牛鬼

 暗がりの廃ビルで、ソファの上に一人の少女が足を組んで座っている。

 明るく染めた髪に、快活な美貌を持つ、高校生くらいの少女である。

 少女の目の前には、柄の悪い男が数人、緊張した面持ちで少女を見ている。

 蛇に睨まれた蛙。

 そんな表現が似合いそうな光景だった。

 少女が蛇で、男達は蛙だ。

 そこに、二人組の男がやってきた。

 少女は男達を見て、ため息をついた。

 その呼気のあまりの臭気に、男達は顔をしかめる。

 まるで、劇薬のような刺激のある臭いだ。

「で、首尾は?」

 声質は少女のものではない。

 威圧感のある男性の声であった。

「し、しくじりました」

 少女は黙って続きを促す。

 右手に包帯を巻いた男が焦ったように叫んだ。

「ひょ、標準は完璧だった! ひとりでに矢が避けたんだ! 本当だ!」

 その言葉に少女は形の良い眉をピクリと動かし、ため息をつく。

「天照か、忌々しい」

 少女はしばし瞑目し、ため息をつく。また臭気で、男達がうめいた。

「お前達、とっととあの二人をつれてこい。痛めつけてな」


「わ、わかりました」

「ああ、それと」

 包帯をつけた男が、とたんに喉を抑え苦しみだす。

 男はしばし、顔を蒼くし、喉を掻き毟る。

「敬語を使え、お前達」

「わ……わかり……ました」

「ならよい」

 男達は、めいめい走って、その場から逃げ出した。

 男達に襲われて殺されかけた少女に取り付いてはや一週間。

 男どもを使って霊能者を倒しに行かせたはいいものの、あまりにも使えなかった。

 いや、その神殺しが強いというのもあるのだろう。

「忌々しい西の神め、やつに痛めつけられてさえなければ霊能者の一人や二人……」

 数週間前、ハーブとやらをかき鳴らす神格に叩き伏せられ、牛鬼は力の大部分を消耗してしまった。

 それさえなければこのようなリスクの大きいことをせずともよかったのに。

「まあ良い、人の身ならば、俺を倒すことなどできはすまい」

 そう独り言ちて、牛鬼は眠りについた。


 釧灘大和は、ほとんど一人暮らしである。

 ほとんどと言うのは、叔父夫婦が近所に住んでいて時折様子を見に来るが、ほとんどは父親の残した家で一人暮らしをしているからだ。

 母親は、祖父の家に出戻っている。

 とにかく、大和は一人で一軒家に住んでいた。その方が都合がいいからである。

 勿論セキュリティは万全だ。民間の警備保障に委託し、警報を鳴らせば数分で警備会社から人が来る。

 だが、本日は、昼に襲撃を受けたので、井上勇美が家に泊まりに来ている。

 井上勇美が家に泊まりに来ている。

 そう、来ているのだ。井上勇美が。

「何かボーっとしてるけど、大丈夫か」

 井上雄大とともに。

 彼は、愛知県警に所属する刑事であり、その実態は、釧灘大和や井上勇美の保護を主目的とする、政府のエージェントである。

 その格闘技術は日本の警察の中でも最強クラスに高い。

 そして、井上勇美の従兄でもある。

 釧灘大和と井上勇美は、料理を作っていた。

 メニューはチキンソテー、ツナサラダ、かぼちゃの煮物、そしてキャベツたっぷりの豚汁。

 かぼちゃを切りながら、勇美は、大和に聞いた。

「大きい鍋どこ?」

「足元の棚」

 ふと見ると、雄大が消えていた。

 トイレかなと思い、鶏肉を観音開きにする大和。

 その直後、男の野太い悲鳴が響いた。

 ドタバタと、足音が響き、雄大が駆け込んできた。

「お前! 何だあの瓶詰めされたムカデやチョウチョの山は!?」

「昆虫採集です」

「んなバイオレンスな昆虫採集があってたまるか!?」

「まず人ん家で物漁んなよゆうにい」

「それは悪かったが! 何のためにあんなことを」

「あれだろ? 毒針の材料だろ」

「うちの従妹が彼氏が毒針作ってんのに全然動じてないんだけど?!」

「彼氏じゃないって」

 ぎゃーぎゃーと騒ぐ二人に大和は笑った。その大和に二人がツッコむ

「いや、お前のせいだから」


 鶏肉は生姜を効かせ、自家製のハーブで味付けしてある。

