【第2章・七瀬奈々子にはビタミンJKが足りない】『おじさんと楽しく話す仕事』
「でも、あのひと、悪い人じゃないよ」
と、美人を見ると刺し殺しかねない睨みをきかせるニコチンすらそう言う。
ニコチンがタバコの件について職員会議で集中砲火されている中、ビビ先生だけは、ニコチンをかばったそうだ。
それも、大人への反抗心がなせるワザなのかね。
「でも、うちのおじいちゃんたぶらかしてんだよ」
「人間の性欲は業が深いね」なんて、意味深だけどぜーんぜん意味ないんだろうなってコメントをするニコチン。
ビビ先生の話に飽きてきたのだろう。結局、あたしは救われもせず打ちのめされもせず、単に、あれ、あたしやなヤツじゃね、自己嫌悪。
あたしは、ビビ先生のことがやっぱり気になっていたのだ。
実はさっきから気になっていた電話というのは、ビビ先生からかかってきたものだった。すごく迷って出たのだけど、ビビ先生は一体何が言いたかったのか、あたしには理解できなかった。
ただ、妙に声が上ずっていて、あたしに突っかかる様子だった。
あたしは先生の質問にうまく答えられなかった。
あれでよかったのか。今でも、迷っている。
『五臓六腑にしみわたるぅぅ!』
うぉ、なんだ。
外から女の叫び声に、考えが遮られた。
いや、これでいい。あたしがいくら考えたってしょうがないことだ。
叫び声は、さっきのアパートの方からした。
一発やるとそんなに染みわたりますか、そうですか。
あんなネジが外れた声を張り上げても刺されない、この世は平和。
みんないろんな悩みがあるはずなのに、どこかで誰かが死んでいるはずなのに、トータルでいえば平和。くさいものにフタ、ってやつ。
あたしのビビ先生批判に辟易してたニコチンは、その叫びをなにか話題転換のきっかけだと思ったのか、「さ、というわけで」とバラエティ番組よろしく編集点を入れる。
「ね、これ見に行かん?」と、ニコチンはライブのポスターをテーブルに広げた。
今日の夕方から小さなライブハウスで、24時間ぶっつづけでハードコア系のバンドが混合ライブやるっつうことらしいけど。
「まったく興味ないんだけど」と、ホントに興味なさすぎてあたしは思わず本音で返す。
「『肉体信仰』! マジいーんだよ」とニコチンはポスターを指さす。メインっぽいいかついアーティストに埋もれるようなかたちで、貞子みたいな髪の顔の見えない女が、紙面の端っこにちんまりといた。
「あそう」と我ながら申し訳ないくらいの反応の悪さ。
みんながよくわかんないものを、私だけはよくわかりましたって胸を張るのはできないタチなんだ。
「いこうぜよ、えりこ」
「ぜよと言われても。いや、いーって。行かないから」
「じゃあさ!」
こっちが断るのなんか予測ずみといわんばかりに、むしろ待ってましたと、微笑んで手を握ってくるニコチン。
知ってるよ、あたし。
こいつが手を握って愛想ふりまくときって、何か面倒ごとを押しつけようとしてるときだ。
「バイトかわっておくれ、奈々子!」
「バイト? ニコチン、バイトなんかしてたっけ」
あたしは今まで一度としてバイトなどしたことはなく、月5000円のお小遣いと8000円の昼ご飯代をやりくりしつつ、毎月生きてるんだけど、まぁ、足りない足りない。
だからバイトって響きは魅力的だったし、なによりニコチンが(学校で問題ばっか起こしてる問題児のくせに)自分より進んだ存在に見えて焦ったってのもイナメナイよね。
「いーけど、それくらい」
ホントは心臓バクバクだったけれど、「別にちょろいっすよ」という雰囲気にどうしてもしたくって、安うけあいってやつだよね、これ。
「助かるぅ! じゃ、9時にこのビルの7階のお店行ってくれる? もう、店長には言ってあるから」
店の時計は8時を指していた。ちょ待って、あと1時間後?
「え、いや、ちょっと待って。何の仕事?」
せいぜいコンビニかスーパーかファミレスくらいに思ってたけど、この雑居ビルのラインナップ考えるに、たしかネイルサロンと歯医者さんと……あとなんだっけ……とにかく、すぐに行ってあたしができるような仕事ではないような気がして、不安になってきた。
「おじさんと楽しく話す仕事」
「は? ちょっち待ってって! キャバクラ? ガールズバー? しかも朝9時から? てか、うちらそういう店で働いていいの……っていや、ニコチンってそもそも法律ってごぞんじ?」と、思わず質問ラッシュ。
「違うよ、耳かきバー」
うーん、結局、最初の質問しか答えてないじゃん、途中から聞いてなかっただろ。
「耳かき?」
「そ。『ひざまくら耳かき』のお店」
思わず、あたしはニコチンを睨んでしまう。
鼻息荒いオッサンを膝枕して耳かき、なんというイカガワシさ、つうか、それだけでコトが収まっているのかも、もはやあやうい……。
「ちゃんと合法だって。そんな目で見るな、えりこ。なにもドラッグキメこんでるわけじゃあるまいし」
「……やっぱやめとこかな」
「奈々子にかした2000円……」と恨みがましくニコチン。
あ、くそ、そういう手でくる?
でもたしかに、家出生活を送るにはお金は必要だ。
今から仕事を探すってわけにもいかないし、そういうとこって時給よさそうだし、チャンスっちゃあ、チャンス?
ま、とりあえずニコチンはこうしておーむね五体満足なワケだし、つかあたしにシフト代わってっていう時点で、とりあえずめちゃくちゃイカガワシいお店ではないと、いろんな理由をつけて自分を納得させ、ニコチンの手を握りかえしたけど、気持ちはフワフワしたまんまだった。
それでもいい。何か気を紛らわすことが欲しい。
今、何をしていても 喉に刺さった小骨のごとく、ビビ先生からの電話のことばかりが気になってしまっていたから。
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