【第3章・心(シン)ちゃんはビタミンが手放せない】『遊園地のプールで遊びながらスウコウな悩み抱えてるやつ』

「なかなか帰ってこないな、おっくん」とアスカは呟いた。

 おっくん。僕とアスカから無理やり500円ずつ徴収し、頼んでもいないのにやきそばを買いに行ってくれている、心優しい友。

「売店が混んでるのかね」

「さぁ……」

「んだよ、心ちゃん、テンション低くね。やきそば嫌いか?」

「味がどうこうじゃないんだよ。食事のとき炭水化物からいくと血糖値がドカンと上がるからね。まずは野菜から食べて、緩やかに血糖値を上げていく」

「血糖値のことが気になってテンションあがらないってことか? じゃあさ、おれが心ちゃんのぶんも喰ってやるよ」

「……脳筋のアスカにはわからないだろうね。僕には崇高な悩みがあるのさ」

 どうにも、おどけていないとやってられない。

「遊園地のプールで遊びながらスウコウな悩み抱えてるやつって一番バカっぽくね?」

 はぁ、そりゃ正論だ。こんなやつに正論を言われるなんて。

 僕は大きくため息をついた。

「なぐさめてやろうか、心ちゃん」

「……慰めてもらうなら、本田翼じゃなきゃヤだ」と僕は呟いた。

「ほんだつばさ? アイドル? モデルか?」

「知らないの、本田翼。この世に舞い降りた天使」と僕は気取って言う。

 本田翼はかわいくって、それこそ天使と見紛う、現実味もなく手の届かない存在。

 と、僕は思っている。

 でも。

 今はさ、ホントは本田翼じゃなく、ビビ先生に慰めてほしいんだ。


『勝手にポーチを覗いた貴方は最低だけど、私が死んだことには何の関係もないわ。貴方にはどうしようもない』


 ビビ先生、脳内ですらクール。

 慰めるどころか、ガッツリ突き放してくるじゃんか。

 でもビビ先生なら、なんだかこんな風に言うような気がしたし、都合のいい言葉なんか聞きたくなかった。

「わかったよ、じゃあおれのことをその本田翼だと思ってくれていい」とアスカは任せろとばかりに胸を叩いた。

「なにがどう『わかった』のかはわからないけど、気持ちだけ受け取っておく」

「あ、じゃあさ。心ちゃんが『人類全員が本田翼に見えちゃう病』になればいいんだよ」

「は?」

「そうすれば、本田翼になぐさめられ、幾多もの本田翼とプールに入り、本田翼に家で飯を作ってもらえて、本田翼に」

「……その理論には破綻がある」

「なんだよ心ちゃん、コエーよ」

「それじゃあ、本物の本田翼に会ったとき区別がつかない」

 僕が指摘すると、アスカは「マジそうだわ」と呟き、黙り込んでしまった。

 だけど、ホントに破綻があるのは僕の方で、たとえ本物の本田翼との区別がつかなくなっても他の人がみんなそうとしか見えないなら、困ることはなにもないってこと。

 あと僕は、本田翼より、多分だけどビビ先生が好きだったってこと。

 そして、いくら好きでも手遅れだってこと。

「お前らよくそんな速攻でバカだってわかる会話できるな」

 頭の上から声がする。

 おっくんが僕たちを見下ろしていた。やきそばを人数分頼んだはずなのに、手には何も持っていない。

「売り切れてたの?」

「いや、焼きそばどころじゃないんだよ」

「そんな焼きそば食べたいわけじゃないけどさー、この際もうなんでもいいから買おうよ。そろそろサプリの時間なんだよ」と僕はぼやく。ビタミンB12にマルチミネラル、コエンザイム。

 僕の必須アイテム、心の友よ。

「ビタミン剤だろ? 別に飲みたきゃ今飲めよ」とおっくんは顔をしかめる。

「コエンザイムはビタミンじゃない、あれは補酵素で……」

「一緒だろ。いいから好きにしろ」

「食後に飲まないと胃が荒れる」

「あーもういっつもナヨナヨしやがって。いいか、男にはもっと大切なことがあるだろうが!」

「ないよ。サプリ摂取以上に大切なことはない。愛も恋も信じられないこの世界、サプリは僕を裏切らない……」

 そうだ。人の気持ちなんてわかりゃしないけど、サプリだけはいつだって僕を変わらず支えてくれる。徹夜や不健康さ(タバコとか酒とか)を自慢する輩もいるけど、それは目先のカッコよさげな自堕落さに逃げているだけだ。

 それは、不良っぽいことに憧れている奴らにも言える。

 真面目に学校に行って、きちんと授業を受けてなにが悪い?

