19:「好きだよ、リシャールくん!」
リシャールくんに抱きかかえられたまま、正門からアルヴィエ男爵家を後にした。
屋敷の前の道にはデュジャルダン伯爵家の馬車が止められており、リシャールくんは私を一度も道に降ろさず、そのまま馬車に乗せてくれた。
「私が駆け付けた時にはもう、ご自身の手で離れから脱出されていましたね。私の助けなんて必要なかったでしょうか」
揶揄うようなリシャールくんの口調に、なんだか恥ずかしくなる。
彼が好きだと自覚したからか、なぜか彼も私を想ってくれているらしいと発覚したからか、今までのように気軽に言葉を返すことができない。こちらをじっと見つめてくる赤の瞳にどんどん頬が赤らんでくる。
「いや、あの後リシャールくんが来てくれなかったら多分また閉じ込められていたので……ありがとうございました」
「いいえ、ご無事で何よりです」
リシャールくんはしみじみと言った。
居心地のいい馬車の椅子に座ってようやく一息つく。そして改めて今回のことを振り返った。
「色々あったけど、ニコラとも会えたし、今度は自分の足で離れから脱出できたし、最終的には良かったかな。あ、いや、リシャールくんたちに迷惑をかけたことは全然よくないけど……」
窺うようにリシャールくんを上目遣いで見る。彼は嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「すっきりとした顔をされていますよ」
「あはは、ありがとう。本当に……」
きっと私が気づかないところで、リシャールくんは私のことを守ってくれていたのだ。義母が差し向けてきた使いとやらを捕まえて、その使いと義母が繋がる情報を探して。ただでさえ忙しい彼にどれだけの負担をかけてしまっていたのだろう。
私はと言えばそんなこと全く知らず、呑気に本を読んだり膝掛を編んだりしていただけだ。
考えれば考えるほど申し訳なくなってくる。私はどれだけ能天気だったんだろう。あぁ――なんて頭を抱えているうちに、馬車は走り出していた。
そうしてやって来たのは、見覚えのある屋敷。アルヴィエ男爵家でも、デュジャルダン伯爵家でもないここは――
「……あれ、ここ……あの日の舞踏会の……」
私とリシャールくんが出会った舞踏会が催されたお屋敷だった。
ぽつり、と呟いた私に、リシャールくんは頷く。
「えぇ。“やり直そう”と思いまして」
「へ?」
「さぁ、こちらへどうぞ」
馬車の扉が開き、リシャールくんに抱き上げられる。靴を片方置いてきてしまったばかりに、彼は私に地面を歩かせるつもりはないらしい。重くはないだろうか。いや重いに決まっている。
リシャールくんは私を抱きかかえたまま、屋敷の敷地内に我が物顔で入っていく。門の前に人は立っておらず、敷地内も見渡す限り無人だがこれは不法侵入とやらになってしまわないだろうか。
「い、いいの? 勝手に入って……」
「えぇ。デュジャルダン家の持ち物なので」
「え! そうなの!?」
驚きのあまり大声をあげてしまう。そうすれば彼は私を見てくすりと笑った。
「デュジャルダン家の領地ですよ、ここ」
言われて、ふと思い出す。
未だ地理は勉強中のため、すぐに正確な地図を脳裏に思い浮かべられないが、ここから伯爵家まで馬車でそう時間はかからない。ともすれば、ここがデュジャルダン家が治める領地であっても不思議ではなかった。
「あ、そっか……確かに屋敷から馬車で近いよね……」
だから舞踏会の夜出会ってすぐに屋敷に行き、婚姻届を書くことができたのだ。
今更な事実に「そうかぁ……」と呟いて、はたと気づく。ここがデュジャルダン伯爵家の持ち物だというのなら、あの日の舞踏会は、まさか――
「でもじゃあ、あの舞踏会の主催はリシャールくんってこと?」
「はい」
「うっそ! じゃあ嫁選び大会だったってこと!?」
