【第4章・肘井ちひろにビタミンはいらない】『彼女が死んだのがどうでもよくなる日』
「姉ちゃん、教えてくれ。ビビ先生と知り合いなんだろ?」
シンは私に言った。
「……」
「ビビ先生が死んだ理由、知ってるのか?」
シンは、このあみだくじを見たんだろうか。私に迫り、問いかける。
「どうしてシンがそこまでこだわるの! 私だって……」
思わず大きな声を出してしまう。
やってしまった、と思ったが遅く、空気が凍りつく。
「シンの姉ちゃんさぁ、知ってるなら、こいつに先生が死んだ理由教えてやってくれよ。もうそのことで頭いっぱいで話にならないんだ。こいつのせいで夏が台無しになっちまう」と高尾は空気を読まず笑い飛ばした。
だが、シンは真顔で私の答えをじっと待っていた。
「なぁ、肘井」
それまで困ったように様子を窺っていた根岸が、私の肩を叩く。
「実はさ……」
言葉を選んでいるのだろうか、俯き、顎を撫でた。
「?」
「昨日、会ったんだよ。自殺する直前だと思う」
「根岸、ビビ先輩のこと何で知ってるの?」
「高校の同級生なんだ。卒業してからまったく会ってもいなかったけど……。本当にたまたま、ここで」
そうだ。学年からするとそうなるし、同じ高校なのも知っていた。でも、二人に繋がりはないだろうと思っていたし、ましてや昨日会っているなんて。
「二人で、屋上に?」
「そうだ。あいつ、あみだくじを確認しにきたんだって」
「ビビ先輩は? なんて言ってたの?」
私は思わずまくし立ててしまう。先輩は死の直前、どんな気持だったんだろう。
「そのとき、何も説明されなかったんだ。ただ、そのあみだくじを辿って頷いていた。中身もわからない」
「そう、だったんだ……」
「そこで別れた。屋上に残るんだって。死ぬなんて、思ってなかった」
根岸は説明しているというより、ぽつりぽつり、後悔の念が零れてしまっているようだった。
「お前、あみだくじを書いたいきさつは何か知ってるんだろ?」
根岸は珍しく、まっすぐ私の瞳を見つめた。思わず目を逸らす。
シンも根岸も、私なら何か知っているだろうと思っている。その通りだけど、どう答えるべきか、すぐには判断できなかった。
私が罪悪感を覚えているのは、ビビ先輩だけではない。根岸に対してもそうだ。
私は今回のビビ先輩の件で、彼を巻き込んだ。先輩の死を知った直後、頭にふっと浮かんだのは、学部の中でもよく話す根岸だった。
彼が『裸のランチ』を読んでいるのを見たせいで、自然と先輩と強く結びついていた。
それに、根岸の小説も。ビビ先輩は自分が書いた小説を見せてくれたことはなかったけど、「もしかしたら先輩はこんな小説を書いていたんじゃないか」という文章を彼は書いていた。痛々しくて、尖っていて、どこか孤独で寂しそうな。
懐かしい、と思った。根岸から、ビビ先輩と同じ空気を感じた。厭世的なのに寂しがりで、ひねくれた振舞いをするのにあまりに純粋すぎる。常に矛盾を抱えた存在だ。
根岸が提案してきたバンド名・「有害図書委員会」だって、ビビ先輩が言いそうなことだ。先輩が密かに考えていた名前が、まさにそれだったんじゃないかと思ってしまうくらい。根岸の部屋でそれを聞いたとき、笑って誤魔化したけど、内心はどきりとしていた。
部屋に私を招いた彼と、どちらがよりドキドキしていたのかはわからないが。
……あぁ、こんなことを言うのは嫌だけど。
最初に解剖室で話した時から、根岸が私に興味持ってるな、と一目でわかってしまった。控えめに見ても、その好意だけは確かな気がする。
申し訳ない気持ちになった。私は変わり者ぶってはいるけど、もう自分が平凡な人間だってとっくに気付いていた。だからこそ根岸の態度は嬉しかった。期待に応えたくなったし、あの頃に戻った気分に浸りたかった。
きっと彼に抱いている気持ちは、恋心とは違う。懐かしさと、何より自分がいたい姿――周囲とは違う特別な人間――でいさせてくれる存在だと思うから。
それは、子どもがやめたはずの指しゃぶりを始めてしまうことに似ているかもしれない。
なぜ、そうしてしまうのか。簡単だ。駄目だとわかっていても、すごく心地いいから。
