【第3章・心(シン)ちゃんはビタミンが手放せない】『みにつま』
「心ちゃん、さっきの心ちゃんの姉ちゃんなんだろ? いいなー、毎日風呂上がりとか見てんだろ」
後ろから様子を見ていたアスカが僕に駆け寄ってきた。
「見てもなんとも思わないよ、きょうだいだし」
「シン、お前のことを弟にするのは気がひけるが……。でも、これからもよろしくな」とおっくんが僕に握手を求めた。
姉ちゃんと結婚したいのか。
つまり僕がおっくんの弟になる。えーっと。
「それはちょっとなぁ……」
何かバシッと突っ込みたいけど、ぼんやりしてなんにも思いつかなかった。
「シン?」
アスカとおっくんの元に戻っても、いつもの調子が出なかった。
「なに」
「明らかテンション低くね?」とアスカ。
「低くねーよバカぁ」と、自ら声が震えてしまっていることに驚く。
「……なんで泣いてんだよ?」
おっくんが僕の顔をまじまじと見つめた。
頬が熱い。
あれ。
そうだよ、僕、なんで泣いてんだろ?
ビビ先生は死んだ。
哀しいけど(どう言ったらいいかわからないけど)そこまで哀しくないはずだ。
可愛いとは思っていたけど、大して話したこともない他人が死んだ。
それだけ、なのに。
「ご、ごめん、心ちゃん! おれ言い方きつかった?」
焦るアスカを後目に、おっくんは「シン。どうした?」と冷静に尋ねた。
「僕にもよく、わからない。ただ……ビビ先生が死んだのが引っ掛かってさ」
「え、先生が?」おっくんは呆気に取られたように言った。先生が死んだことを知らないようだ。
「自殺だって」とアスカが言った。
「いうほど俺らと年齢変わらないのに、色々あったのかね。『ミニツマ』だな」とおっくんは醒めた言い方で、例のオリジナル略語を使った。
いつもはどうとも思わない、むしろ口ではつまらないと言いながらもちょっと面白く感じていたそれが、今はたまらなく軽薄に思えた。
「みにつま?」と気が向かない僕に代わってアスカが尋ねた。
「身に詰まされるよな」
……はぁ?
頭の奥で何かがぷつんといった。
「おっくんさぁ、そういうのやめろよ」僕は怒りを隠せなかった。「先生は死んだんだぞ? なのに、なんでそんな茶化す言い方すんだよ」
思わずつっかかってから、そういや今まで、友だちに対して敵意を露わにすることなんかなかったことに気付いた。
「あ? なんだよ」僕の怒りに感化されてか、おっくんも語気を強める。
「第一、いつも急に放りこんでくるその略語流行らないから! どれもこれも使うタイミングないんだよ!」
「……」
僕が怒鳴ったのを初めて見たんだろう、おっくんは驚いて言葉を失っていた。
「『ミニツマ』? そんなの使えないんだよ、『ミノタウ』くらい使えない!」
「みのたう?」とおっくんはきょとんとする。
「ミノタウロス!」僕は叫ぶ。自分でも何が言いたいのかわからないけど、勢いに任せて叫んだんだ。
「はぁ? クソ脈絡ねーし、略するほどミノタウロスの話なんかしねーよ!」
「いつもおっくんがやってるのは、こういうことなんだよ!」
「そのレベルと一緒にするな。つか結局お前もふざけてんだろ」
「ふざけてないけど思いついちゃったんだよ! つかさ、おっくんのその略語自体、うんざりなんだよ!」
「2人ともやめなよ。バカみたいだろ」
アスカに「バカみたい」と言われたショックで、僕とおっくんはクールダウンする。
「自殺の理由は? わからないのか?」とおっくんは苛立ちながらも話を進めようとする。
「……」
こちらの沈黙を肯定ととると、おっくんは僕の背中を強く叩いた。
「って! なにすんだよ!」
「そうだよ、おっくん、心ちゃんはかなしんでるんだぞ」
「お前がどれだけあの先生のこと好きだったかは知らねぇけどよ、本当にそんなに哀しいか? 口きいてるとこさえ見たことねぇよ」
「……」
「わかんねぇよ、俺には。お前が何に対してそんなに落ち込んでんのか」
「なんでそんな言い方するんだよ、おっくん。見ろ、心ちゃん泣いてるのに」
「うるせぇな、どけ」
おっくんはアスカを押しのけ、背を丸めた僕を見下ろした。
「あのな、はっきり言って、今のお前の態度はムカつくんだよ。自分だけが誰かの死を哀しめる繊細な人間ですって感じでな。ビビ先生はしょせん他人だ。違うか?」
「……」
「ニュースでどっかの誰かが死ぬたび、いちいち哀しんでるのと同じだろ、それじゃ」
おっくんの言うことはどこまでも正しい。でも、だからこそ頷きたくはない。
「おれ、かなしいけどな」
「アスカはそうだろうよ、お前はおかしいもんな。でも、シンは違うだろ? そんなことで悩んで夏休みをフイにする方が問題だって、思わないか?」
「……」
「そうだろ」
僕が反論をする前に、おっくんは僕の頬を指でつまんだ。
「議論する気はねぇ。お前はどうしたら納得する?」
「へ?」
「シンが何考えてるかわかんねぇけどさ、こっちまでテンション下がるんだよ」
「……」
「夏休みだぜ? 遊び倒さないでほかになにがあるよ?」
「そうだよ、心ちゃん。おれ、おっくんと2人じゃ微妙だよ」
おっくんは一瞬傷ついたように哀しい目でアスカを見るが、「言ってみろ。シン。笑わねぇから」と努めて優しく言ってくれた。その声にほだされて、僕も冷静になる。
「どうして、ビビ先生は死んだんだろう。……それが、知りたいんだ」
「どうやったらそれがわかんだよ?」
「ビビ先生は、屋上から飛び降りたんだ。しかも終業式の日から、死ぬ気だった」
「は? なんでシンがそんなこと知ってんだよ?」おっくんが素っ頓狂な声を上げる。
「えーっと」
先生が屋上の鍵を隠し持っていたこととか、そもそも透視能力のこととか、どう説明していいのかわからない。
「じゃあ、屋上に行ってみようぜ。なぁ、心ちゃん!」
アスカが僕の肩を叩く。バカでよかった。
「……そんな単純でいいのかな。行くったって、どうやって」
「屋上ね。さっさと行って、夏休み迎えんぞ」
逡巡する僕の不安をかき消すように、おっくんはさらりと言ってのけた。
根拠のない自信にあふれた表情で、何とも頼もしい。
カッコイイように見えてきた。
「心ちゃん! 景気づけに胴上げするぞ!」と、アスカもテンションが上がってしまったのか、僕の膝の裏に手を入れる。
僕も、胴上げをされたいような、そんなおめでたいどうしようもない気持ちになる。
「おい、やめろって、目立っちまってるから」とおっくんは言うが、アスカが止まらないのを見てため息をつき、僕の脚に手をかける。
多分このとき、2人のバランスの悪い胴上げで宙を舞う中、僕の中で既にビビ先生のことは、ある程度の諦めがついていたんじゃないかと思う。このモヤモヤは僕自身の、自己愛的と言うか、ナルシスティックな自己憐憫、というやつだったんじゃないかと。
「あ」
「やっべ」
だから2人の手元が狂い、プールサイドにまっさかさまに落ちたって、痛くも痒くもなかったんだ。
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