さらっと頷くリシャールくん。再び驚きに声をあげる私。
デュジャルダン伯爵家の持ち家で、主催がリシャールくんとなれば、それはただのお見合いパーティーというより“リシャールくんのために開かれた嫁選び大会”の意味合いが強くなる。奥様はそれを知っていたのだろうか。いや、知らなかったような気がする。
リシャールくんは私の言葉選びに苦笑を深めて、しかし頷いた。
「その言葉はだいぶ語弊がありそうですが……そうですね、カモフラージュの意味も込めて他の男性も招待しておりましたが、その実、私の“看板妻”を探すための舞踏会でした」
カモフラージュに、ということはやはり他の参加者には知らされていなかったのだろう。
次々に明らかになっていく真実に、リシャールくんと出会ったときのことを益々疑問に思う。彼は庭園に倒れていたのだ。主催者である彼がなぜそんなことになっていたのだろうか。
「うっそじゃん……じゃ、じゃあなんでリシャールくんは庭園に倒れてたの!?」
「ご令嬢にうっかり薬を盛られまして、落ち着くために外に出たら意識を失っていしまいました」
「は……」
予想外の回答に私は言葉を失う。
薬を盛られたって、興奮剤の類か何かだろうか。それで既成事実を作ろうとしたとか――それとも毒? でもじゃああのときのリシャールくんは、ある意味正気じゃなかったかもしれないということ?
どんどん混乱していく私をよそに、リシャールくんは言う。
「あの日の私は最高に運がよかった。そのおかげでジゼルに拾っていただけたんですから」
――はははっ、と声をあげて笑うリシャールくんを見て、なんかもう、どうでもよくなってきた。
あの日の出会いの裏にはいろんなことがあった。そして結婚してからの穏やかでどこか歪な新婚生活の裏にも、いろんなことがあった。私はその多くを知らない。けれど確かなこともある。
それは私がリシャールを好きということで、リシャールくんも、もしかすると――
「ここです」
ふとリシャールくんは足を止める。そこはあの日、彼が私にプロポーズした場所だった。
彼は近くにあるベンチに私を下ろすと、そのまま自分はその場に膝をついた。「え」と思ったときには彼に右手を取られていて。
――あの日と同じようにリシャールくんは私に傅き、
「ジゼル、私と結婚してくださいませんか」
その言葉を口にした。
――あの日と同じ場所。同じシチュエーション。ただ違うのは、彼は私の名前を呼んだ。
あまりに絵になる銀髪の伯爵様に、束の間息を忘れる。数秒後、彼の「やり直そうと思いまして」という言葉の意味を理解した。
リシャールくんはここで、プロポーズをやり直そうとしたのだ。
「あ、やり直すって、そういう……え!?」
プロポーズされた。
そう、もう一度プロポーズされた!
私はきちんとした答えをすぐに返せず、わたわたと慌ててしまう。そんな私をリシャールくんは愛おしげに見つめた。
「まだまだお互い知らないことの方が多いかもしれません。けれど確かに今、私は……俺はジゼルに傍にいて欲しいと、思っています」
リシャールくんは私の目を見つめながら真っすぐ言う。
――胸がいっぱいで、泣いてしまいそうだ。
彼は私に傍にいて欲しいと思ってくれた。縁談を断るための看板妻ではなく、本当の妻として、私はリシャールくんの傍にいてもいいのだ。
「これがおそらく愛おしいという気持ちなんだろうと……自信はありませんが」
最後に少しだけ言葉を濁したリシャールくんにがくっときつつも、思わず笑ってしまう。本当に自信のなさそうな表情だった。
「何それ」
「初恋なんだ」
「そっ……それは、どうも」
――突いたらとんでもないカウンターを食らってしまった。
初恋。初めての恋。あのリシャール・デュジャルダン伯爵家当主が、この私に!
