれた。だがそれは目の前の魔王の仕業ではなかった。

 心の底から信じてきた仲間からの攻撃によるものだった。そして彼らは、魔王と勇者が目論み通りに共倒れになったと判断し、去っていった。

 勇者の目にはもはや生きる気力が見られない。頼れる者もいない異世界で信じた仲間に裏切られ、目の前には倒したと思った魔王がいる。彼は自分の命の終わりを悟っていた。


「……殺すなら早くしてくれ」


 無駄な話はしたくないとばかりに感情を込めずに彼は言う。


「……憐れなお前を殺す必要を感じぬな……その代わり呪いをかけさせてもらおう」


「……呪い、だと?」


「そうだ、自死の封印。それがお前への呪いだ」


 もはや魔王を倒して元の世界へ戻るということも叶わず、その上信じた仲間に裏切られた勇者には、生きる希望などない。


「……魔王っていうのは趣味が悪いんだな」


 勇者の精一杯の悪態に、魔王は乾いた笑いを見せる。だがその表情から察することが出来るのは、それが嘲笑というわけでは無いということ。まるで心からの憐れみ、あるいはもっと別の……


「話は終わりだ、仲間に裏切られた絶望にまみれて生きるが良い」





 それから半年後、元勇者ことアルは自宅のある森の前に立って困惑している。


「……行き倒れか?」


 アルの目の前には、いかにも旅人というような外套を纏い、腰までありそうなほどの金髪を持つ女性が倒れていた。ひどく衰弱している様子で、ケガも所々しているように見受けられる。見捨てようかどうしようか迷った挙句、仕方ないと諦めてアルはその女性を抱き抱えて自宅へと連れ帰る。


「……これは酷いな」


 アルは女性を治療するために俯せに寝かせ、真っ赤に染まった衣服を切って背中を露出させる。そこには無数の切り傷が存在しており、荒事に慣れているはずのアルですら思わず顔を顰める。一つ一つの傷は浅いものの、このままでは出血によって命を落とすであろうことは想像に難くなかった。また、着ている服はボロボロながらも上等なもので、貴族の娘か何かであろうと推測できた。


 アルはあの日、あの時から人に絶望し、最低限だけしか人里へと赴かない生活をしている。そんな彼が貴族の娘を家に連れ帰るなど、面倒事の予感しかなかった。とはいえ連れ帰ってしまった以上は仕方がなく、あのまま放っておくのも寝覚めが悪いので、早々に治療して出ていってもらうことに決めた。

 アルは拾った女性の背中に手を掲げると、回復魔法を発動させて治療を施す。みるみるうちに傷が全て塞がり、白くきれいな肌へと生まれ変わると、アルは自分の衣服を着せながら女性の顔をまじまじと見つめる。


「……?どこかで見た気がするな……」


 しばらく考えたが答えは出ず、とりあえず今は寝かせておこうと寝室に向かいベッドに横たえる。寝ている間に何かあってはいけないので、アルはベッド脇の椅子に腰かけて読書を始める。

 その女性は丸一日起きることはなかったが、アルはそこを離れることはなかった。背中の傷を見たときに、彼女が自分に重なって見えてしまった。自分のようになにか辛い思いをしてここまで来たのだろうと思うと、離れがたくなってしまっていた。


「……ここは?」


 女性が目を覚まし視線をさまよわせる。その瞳は少し紫の入った青、瑠璃色をしていた。


「目を覚ましたか」


「……あ!…………あなたが助けてくれたのですか?」


 その瞳がアルを捉えると、女性の顔が驚きに染まるが、彼はそれを気に留めることは無く話を続ける。


「行き倒れているのを拾っただけだ」


 ぶっきらぼうに言うアルの様子に女性が少しだけ笑顔を見せる。


「それを助けてくれたと言うんですよ」


 アルはなにも答えない。人と会話らしい会話をするのが半年ぶりで、自然に言葉が出てこない。そんなアルの様子が心配になったのか、女性が体を起こそうとする。


「まだ寝ていろ。回復魔法はかけたが大分衰弱している、なにか食べるものを用意してくる」


「……はい。ありがとうございます」


 アルには自分が抱いている感情が良く分からない。なぜ自分は彼女に親切にしているのだろうかと疑問が湧いてくる。その疑問に深く向き合うこと無く、さっさと出ていってほしいからだと早々に結論付けると、彼女のもとに卵粥を持ってくる。


「卵なんていいんですか?」


「心配要らない。鶏を飼っているからな」


 卵は栄養価が高いが、それなりに高級品だったので女性は感激している。


「ありがとうございます。いただきます」


 女性はやはり空腹だったようで、冷まさないままに食べようとしてしまう。


「あ、熱っ……」


 思わず涙目になる女性を見てアルは嘆息する。


「粥は熱い。当たり前のことだろう?こうやって掬ってから息を吹き掛けて冷ますといい」


 手本を見せるようにアルが卵粥に息を吹き掛けて女性の口に運ぶと、女性は顔を赤らめながらそれを口に含む。


「……あ、ありがとうございます。あまり熱い物を食べることがなかったので……とても美味しいです」


 女性が微かに微笑む。貴族だから毒味でもあるのかとアルは不思議に思うが、そこまで興味はないので聞き流す。


「後は自分で食べられるな?」


「はい、ありがとうございます」


 その後は熱がることもなく、女性はゆっくりと卵粥を完食し、とても美味しかったとアルに丁重なお礼と味の感想を伝えてくる。適当に相づちを打つアルが、食器を片付けながら女性に話を聞く。あまり気は進まないが一応確認しておかなければならない。


