【第5章・やっぱりおれたちにはビタミンが足りない】『一瞬の交わり』

 ステージ上に棒立ち。

 客を盛り上げるどころか、ただ茫然と立ち尽くすおれは、たまらなく場違いだ。

 舞台に上がっておきながら、ここまでうろたえている人間もいないだろう。観客はおれと肘井を見つめ、今から何が起こるのかと、唇を結んだまま見守る。

 早くも後悔しかない。

 そんなに注目しないでくれ、ほら、しばしご歓談しながらどうぞ。

「……」

 目だ。

 目

 目

 目

 目

 目。

 視線がおれを貫く。よく、「舞台に立ったら観客をカボチャだと思え」とか「ジャガイモだと思え」とか……。

 んな風に思えるわけねーだろ、鋼のメンタルかよ!

 完全に人だよ、容赦ない視線の嵐だよ!

「……」

 後ろのドラムセット前に座る肘井に、目で助けを求める。

 目を逸らす。舞台上でまさかの裏切り。

 絶対心の中でほくそ笑んでやがる。

「あぁー!」

 張りつめた沈黙の中、観客の中の少女がおれを指さし、大きな声を上げる。

 小柄なボブカットの女子高生だ。

「どした、えりこ?」

 その隣にいた、禁煙パイポを咥えた背の高い女が尋ねる。

「あ、いや、なんでもない……」と「えりこ」と呼ばれたボブ女が明らかな動揺を隠しきれないまま、誤魔化した。おれと肘井は顔を見合わせる。

「つか、さっきのイケメンじゃん!」

 とパイポ女の方がおれを熱く見つめ、ステージの目の前まで駆けてくる。

 周囲から「イケメン?」「どこが?」と非難めいた声が上がる。

 うるせぇよ、おれだって別にそう思ってねぇから。

「やめなよニコチン」とボブ女が制する。

 それより、おれが気になったのは……。

 その二人の隣にいる老人。深く刻まれた皺の奥の瞳から、おれをじっと見つめている。

「……」

 この爺さん、たしか郵便局の?

 あの少女たちの保護者だろうか、それにしたってどうしておれを険しく見つめるんだろうか?

 小説から音楽に鞍替えたと思って怒ってる……わけねぇよな、なんなんだ一体。

「何か喋ってぇ、イケメーン!」とパイポ女は自らの価値観を疑わず、おれをイケメンと称し黄色い声援を上げる。

 なにか、何かって……?

 やばい。

 頭真っ白。

 過呼吸になりそう……。

 たまらず肘井を振り返ると、こちらにやってきた。きっとおれが子犬なら激しく尻尾を振っているに違いない。

 おれに小さく耳打ちする。

「そんな目で見ないで。子犬かよ」と肘井は吹き出す。

 無駄な子犬シンクロ。世界で一番どうでもいい奇跡。

 上機嫌だなクソ蛇女。

「完全に子犬だよ! 助けろ!」

「曲、あげたでしょ」

 そのままドラムの前へと戻る。

 いや、納得できてねぇから、ちゃんと説明してくれよ。

 曲?

 曲……?

「でしょ、根岸五臓六腑!」

 根岸五臓六腑、五臓六腑……。

 そうだ。

 曲、あったわ。

「……」

 スタンドからマイクを取ろうとするが、手が震えて落としてしまう。

 強いハウリング。観客が顔をしかめる。

 鼓膜が焼き切れそうだ。

 これでいい、もっと、おれの感覚を鈍くしてくれ。

「ご……」

 腹から絞れ。

 胃から腸から肺から、声を絞って、緊張を吹っ飛ばすんだ。

 ここで尻尾巻いて帰ってたまるものか。

 ビビの死を、無駄にするな。


「五臓六腑にしみわたるぅぅぅぅぅ!」


 声が裏返ってトぶまで叫ぶ。

 頭が真っ白から真っ赤になるのを感じた。

「…………」

 静寂。

 失笑すらない。

 客は怪訝そうな顔でおれを見るだけ。

 せめて笑い飛ばしてくれたらどんなに楽だろう。

「それで終わりかよー!」

 前列の客をかき分けながら叫んでいたのは肘井の弟……シンだった。

 関係は遠いくせに、知った顔ばかりだ。

 今日を過ぎたら一生交わることもないだろう人間が、集まっている。

 ――ビビ。

 ビビが、集めたんだ。

「何やってるんだよ。歌うなら早く歌えよ!」

 安いライブハウスのライブだ、警備員などいやしない。

 シンは舞台に這い上がろうとするが、うまく登れず何度もジャンプする。

「心ちゃん! おれとおっくんの背中使えよ!」

 客席から、大柄な青年とそれに無理やり腕を引かれた友人らしき男が出てくる。昼間プールにいたやつらだろう。

「だーもう、行けよ、シン!」

 二人が四つん這いになり(片方は嫌々という様子だったが)シンは躊躇せず踏み台にしてステージに上がる。

「どういうつもりなんだよ、あんた!」シンがおれのもとへと迫る。今までシラけていた観客たちが初めてざわめき、興味本位の眼差しをこちらに向けた。

「……あいつらにありがとうくらい言ったら?」と、おれは思わず四つん這いの二人を見下ろす。しかし、シンはそれに取り合おうとしなかった。こいつ、根がクソだな……。

「挙動不審にきょろきょろして、姉ちゃんばっかり振り返ってさ、マジでダサいから!」

「っせぇな、邪魔すんな!」

 おれはシンに大声で反論する。でかい声を出しているうちに、少しだけ緊張が薄くなる。

 その勢いのまま、肘井に訴えかける。子犬のごとくうるんだ瞳で。

「にやついてないで早くドラム叩け!」

 途端、肘井が返事もなくハイハットを振りぬく!

 鋭い金属音が狭い箱の中に充満。

 客の背筋が伸びる。

 肘井はその響きが鈍らないうちに、再びシンバルを三回、激しく鳴らし、流れるようにソロへ導入していく。

 間断なく押し寄せるビートが頭の芯を痺れさせ、激しいスティックの捌きが見ているものを前のめりにさせる。このステージに上がって初めて客の強い熱気を覚えた。

 その熱は、おれの頭の中にも充満した。肘井のソロにおれも引き込まれていく。

 再びシンバルを振りぬき、肘井はそれを指で挟む。音の渦がぴたりとやみ、どこまでもうるさい沈黙が訪れる。客も、おれも息を呑む。


「『おれたちにはビタミンが足りない』!」


 肘井が絞るように叫ぶ。

 おれが作った曲のタイトル。

 彼女は言っていた。

 死んで、忘れられることはすごく怖い。だから、死んでも残る何かが欲しい。

『伝説、作んぞ』

 肘井の冗談にしか思えない一言に、彼女が思っているすべてが込められている気がした。

 彼女にとって、歩いた足跡、人生の一瞬一瞬が自分の存在を残すチャンスだ。

「伝説か」

 面白い。馬鹿馬鹿しい。すげー、面白い。おれも、そうなりたい。

 いいさ。やってやる。

 おれはマイクを握った。

 客からざわめきが起きる。

 震えが止まらない。

「……」

 ――遺書、破っちまったけど。

 お前の想いの1%でも、わかってやれただろうか。

 天国にも地獄にもいない、もうどこにもいやしないビビに胸中で呟いた。

 おれは歌う。いや、叫ぶよ。

 何より、肘井の願いを叶えるために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る