【第4章・肘井ちひろにビタミンはいらない】『変わり者のスイッチ』

 こうして根岸を追いかけている今でもわからない。

 私はホントにあいつが好きなんだろうか。彼にだけは、ビビ先輩の死を知ってほしいと思ったのは、なぜだろう。

 彼女の死を分かち合えるのは、根岸しかいないと思ったから一緒に来た?

 先輩と根岸が似ていると思ったから?

 駄目だ。

 なんにせよ、先輩と比べている。

 私は、本当に彼女のことが忘れられないんだ。

 ずっと代わりを探してしまっている。代わりなんていないのに。

 先輩がどうこうじゃなく、私にとって、根岸ってどんなやつだろう?

 周りとはうまくやれなくて、実際性格がいいわけでもなくて。ひねくれていて、愛想もなくて、ワガママで寂しがり。

 だけど。

 都合のいいことだけは、絶対に言わない。

 臆病なんだろうと思う。偽善的だと思われたくなくて、そうなっちゃうんだろうと思う。

 だからこそ、もどかしい。

 そんなややこしいことしなくても、あんたそんな悪いやつじゃないじゃん、何悪ぶってんだよ、って言いたくなる。

 さっきだってそうだ。

 あんな風に、自分は死を悼む権利がないとか、どうとも思っていないとか、聞いていると腹が立ってきてしまった。

 鉄の扉を開き、階段を見下ろす。根岸の姿はない。焦って駆け降りようとしたところで、携帯が鳴る。

 根岸からだ。電話……かと思ったら、なぜかメールだった。

 いや、なんでこんなタイミングで。


『さっきの言い方はよくなかった、悪い。

 元々、誰だかわからない人間に対して歌詞を書くってのがピンとこなかった。ましてや、ビビのことについてってなるとな。

 でさ、思ったんだ。根本的に、なにか違うんじゃねえかって。

 どっかの誰かのためとか、ビビのためじゃない。

 生きるとか死ぬとか、そういう大層なことじゃない。

 お前のために、書く。それなら書けそうな気がする。

 ライブまでに書いて届けるから。

 ……お前の『五臓六腑云々』みたいな歌じゃダメだろうしな。

                                        』


 階下からドタバタと足音が聞こえる。まだすぐ近くにいるみたいだ。

 根岸のメールの内容は、ごちゃごちゃとして、まったく腑に落ちない。

 何より、こういうときってメールじゃないだろ。

 直接言えよ。

「待て、コラぁぁぁ!」

 私はいつぶりだろう、二段飛ばしで階段を降りる。二階に差し掛かる頃、あっという間に根岸に追いついてしまった。

「げ」

 立ちどまり、振り向こうとする根岸。私は勢いに任せ、そのまま彼に向かって飛び込む。

 下手すりゃ死ぬ。

 でも、後先考えず、衝動的にそうしたくなった。

「うぉぉぉ!」

 私と根岸はもつれ合い、二人、階段を転げ落ちていく。

 ……約、三段ほど。

「ってぇ!」

 廊下に体を叩きつけられた根岸の呻き声が、静まり返った校舎に響く。

 彼が下敷きになり、私は衝撃だけで痛みはあまりなかった。

「何してくれてんだよ、死ぬわ!」

 仰向けのまま、根岸が怒鳴りつける。

 が、私が覆いかぶさっており、顔がすぐ近くにあることに気付くと、すぐ目を背けてしまった。

「なんでメールなの? なんで? ねぇ、なんでなんでよ?」

「いや、なんつうか……だから、冷静に話したかったっていうかさ」

「どういうことなの? 結局何が言いたいか、全然わかんなかった! 私のために歌を作るって?」

 もう、根岸の中では私のキャラが崩壊しているだろう。

「あ、いや、違う。さっきのはお前に歌を捧ぐとか、そんなんじゃなくて……お前に合う歌を作るって」

 根岸は言い訳しつつ身をよじり、馬乗りになった私から逃げようとするが、肩を掴んでそれを阻む。

「逃げないでよ」

 ワックスのかかった、つるつるした廊下。

 床に反射して、廊下側の教室の窓が映っている。

 昼間は、壁一枚隔てた場所で、高校生たちが楽しかったり、楽しいふりをしたりして、高校生活を送っている。長くて短い三年間を。

 私もかつて、その中にいた。

 あの頃の感情を覚えている。

 誰かが顔をしかめるようなことがしたい。

 特別になりたい。

 こんなところで、男の子とセックスしてみたい。

 しちゃいけないことを、しちゃいけない場所でしてみたいって、いっつも思ってたこと。

 先輩はあみだくじで飛び降り自殺を引いたから、死んだ。ルールを遵守した。

 私は、もう片方を引いた。

 そこには、こう書かれていたはずだ。


〈好きな男の子と廊下でセックス〉


 先輩。

 せめて、私もあみだくじに従うよ。

「……ねーぎしっ」

 私は猫なで声で、根岸の首の後ろに手を回す。

 そうして変わり者のスイッチを入れ直す。

 彼は体を強張らせ、くすぐったそうに首を傾ける。顔をよく見ると、眼鏡越しの睫毛は艶があり、長い。結構な時間、話をして、一緒にいたつもりだったけど、そんなことさえ知らなかった。

「んだよ、気持ち悪ぃ声出して。情緒どうした」

「あのさ」

「なんだよ、手、離せ」と私の手を払いのけようとする。その間も、顔はそむけたまま。

 私は根岸の顔を両手で挟み、無理やりこっちを向かせた。

「ね」

「んだよ」

「セックス、すんぞ」

「……肘井?」

 戸惑う根岸の息遣いが、大きく聞こえた。

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