信じられない。信じられなさすぎてもはや笑ってしまう。屋敷から出たい一心で彼のプロポーズに頷いたあの夜、まさかこんなことになるなんて私もリシャールくんも想像していなかっただろう。
私たちの出会いが運命だったとは思わない。しかし不思議な縁があったものだ、とは思う。
偶然で一度交わった道が、まさかこんなゴールを迎えるなんて。――いいや、これからが始まりなのだ。
「答えを聞いても?」
リシャールくんに急かされて、プロポーズの返事をしていなかったことに気が付いた。
そうだ、私はまだリシャールくんに想いを伝えていない。
私はリシャールくんを見やる。彼は少しだけ頬を赤くしていて、そのことに気づいた瞬間胸の内に溢れたのは愛おしさ。
――あぁ、この人のことが好きだ!
喜びと勢いに身を任せて、目の前に膝をつくリシャールくんに抱き着いた。
「好きだよ、リシャールくん!」
勢いよく抱き着いてきた私をリシャールくんは難なく受け止める。そしてぎゅう、と抱きしめ返してくれた。
「……先に言われてしまいました」
彼は少し悔しそうに言う。してやったりだ。
ふふ、と笑えば、仕返しとばかりにリシャールくんが私の耳元に唇を寄せ、
「好きですよ、ジゼル」
甘く囁いた。
あぁもう、恥ずかしいな!
喜びと恥ずかしさでぎゅうぎゅうとリシャールくんを抱きしめる。
私のどこを好きになったんだろう、とか、身分不相応だとか、気になることは沢山ある。けれどリシャールくんが「好きだ」と言ってくれたのだ。だから余計なことは考えず、彼の言う「好き」を信じて、私はこれからも彼に寄り添いたい。
――どちらからともなく抱き合う腕の力を緩めて、顔を見合わせた。するとこつん、とリシャールくんが額をくっつけてくる。
見上げた赤の瞳はキラキラと輝いていた。
「結婚してください」
「はい!」
そっと唇が触れる。どちらからともなく笑い合う。そして再び彼の胸元に飛び込んだ。
***
――朝、目が覚める。
ベッドから起き上がり少しの間ぼんやりしていると、自室の扉がノックされた。「はい」と返事をすれば、見慣れた顔のメイド・ティルが入ってくる。
「おはようございます、奥様。本日はいいお天気ですよ」
彼女はてきぱきとした動きでベッドを整えると、私の着替えも手伝ってくれた。朝があまり得意ではない私は、彼女に頼りっぱなしだ。
今日のドレスは淡いグリーン。初めて見るドレスだ。――ということは、もしかして。
「リシャールくん、帰ってきたの?」
「ええ、昨日の遅くに。このドレスは今回のお土産だとおっしゃっていましたよ」
ティルの答えに私は浮足立つ。そんな主の様子を見て、ティルはニコニコ嬉しそうに扉を開けてくれた。
私は気持ち早足で廊下を行く。目指すはダイニングルーム。昨日私が寝てしまった後に帰ってきたのだろう夫に、早く「おかえり」を言いたい。
ダイニングルームへと続く扉をティルに開けてもらう。そうすれば銀髪の男性がこちらをゆっくりと振り返った。
赤い瞳と目が合う。きゅ、その瞳が細められる。
「あぁ、やはり、思った通りお似合いです」
彼は緑色のドレスに身を包んだ私をつま先からてっぺんまで一度見て、噛み締めるように言った。
――まったく、公務で街に行く度に、決して安くないドレスやら装飾品やらを「似合うと思ったから」なんて軽いノリで買ってくるのはどうかと思う。それぐらいで傾くような家ではないが、無意味な散財はやはりよくない。
なんて言いつつ、私は喜んでしまっているのだけれど。
私は彼に駆け足で走り寄る。そしてその勢いのまま抱き着いた。
「おかえり、リシャールくん!」
「ただいま戻りました、ジゼル」
今日もまた、ジゼル・デュジャルダンとしての幸せな一日が始まる。
転生令嬢と元ヤン伯爵の歪な新婚生活 日峰 @s-harumine
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