第3話

「くひ、ひひひひ……」


自らの口から笑い声が漏れてしまう。別段楽しい訳ではない、むしろ気分は最悪。一度、戦争の視察で訪れた時に通った汚道の途中で、頭が潰れて死んでいたネズミにアリが集っていた光景を見た時よりも気分は悪い。

だがそれでいて気分は昂揚している。今にも吐きそうなのに未来への希望が光輝くような気分が矛盾しながらも共生している。今まで麻薬など売りはすれど使ったことは無かったが、きっとそいつらも同じ気分を味わっているのではないだろうか。

だがまだ己はマシの方だと思わざるを得ない。目の前で虚ろな目をしながら時折ビクンビクンと痙攣する護衛を見るとそう思う。

何とか気分を落ち着かせようと呼吸を整えていると馬車が大きく揺れた。かと思うと、パノラマのように流れていた外の景色はただの静止画像のように固まってしまった。


「おい、何があった! さっさと馬車を動か……」

「はいはい、少しお邪魔しますよ」


御者を叱りつけようと大声を出したその瞬間に鍵がかかっていたはずの扉が開けられ、そこからボロを着込んだ中肉中背の眼鏡をかけた男が乗り込んで目の前へと腰かけた。隣で白目を剥きながら痙攣して動かない護衛など気にする素振りも見せずにただ淡々としたいた。

ただでさえ気が動転していた中で起きた出来事。いつもの怒声も忘れてしまっていたが、ハッと我に返ると目の前の不審者を問いただした。


「貴様、このワシを誰かと分かってやっているのか! 貴様のこの行為がどのような意味を持っているのかを」

「別にどうだっていいでしょ。それよりアンタ顔色悪いけど何か変なモノでも見たのか? 例えばこんな物とか」


そうして取り出されたのは薄い半透明の瑠璃色をした何かの破片。端から見ればただの陶器かそれとも宝石か。何にしろただの破片にとしか見ることが出来ない。


だがこれをただの破片と見れない者がここに一人いた。


貴族の男は不審者の取り出した破片を目にした途端、安定した息がまた乱れ始め、目の焦点が合わずに揺らめき出した。

それを見て確信したのか。不審者は破片を再び服の中に仕舞うと、グッと詰め寄り問いかける。


「この破片を見た場所を言え。その様子だとこれがどんな物かは知っているな。もし言わないならそれでも良い、だがもちろん分かっているだろうな?」


今にも泡を吹いて倒れそうな貴族は不審者の手が何かキラリと光ったのを目撃した。このままだとマズイ、よりにもよって護衛が気を失っているタイミングに襲われるとは。早く、早く……


「早くワシを助けろ! この男を馬車から遠ざけるのだ!」


狭い馬車の中でその声が響いた瞬間、痙攣すらも起こさなくなり、完全に気を失っていたはずの護衛は白目のまま瞳孔を剥き出しにすると不審者の首を鷲掴んだ。

突如の行動、そして片手とは思えないほどの力で握れることに不審者を驚かせた。

そして片手で掴んだ腕を大きく横へ傾けると、そのまま力一杯に馬車の壁へと不審者を叩きつけた。

その勢いは木製の壁などが耐えられるはずもなく、粉々になった木片を生み出しながら不審者は外へと叩きつけられた。


「……渇く。体が、体が渇いて仕方がない。血が、血が足りない!」


不穏な言葉をこぼしながら護衛の男は身体中を掻きむしった。力強く、それは皮膚がボロボロと剥けていくほど強く。

やがて剥けていく皮膚の中から煌めく何かが露になっていく。


(あぁこれだ。あの時見せたおぞましい姿に変化する。だがこれで俺の身は安全だ!)


皮膚が剥け、中の煌めきは完全に露となった。光沢を持った緑色の鱗、白目は血走り鋭くなる。口が裂け、歯は大きく鋭い物へと変貌し、肥大化する体は馬車の中につっかえそうになる。服は巨大化する度にボロボロに破れていく、そして背中から巨大な尾が生えたことでもう二度と着られる物ではなくなった。

貴族の目の前にいる男はもう人間ではない。巨大でおぞましく、ただ血に飢えた蜥蜴の怪物だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

PROFESSOR LIZARD 坂口航 @K1a3r13f3b4h3k7d2k3d2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