【第2章・七瀬奈々子にはビタミンJKが足りない】『大切な人』

 今から2時間前、ファミレスでニコチンと合流した直後のことだ。

 あたしはおじいちゃん宛に来たビビ先生のメールのせいで、もやもやと落ち着かず、ニコチンとの会話も気もそぞろ、おじいちゃんケータイの方ばかり見てしまう。

 このメールを送ってきた「先生」はビビ先生だろう。

 おじいちゃんとの関係は?

 もし恋人で、結婚したらあたしはビビ先生の孫?

 そんなリアリティのない不安が渦巻き続けていたとき、おじいちゃんの携帯に着信が入った。

〈先生〉

 え、これ、出るべき?

 いや、出たって何話すのよ?

 おじいちゃんをたぶらかすのはやめてください?

 何様だよ、あたし。

 客観的にそう思いつつも、いつまでもこうして悩んでいるのは辛かったあたしは、「何? 誰? ていうか携帯変えたの?」と下世話な好奇心をはたらかすニコチンを制し、店の外に出た。

 というか、そもそも2人はどうやって出会ったんだろう、なんていう下世話な好奇心も、電話に出ることを決心することに関係していたのかもしれない。

「……はい」

 できる限り平静を保ち、低いトーンで電話に出る。

 きっと女の声がしてびっくりするだろうと、してやったりな気分になる。

「……」

 息遣いが聞こえる。

〈一体誰だ?〉と推理しているに違いない。

「うちの人に、何か用ですか?」と、あたしは追い打ちをかける。

 うちの人、というワードチョイスは我ながら意地が悪い。おじいちゃんの妻(おばあちゃん)のふりをするのが本当は一番面白いと思ったけど、声色を使ったところですぐにばれてしまうだろう。

 そこで、「おじいちゃんの身内だろうけど正体不明の誰か」として対応したわけだ。

 あたしはビビ先生が好きじゃない。シンちゃんも先生が好きで面白くない。

 ちょっと困らせてやろうと思った。自己嫌悪と高揚感が混ざっていつになくハイになった。

「私は、光晴さんの友達です」

 だから、そうしてまっすぐな声で答えてきたビビ先生が眩しかった。

 あたしの質問に答える必要なんかないもんな、無言で電話を切ったってなんらおかしくないシチュエーションだから。

 なのに、ビビ先生の声には一点の曇りもなかった。

 自分の中に生まれていた、下らない相手を試すような気持ち、関係を探ろうとする下世話な気持ち、それが全部すごく汚く思えた。

 責められるよりも、何倍もダメージがあった。

「ごめんなさい。今、光晴はおりません」

 結局、あたしは逃げるような曖昧な返事しかできなかった。

「……貴方。もしかして、お孫さん?」

 ビビ先生はあたしの声で子供だと気付いたのだろう。

 おじいちゃんがビビ先生に、あたしの話をしていたに違いない。一気に正体がばれ、しり込みする。

「光晴さんは、いないのね?」

「少し待ってもらえれば……家で、寝ていると思うんで」

 先生はこっちの気を知ってか知らずか、言葉を選ぶように黙り込んだ。

「いいわ。ごめんなさい。貴方にこんなことを訊くのはおかしいけれど。一つだけ、いい?」

「……」

「貴方には大切な人はいる?」

「……は?」

 大切な人。どういう意味だろう。

 家族?

 ニコチン?

 シンちゃん?

「どういう意味でですか」

「貴方が大人になっても、過ごした思い出をずっと覚えている人」

 あたしは、パパやママやおじいちゃん、ニコチンのこともシンちゃんのことも絶対に忘れない。

 大人になっても忘れるわけない。

「それがなんなんですか?」

「大切な人と、自分。どっちが大切?」

 どうしてあたしにこんな話をするのだろう、おじいちゃんにしたかった話を、しょうがなくあたしにしているのだろうか?

 いや、むしろおじいちゃんにしたかったけどするべきではないと思った話を、他人のあたしにだから話しているように思えた。

 どっちが大切?

 そんな難しいこと、わかるはずないよ。

「大切な人、です」

 あたしはカッコつけた嘘をついてしまったのかもしれない。

 でも、自分だと答えられるほど、自分のことをどうやって好きになっていいのかもわからなかった。

「ありがとう。私もそうありたいわ」

 ビビ先生は最初と同じ、まっすぐな声でそう言った。

 やめてよ。あたしが悪いみたいじゃん。

 お礼を言われる筋合いもなかったけど、どう答えていいのかわからないし、ビビ先生も言葉を続けなかった。

 あたしは電話を切った。ニコチンの元に戻るまでに気持ちを整理したかったけど、全然うまくいかなかった。

 大人になっても忘れない人か。

 大人大人大人。

 どうしてそんなに大人のことばかり考えて生きているんだろう、あの人、だって正直、あたしは大人がどうとか、そういうことはどうでもいいから。

 誰が大切かなんか改めて考えたくもない。

 抽象的な悩みや、感謝の気持ちを急にリズムに乗せたがるラッパーみたいにはなりたくない、日頃できない感謝をねつ造するなんてあたしはご免。

 綺麗ごとや理想ばかり考えていられないよ、というビビ先生へのあてつけがましい気持ちが、いかがわしいバイトが待ち受けるビルの7階へと向かわせた。

 どこまででも堕ちていきたい気分だった。

 とはいえ、やっぱり緊張はぬぐえない。緊張のおかげで、モヤモヤは少し和らいだけど。

 はー、ドキドキする、やばい。

 耳かきって多分個室だよね?

 密室でオッサンと二人きり……膝枕っつっても、これくらい今どきふつう?

 オトコノコと手すら握ったことないあたし、JKとしては遅れすぎているあたし、きっとJK成分が体に不足している。正しいJKとして生きる、なにかが欠けているんだ。

 エレベーターで行くとなんだか逃げ場がない気がして、むきだしの頼りない非常階段を上がる。ごいん、と手すりに肘をぶつけると、ずうっと上まで振動が響いていくようだ。

 7階には、普通の人んちみたいなドアしかなくて、ホントにここで合ってるのか不安になるけど、とりあえず表札に『ましゅまろくらぶ』と書いてあるのを見つけ、ここで間違いないっぽい。

 あたしのふとももがマシュマロだってのか、このスケベ野郎、と会ってもいない店の名前命名した人に軽く憤り、インターホンを鳴らす。

 ドクドクドクドクドク。

 心臓やばいって、もはや痛いって、やめときゃよかった、助けてシンちゃん。

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