「それで……お前は帰る場所はあるのか?」


「っ!……いえ、ありません……」


 アルの言葉に肩を震わせ俯き加減になりながら、女性が消え入りそうな声で答えると、予想通りの答えにアルが渋面を作る。あんなところで行き倒れているくらいなのだから、当たり前のことだろうとは思う。それでもやはり面倒事だったかと気を重くする。


「……回復するまではいてくれても構わんが、いつまでもここに居るわけにはいかんだろう。それまでに身の振り方を考えておくといい」


「……はい。あの、私セアラと言います。お名前を伺っても?」


「アルだ」


「アル様ですね」


「様はいらん」


「ではアルさんで」


 ニコニコしながら言うセアラにアルは調子が狂うと思いながらも渋々了承する。どうせすぐに出ていくのだから、呼び方にこだわるのは不毛だと自身に言い聞かせる。


 それから一週間アルはセアラを献身的に看病をする。アルに言わせればさっさと追い出すためではある。しかし彼自身気付いていないことではあるが、やはり人と触れ合うということに心地好さを感じているのも確かな事実だった。

 その甲斐有ってセアラは、一週間後には自由に動き回れるほどに回復していた。


「セアラ、もう大分元気になったと思うが、これからのことは決めたか?」


「はい!」


 アルは少しだけ寂しいような気持ちもあるが、とりあえず面倒事が片付いてよかったと思い、セアラに続きを促す。


「アルさん!私と結婚してください!」


 セアラの突然の申し出に思考停止に陥り、眉間を抑えるアル。少しの沈黙の後、可能な限り平静を装ってその意を問い質す。


「……どういうことなんだ?意味が分からないんだが?」


「私はここにいたいのです!」


 行くところがないのだからその主張自体は分からないでもない。だが年頃の女性が、同年代のよく知らない男性相手にそれを言うのはどうかとアルは思う。


「ここにいたいと言うのは分からんでもない。頼るところもないのだろうしな。だがなぜ結婚となる?」


「年頃の男女が一つ屋根の下に暮らす。結婚が一番自然な形だと思いますが?」


 アルが今度は顎に手をあて、眉間にシワを寄せる。言っていることは無茶苦茶であるはずなのに、セアラの勢いのせいで正論のように聞こえてくる。どう考えても自分の方が正しいのに、論破されそうな気がしてしまう。


「そうだな、年頃の男女が一つ屋根の下というのは色々とまずいだろう?」


 常に感情を出さないよう努めているアルの声が大きくなってしまう。


「ええ、ですから結婚していれば問題はないかと」


 この議論は堂々巡りだと思い、アルが別の切り口から攻める。


「しかし結婚となれば当人同士の気持ちが大事だろう?」


「私はアルさんでしたら構いません。アルさんは嫌ですか?」


 セアラのあまりにも直球な物言いにアルは困惑する。


「しかし……俺はセアラのことをよく知らん」


「私もアルさんのことはよく存じ上げません。ですがアルさんはいい人です」


 アルはセアラの様子にもはや適当な言い訳で言い繕うのは無理だと察し、本音をぶつける。


「……俺は人が嫌いなんだ。出来る限り関わりたくないと思っている。だからここに住んでいる」


 アルの真剣な口調にセアラが一瞬怯むが、それでも引かずに攻め込む。


「……私はアルクス王国の王女でした、と言っても序列としてはかなり下の方でしたが……ある日、他の王女たちからあらぬ疑いをかけられ王国を追放されました。そして彼女達は事が露見しないよう、私を亡き者にしようと追手を放ち、命からがら私はこの森へとたどり着いたのです」


 その話を聞いてアルは得心が行く。かつてアルクス王国に召喚された自分は彼女と会っている。そのときは短髪で目にも覇気があったと自分でも思う。今の自分はだらしなく伸びた髪と、生きる気力を失った目をしており彼女が気づかないのも無理はないだろうと。

 アルからすればセアラも自分も近しい人間から裏切られたもの同士、よく似ていると思えた。だが決定的に違うことがある。


「……なぜそんな目に遭ったのに人と生きようとするんだ」


 問いかけるわけではなく、呟くようにアルは言う。人が裏切るのならば遠ざければいい。わざわざ再び人に近づく意味が分からない。


「裏切られたからこそ、ですよ」


「どういう意味だ?」


「そのままの意味です。確かに私は裏切られました。でもアルさんと出会い、もう一度人の温かさを知ることができました。裏切られたからこそ、もう一度人を信じたい。人の温かな心を感じたいと強く思うんです」


 言っていることの意味は分かる。それでもアルには理解が出来なかった。


「俺には分からない……」


「アルさん、人は温かいんです。確かに中には裏切ったりする人もいるでしょう。ですが私はあなたを決して裏切りません」


 自分に向けて真剣な眼差しを向けてくる彼女を誤魔化すような言葉をアルは持っていない。もはや彼女の望みを聞くしかないような気がしてしまう。


「……分かった。念のために言っておくが結婚しているふりだからな」


「はい!それで構いません!今後ともよろしくお願いします」


 満面の笑みのセアラと、大きなため息をつくアル。人に裏切られた二人による奇妙な新婚生活が始まった。



※あとがき


読んでいただきましてありがとうございます。評価いただけますと嬉しいです、よろしくお願い致します!

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