「愛だ? 彼女もいないシンになにがわかる!」とおっくんは僕に迫る。

「……ぐ」

「いいか。俺達にとって大切なのは、いかに彼女を作り、この夏を充実させるかだ! そしてこのプールという場所は、愛の種子が集っている……のだ」とおっくんは息切れしながらも、演技がかった様子で言った。

「よくそれで人のことバカだって言えたね」と、僕は呆れつつも、おっくんのさもしい思惑を理解する。「さっきの『それどころじゃない』はそういうことか。どんな子がいたの?」

「具体的に言うと、衝撃で首をつりそうになったくらいかわいい」

「具体的だけど抽象的だね。……ええっと」

 僕はどう答えるべきか迷った。

 おっくんが言いたいことはわかるけど、なんつうかね。

「ナンパか? 行くか?」とアスカはほくそ笑んだ。

 おぉ、アスカ、お前こういうとき役に立つな。「ナンパ」はもはや死語となりつつある中、恥ずかしげもなく言えるなんて。

「ナンパ? いや、ナンパというつもりはないんだけどな」とおっくんは照れたように笑う。明らかにナンパしたいぜって顔に出てるよ。

 ま、おっくんはそれなりにイケメンだし、成功だって夢じゃないだろう。

 ……喋らなければ、だけど。

 でも、喋らないとナンパはできない。世界一どうでもいいジレンマ。

「行こうぜ、おっくん」アスカはおっくんの肩に手を回し歩きだすが、すぐに僕を振り返った。

「心ちゃんはいかねーの?」

「いい子ちゃんのシンは無理だよな」とおっくんは僕をバカにして笑った。

「頼まれたって行かないよ、本田翼以外に興味ないから」

 いつもだったらホイホイついていくだろうけど、今日はそんな気になれない。

「なんだよー、カッコつけんじゃねーよ、シン」とおっくんは不満そうに、というか白マッチョで顔はほぼ「照英」のアスカだけじゃ人材不足だと不安なのだろう。

「ナンパはチャラいしカッコ悪いってか? そういう『コテカン』は捨てろよ、シン」

「こてかん?」と僕が訊き返すと、

「固定観念」とおっくんは得意げに鼻を鳴らした。

 うわ、クソ中身ねぇ、きかなきゃよかった。

 おっくんは思い出したように流行語狙い(どこに向けてるんだろう?)のフレーズを挟んでくるが、一度として胸に刺さったことはない。

「固定観念なんかじゃないよ。ただ、知りもしない女の子と付き合いたいって思わないだけで」

「誰でも最初は知らないもの同士だろ」

「……」

 あまりの屁理屈をかまされ、言葉に詰まる様子を見ていけると思ったのか、おっくんは僕に耳打ちする。

「かなーり、巨乳だったぞ」

「……」

「な、な、な?」

「巨乳って、僕はそういうことで女の子を判断しないって」と言いつつ、僕は自然と立ちあがってしまっていた。

 いや、因数分解的に物事を考えてみればさ、おっぱいが大きいから、どうして魅力的なのか、なんだ結局、肉のかたまりじゃないのか、とバラバラと分解してお腹の疼きを掻き消そうとするが、

 巨・乳……とその2文字が圧倒的に支配して邪魔をする。

 あぁもう。

 ビビ先生ごめん、僕は最低だ。

 でもわかってください、僕はもうビビ先生には触れられないけど、その巨乳の誰かには触れられるかもしれないんです。

「わかったよぉ、行くよ!」

 僕はダダっ子のようにわめきながら、おっくんの後ろをついていく。

「おい、みんな見てるって」とおっくんは僕の口を塞いだ。

「なぁ、おっくん500円は?」アスカが問いかけるが、おっくんはそれを無視して、

「ほら、あっちに座っている、赤いシートの」とウォータースライダーの脇を指差した。

 そこには、巨乳のお姉ちゃんとはほど遠すぎる、左右で色違いのビーサンを履いているヒゲロン毛男がいた。

 俯き、ケータイとにらめっこしながらプールには似合わない神妙な表情を浮かべている。夏なのにずぶぬれで寒そうにしているのが、なんともいえない哀愁。

「……」

 男はこちらに気付きこちらをじっと見つめるが、不可解そうにするだけで何も言わない。

 よく見たら眉毛ないじゃん。

 絶対、関わらない方がいい気がする……。

「ちょ、おっくん?」僕は焦って問いただす。

「いや、いたんだよ!」

 すると怖いもの知らずのアスカが、「すいません、ここに巨乳の女の子座ってませんでした?」と男に問いかけた。

 僕とおっくんはアスカの頭をはたき、

『何やってんだよ!』と同時に叫んだ。

「多分彼氏なんだって、あんなナリで!」とおっくんは男を盗み見た。

「逃げる?」

 僕が提案するも遅く、男はぬらりと立ち上がった。

「お前ら、あいつの知り合い……ですか?」

 男は見た目より柔らかい調子で、僕たちの後ろを指さす。「お前ら」と「ですか?」の繋がりが不自然。明らかに年上だけど、緊張したような様子だ。あまり人と喋るのが得意ではなさそうな印象を受けた。

 僕たち3人は、同時に振りかえった。

 そこには背の高い、サングラスをかけた……たしかに巨乳の女の子が、飲み物片手に男に手を振っていた。

「おい、逃げるぞ」とおっくんは僕の腕を掴む。だけど、僕は動けなかった。

「……あれって」

「なんだよ、シン」

「心ちゃん?」

 2人の問いかけにも答えられないまま、僕は思わずフリーズ。

 その女は、知り合いどこじゃなかった。

「なにやってんの、シン?」

 サングラスを外し、不思議そうに僕の顔を見つめている、「巨乳の美人」は。

 ――僕の姉、肘井ちひろだった。

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