 ツナサラダはレタスにオニオンスライス、大量のトマト、ヨーグルトのドレッシングで和えている。

 豚汁はバラでなくロースを使いで油少な目に。

 肉じゃがはさやいんげんを加えて彩をよくした。

「うめえうめえ」

 この場で最年長の男が一番に多く食べている。

「よく噛んで食べてくださいよ」

 大和は童話のような山盛りのご飯を切り崩しながら注意する。

「ガキか俺は。食い終わったらストライクベイビーズやろう」

 ストライクベイビーズとは多人数用格闘ゲームである。

 10年以上続くシリーズで、

「やめてゆうにい、恥ずかしい」

 勇美が顔を赤らめながら言う。

 テレビでは福岡県で起きた暴力団襲撃事件の犯人が本州で潜伏しているとのニュースが流れている。

「くそつまんねえな。池の水見よう」

「いいんですか? 仕事に関係あるニュースでしょう」

「いいよ、休みの時に仕事は思い出したくない」

 大人は大変だ。

 

 一緒になって片付けをし、一緒になって遊ぶ。

 父親と死別し、母親と離れ離れになった釧灘大和にとって、この時間はとても楽しかった。

 

 三人でゲームをやりながら、学校の話をする。

「お前らいつも二人でいるけど、学校で友達とかちゃんといるの?」

「私は陽美香がいるよ」

「俺も海原がいますよ」

「……一人か」

 勇美のグレネードが雄大のキャラクターを叩き潰し、大和が追撃する。

「……確かに」

 大和が呆然と呟く。

「いや、私はいるから!?」

「お前ら性格悪いぞ」

 そう言ったあと、雄大は急に真剣な顔つきになる。

「大和君、何か武器になるようなものあるか」

 その言葉に、大和と勇美も表情を変える

「ええと脇差ならここに」

 大和はテレビ台の棚から小ぶりな鞘刀を取り出した。 

「思ったより上等かつ物騒なものがあった」

 そう言って、雄大は庭への勝手口に近づく。

 タイミングを見計らって窓を開けると、バットを持った男が倒れこんできた。

 男は、窓をバットで叩き割ろうとしたのだろう。

 雄大は前蹴りをあばらに叩き込む、男は喀血し倒れた。


「さて、お楽しみの時間だなブラザーズ 気配は、5ってとこか」


 ドッという発射音と雄大の手に矢が握られたのが同時だった。

 さらに逆の手で矢を掴み、もう一本の矢を首をひねって回避する。

 雄大は次弾が装填される前に近づき手刀横顔面打ちを叩き込む。

 糸が切れたように倒れる男を一足飛びで飛び越え飛び蹴りを叩き込む。

「一丁前に武装してんじゃねえや半グレども!」


 大和は、井上を背中に守りながら、華麗な雄大の動きを見据えていた。

 熊のようなパワーと猫のような俊敏さ、両方を兼ね備えた動きであった。

 勇美は携帯で通報しながらも、完成された空手の動きを目に焼き付けた。

 そこに玄関を破ってきたのだろうか、覆面を被った男が二人なだれ込んできた。

 大和は入ってきた男に脇差から抜き差しの一撃を放ち、男の内ももを切り裂く。

 返り血が、大和の顔にかかる。

 男は悲鳴を上げて倒れこんだ。

 そして、最後のボウガンを構えた男に袖口から毒針を抜き放った。

 腕に刺さり、もんどり打って悲鳴を上げる男。

 そこに、雄大の一撃が顔面に叩き込まれた。

「怪我ないか」

「そこの男よりひどいってことない」

 勇美は言った。

「言うね」

 雄大は笑ったあと、不意に倒れこんだ。

「雄大さん!?」

「従兄さん!?」

 見ると、男達も、雄大も、もれなく顔色を真っ青にして倒れこんだ。


「こいつら、既に牛鬼に憑かれている!

 返り血を浴びると毒に侵される」


 牛鬼とは、疫病を介する鬼である。

 牛鬼を討伐した武士が何人も、病に伏せて倒れたという。

 牛鬼の怪異なる毒に、雄大と男達の肉体が蝕まれているのだ。

 

「どうすればいい」

「……牛鬼を倒すしかない」

 大和の問いに勇美は、常人には見えない紫炎を瞬かせ、答えた。

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