【第4章・肘井ちひろにビタミンはいらない】『八つ当たり』
「なんで!」
宙へとばら撒かれ、散り散りに舞うルーズリーフを私は追いかけた。だけど、紙片は屋上の強い風に吹かれ、あっという間に飛ばされていった。
「あんた、何してんだよ! これはビビ先生の遺書なんだぞ!」
シンは声を裏返すほどヒートアップし、根岸に迫る。
「こんなもん、いつまでも眺めてたってしょうがないだろ。これのせいで死にました、これが本当の遺書です、なんて警察に説明したところで納得しないだろうしな」
「だからって破くことないでしょ!」と私も反論する。
「……」
「根岸!」
「……っせぇな!」
根岸の突然の怒号。空気の震えをここまではっきりと感じたことはない。
私もシンも驚きのあまり声を失い、身を強張らせる。
彼のこんな声は聞いたことがない。いつも素っ気ないけど声は努めて穏やかで、こんな風に怒りを露わにしたのは初めてだった。
先輩の不可解な死に方に、動揺しているんだろうか。
「おれ、今回の件は降りるぞ」根岸が抑揚なく言った。
「降りるって」
「ライブだよ」
「どうして!」
「話がぜんぜん違うじゃねーか。ビビが関わってるとか、死んじまったとかそういう背景があるってなると話は別だ」
「私だって、根岸と先輩が知り合いだって知らなかったんだよ」
「いいか。おれはやっぱり、ビビのことはどうだっていいんだ。元々ほとんど口をきいたこともないし、ただの同級生ってだけで。正直、卒業してからロクに思い出しさえしなかったんだ」
根岸の言っていることは、私と同じはずだ。
縁の遠い人間が葬式に出るのはむしろ失礼で、だったら出ない方がマシ、というようなことだろう。
なぜかその気持ちが、根岸の偽善を怖がる態度が、腹が立たしく思えてしまった。
「どうしてそんな言い方ばっかりするんだよ! そんな風に斜に構えて、哀しむ人を見下してるんだろ」
シンは憎々しげに根岸を上目遣いで睨む。目にはうっすら涙が溜っていた。
「ライブには出ないからな」根岸はシンの言葉には答えず、声の調子を落として言った。
「勝手なこと言わないでよ!」
思わず発してしまった、強い怒気を孕んだ言葉に、自ら焦ってしまう。
「……」
根岸は「何が悪いんだ」とでも言いたいのか、こちらに冷めた視線をやるだけだ。
「ねぇってば。なんでここで黙るわけ? ライブ降りるなんて、勝手すぎるよ!」
表に出したくなかった感情的な言葉が、溢れて止まらなかった。
根岸は段々と困り顔になる。私が怒りの感情を露わにしたところさえ、見せたことはなかったから。
思えば、私たちはお互いのことを知らない。
波風の起きない一面だけをくっつけあって、気が合うなんてフリをして一緒にいたのだ。
私は変わり者で、ひょうひょうとした、なんだって笑ってやりすごせる人間でいなきゃいけないのに。
そうして過ごす中で、ちょっとずつ弱いところや、平凡なところを根岸に見せていけばいい。
そのはずだったのに。
「なんのためにこんな化粧までしてさ、わざわざ来たと思ってんの」
最悪だ。関係ない八つ当たり。
かっこわるいかっこわるいかっこわるい。
もうやめなきゃ。
でも止まらない。
「……は?」
「もう嫌なの。先輩と一緒にいた頃の自分に囚われて、いもしない先輩に『変わってしまった』って思われるのに怯えるなんて」
「化粧と何の関係が……?」
「眉毛」
「まゆげ?」
「もう、眉毛剃り落として、特別だって悦んでいる私じゃない!」
「……」「……」
二人の沈黙に、我にかえる。
シンは私の感情の発露に驚いているのが窺えたが、根岸がどう思っているのか、図りかねた。
私の怒りは、ビビ先輩の死から脱線してしまっている。これじゃあ、自分がいかに苦しかったか吐露して、悲劇のヒロインぶって甘えているだけだ。
しまったと思ったけど、既に遅かった。
「がっかりした?」
私は皮肉を込めて言う。そうすることでしか気持ちを保っていられなかった。
「んだよ、がっかりって」
「私がこんな風に怒ったりするって、思わなかったでしょ?」
「……まあ」
「根岸になら、ビビ先輩の死も、私のワガママも、受け止めてもらえるって勝手に思っちゃっただけ。もう忘れて」
拗ねたように早口でまくし立てる。すべて忘れて欲しかった。
「……おれにはどれも重すぎる」根岸は困ったように息をつき、背を向けた。
「根岸?」
「今、顔つきあわせて話したって揉めるだけだ。後で頭が冷めてから、連絡するから」
「後でって? どこにいくの?」
「あー、なんつったらいいのかな、だからさ、ちょっとお互い冷静になった方がいいだろうと思って」
「それじゃあライブ間に合わないじゃん!」
「ライブは出ないって言ってるだろ」
「『有害図書委員会』! 根岸が考えたその名前で今日出ようって決めてたのに!」
私の言葉が熱を帯びるたび、根岸は煩わしそうに首を傾げ、無言でどんどん離れていく。
「約束したのに帰るなんて最低だよ!」
「約束?」
私は自分の言葉にハッとした。
約束、か。
「お前が言うなよ」
根岸は振り返り、顔を強くしかめて言った。だが、言った瞬間に後悔したように項垂れ、顔を背けてしまった。
約束。そうだ。私には、それについてどうこう言う権利なんかない。
根岸は振り向かずに去っていった。なりふり構わず追いかけたくなったけど、シンがいるのが引っ掛かり、決意が鈍る。
「……追いかけたら?」
私たちの言い合いに呆気にとられていたシンは、困ったように声をかけてきた。
「うるさい」
こいつ、頑固なくせに変に気を遣うから逆にうざったい。
「姉ちゃんもあの根岸って人も、言ってること同じだよ。ビビ先生を助けられなかった自分には、悼む権利すらないって。意見が同じなのに、なんで揉めるのさ?」
「根岸には、ああいう風に言って欲しくなかった。段々、腹が立ってきて」
「自分はそう思ってるのに?」
「……く」
「あのさ。僕は気に喰わないけど……好きなんでしょ、あの人のこと」
「はぁ? なんで今そんな話になるの?」
「わかるよ。僕、エスパーだからさ」
シンは、自嘲気味に言った。何度も聞いた軽口なのに、不思議と今は重い。
「だって明らかに好きじゃん。やたら浮かれたり、怒ったりさ。最近大人しかったのに、昔の姉ちゃんみたいだ。見てる方が気恥かしいくらい」
「違う、私は自己満足のために利用していただけ。私のこと変わり者扱いしてくれて、気持ちいいっていうか」
「何言っても言い訳にしか聞こえないんだけど」
くそ。かわいくないやつ。
「僕はあの根岸って人が好きじゃない。でもあの人を責めたことは、すごく後悔してる」
「……?」
「咄嗟に、押しつけて楽になろうとしちゃったんだ。僕だって、先生が死ぬのを止められたかもしれなかったのに、何もしなかった」
「それって、どういうこと?」
「いつか話すかもしれない。とりあえず、今は追いかけた方がいいよ」
「でも」
シンは首を横に振り、屋上の出口を見つめた。今は話したくないのだろうか。
もちろん、彼を責めることはできない。私自身で、気持ちに整理をつけなくてはいけないのだから。
「……わかった、行く。つうか、あんたに言われなくたって行くから!」
私は駆け出した。
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