彼と顔を合わせるたび、言葉の端々からビビ先輩らしさを感じた。彼女の考えていたことを、根岸ならわかるはずだと思っていた。
「根岸には、私が知ってること全部話さなくちゃいけない。せめてもの、償い」
「償い?」
そう、償いだ。私は根岸に興味を抱いていた。ビビ先輩みたいに、孤独で寂しさに包まれているのに、人と交わることにはどこか醒めている。私は彼に好意のようなものを振りまいて、自己満足的に変わり者の自分になることに拘泥していた。
いつかは、根岸にも言わなきゃいけないんだ。
私はあんたが期待しているような人間じゃない。
臆病で軽薄で、何より変わった人間なんかじゃないってこと。
とはいえ、根岸にこの気持ちをうまく説明することはできなかった。
だからこそ、ビビ先輩のことだけでも、せめて伝えなきゃいけない。
「何言ってんだよ、肘井」
「君ら、悪いけど帰ってくれる?」
私は根岸の質問をわざと無視して、シンと高尾に言った。
「シン、帰ろうぜ。ライブもうじきだろ」
高尾の方はすぐに折れ、シンにそう話しかけた。でも、彼は動こうとしない。
「もういいだろーよ。そこまで踏み込むような立場じゃねーじゃん」
「立場がどうこうじゃないんだ。僕は引き下がらない」
「シンの姉ちゃんがそれを知ってるなら、別に今無理して聞かなくてもいいだろ」
「ダメだ」と、シンはかたくなだった。
「どうして?」
「今聞かないと、もうどうでもよくなっちゃう気がするんだ」
私と高尾は同時にぽかんとする。根岸だけは反応を示さなかった。
「僕もわかってるんだよ。時間が経って、今年が終わる頃なんかには、そこまで哀しくもなくなってるんだって」
「どうでもよくなるってわかってるなら、尚更いいじゃねーか」
「ダメなんだ。どうでもよくなる前に、知らなくちゃいけないんだよ」
シンの理屈は、私にはまったくわからなかった。ただ、この子はナヨナヨしているようで、妙に頑固なところがあるし、昔から理解不能な意地をよく張っていた。
「だー、もー! 付き合ってらんねぇよ!」
高尾はじれったそうに髪をかきむしり、屋上の出口へと向かっていった。
「帰るからな。明日以降、その話したらただじゃおかねぇぞ、シン」
「ちょ、おっくん」
「考えたってしょうがねぇことで夏休みをフイにしたら、お前のこと一生『バカシン』って呼ぶからな」
「『バカシン』?」シンは怪訝そうに尋ねた。
「略語じゃねぇよ、単にお前がバカだってことだよ」
高尾は素っ気なく片手を挙げて去っていった。シンは高尾がいなくなった後も、扉を見つめていた。
「肘井。こいつにも、ビビのこと聞かせてやってもいいんじゃないか?」
根岸は私に耳打ちをする。
「ちょっと、根岸まで」
「おれ、多分同じ気持ちなんだ。ビビが死んだことを、ずっと哀しんでいることは多分ないと思う。今まで関わり合いもほとんどなかったし、仲が良かったわけでもない。だからこそ、今、聞きたいんだ」
「……」
「肘井?」
元々根岸には話そうと思っていたとはいえ、いざ語るとなると、言葉に詰まってしまった。
躊躇う理由は簡単だ。
果たして、ビビ先輩の心情を語る権利なんか、あるんだろうか。
私はビビ先輩が抱いていたような「世界への反抗心」なんて捨てている。
そのつもりだった。
だけど、実際は違う。
大学に進学し、ビビ先輩とは会わなくなった今も、あの頃のことに囚われていた。「いつまでそんなことに」って、無理やり忘れようとしていた。
先輩が死んだとき、哀しみ以上に「置いて行かれた」と感じた。彼女が忌み嫌っていた大人と同じように、このつまらない世界に残されてしまったのだ。
ビビ先輩にとって、私もしょせん特別な存在ではなかったのだと思い知った。
当たり前だ。
私は……。
裏切り者だから。
苦しいけど、根岸には話さなきゃいけない。
何より、ビビ先輩が死んでしまった理由を、根岸なら自然と感じとってくれるんじゃないか、と思ったから。
私は短く息を吸う。
「……このあみだくじは、ビビ先輩が提案したものだったの」
ねぇ、根岸。
先輩はあのとき……。
四年前の、今日。七月二十三日。
一体、何を考えていたのかな?
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