【第5章・やっぱりおれたちにはビタミンが足りない】『ビタミンなんていらないと言い続けていた時代』
『ビタミンなんてどうでもいい夜もあるよ
ポテチかけた白飯喰って舌を出す
ヘルシーなやつらはえらそうだから、みなごろし
「夜は眠りなさい」
そんな正しさにむかっ腹が立つんだ
枕なんか燃やして
夜中じゅう走って
君に会いにいきたいよ
役に立つことなんか嫌いだ
君とふまじめな話をしながら、じゃれあいたい
「いつも有害な本を読んでたあの子が死んだんだって」
「どうしようもないやつだったな、それより」
なんて、不謹慎に笑うんだ
君が笑いつかれてねむるころ
こっそり、枕の燃えかすに顔をうずめて
そっと一人で泣きたいよ』
肘井の演奏に助けられながら、メロディなんかありゃしない歌を叫び、声を絞った。肩で息をしながらも、不思議と疲労感はない。
おれが歌い終えると、熱っぽい会場を沈黙が包む。
その静寂は、さっきのドラムの音よりもうるさく感じた。
拍手もない。こちらが次に何を言うか、息を呑んで見守ってくれている。
おれの力じゃない。肘井のドラムが、客の心をつかんだからこそ、おれの歌だって聞いてもらうことができたのだろう。
「『有害図書委員会』。ドラム、肘井四十八手」
肘井を振り返り、指差す。
「……」
肘井は一瞬怪訝そうにするが、すぐさま反応して五秒ほどフリーでドラムを叩き、「松葉崩しぃぃぃ!」と叫ぶ。(……このときは訳がわからなかったが、好きな体位を叫んでいたらしい)
「ボーカル、根岸五臓六腑」
「……」
目の前にいるシンは、片眉をひそめておれをじっと見つめた。
ビビ。
自分勝手かもしれないけど、許してくれ。
「そしてメンバー……ビビ! 大人にはわからない死を遂げ、おれたちの気持ちを代弁した彼女に拍手を!」
おれは反応も待たず、自ら大きな拍手を続け、客に求める。ほとんどの客が一体何の話をしているのかわからないだろう。でも、響いてほしい。
誰だって一度くらい、大人にはわからない死に憧れるだろう?
舞台の端に、ビビがいるような気さえした。俯き、つまらなさそうに本を読んでいるに違いなかった。
お前の死は忘れない、とは言えない。お前がこの世界にいた輪郭だけをかろうじて思い出すだけで、額の産毛、あの百合の花の匂いまで、どんどん忘れていく。
映像的な記憶だけじゃなく、感情的な現実味も薄れていく。この世界にお前がいた、という熱が。
いつかお前の死そのものが、小さくなっていくだろう。
これは偽悪でもなんでもない、誰にでも当たり前に訪れてしまう事実だ。
死んだ人間ではなく、生きている人間のことで頭がいっぱいだろうから。
――それでも。
お前の死は確かにおれを変えた。ビビの死の尊さそのものではなく、受け取る側がどう感じるか、それだけが死後の問題なのだ。
今だけはお前の死に意味があって、おれの背中を押してくれた。
そんな風に思ってもいいか?
しばらくおれの拍手の音だけが響く場内で、追って手を叩く音がする。
シン。
「……」
おれに言葉をかけるわけでもなく、拍手をする。
たとえ、ビビの死が尊くもないただの死だとしても、こいつは拍手を送るだろう。
ビビの本当の心を知らないおれたちは、拍手をするほかないのだ。
シンがそんな風に感じているように見えた。
つられたのか、客席からまばらに拍手が起きる。
さっきの二人組の女子高生だ。
拍手は伝染し、ひとり、またひとりと拍手を始める。そのうち、それは全体に波及して、ビビへの拍手が会場中に響いた。
これは一瞬だけの奇蹟だ。
何度ステージに立ってもこの熱が起こることはないだろうし、明日にもなれば、ビビを知らない客は一体何にそこまで盛り上がっていたのか、わからなくなるだろう。
それでもいい。
おれは、今日のことを忘れはしない。
肘井が拍手に応え、再びドラム・ソロをやる。客から衝動に任せた意味不明な叫びが上がり、おれも大きく叫んだ。
そんな熱気の渦の中、郵便局の爺さんだけは腕を組んだまま、おれを見つめる。
その目は、そんな歌で人の死を悼むことなどできはしない、と強く訴えているようにも見えた。
おれには想像できない数の死を見てきただろう彼にとって、死にリアリティすらもてないおれの歌は、青さを通り越して無色に見えてくるだろう。
色も匂いもない、紙の上の死と同じ。
だが。
爺さんは気が抜けたかのように笑った。彼もわかっているのだ。
かつて爺さんも、大人に反抗することや、意味もなく死ぬことを美しいと思っていたときがあっただろう。ビタミンなんかいらないと言い続けていた時代が、この爺さんにもあったはずだ。
爺さんも拍手をした。
ビビの死を悼むこと――ビビのために偽善や偽悪を一時的にでも捨てたおれを、この瞬間だけ許してくれたのだろう。
ライブに集まり、ビビの死について考えることで、一瞬だけ線が交わった。
そしておれたちは、また離れていく。
【第5章・終】
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