16:「姉上は、今、幸せ?」



 ――離れに閉じ込められた、その夜。

 あまりの寒さにガチガチと歯が鳴るほどで、かび臭い毛布を体に巻き付けてなんとか暖をとっていた。

 すきま風がひどく、外に出られないくせにびゅうびゅうと部屋の中を風が駆け抜けていく。恨めしい。



(ティル、大丈夫かな……)



 私についてからというものの、災難続きの頼れる使用人を思う。彼女もどこか別室に閉じ込められているのではないだろうか。

 妾の子として生まれたときから奥様に恨まれ、実母は自分を捨ててどこかへと逃げ、縁を切ったかと思いきや金をせびるために嘘をつかれ、それを断ればこうして閉じ込められて。

 我ながら“家族運”がなさ過ぎて笑ってしまう。



「私の人生、リシャールくんと出会えたことだけが幸運で、あとは運しんでるかも……」



 どうやっても震える体を自分で抱きしめながら、ぽつりと呟く。

 ぐぅ、とお腹が鳴った。この時間になっても飲み物すら届けてくれない。



「食事すら持ってきてくれないの……本当に殺す気かな……」



 リシャールくんは私が実家に帰っていることを知っているし、帰りが遅ければ誰かしらを差し向けてくれるはずだ。だからこの暗く寒い離れで野垂れ死にすることはないはずだが、弱っているせいかマイナス思考になってしまう。

 次から次へとトラブルに巻き込まれる私に、リシャールくんは愛想を尽かせていないだろうか。こんなに面倒な家族を持つ私を、鬱陶しいと思わないだろうか。

 記憶の中に残る、リシャールくんにぎゅっと抱きしめられたときの温もりをぼんやりと思い出して――



「姉上」


「うわぁ!?」



 背後からかけられた聞きなれない声に、文字通り飛び上がった。

 私は慌てて振り返る。そこにいたのは栗色の髪を持った少年。――名も知らぬ、弟だ!

 頬をつねる。痛い。目をこする。依然少年は私の前に立っている。どうやら彼は私が見ている夢でも幻覚でもないようだ。

 だとすると気になる点は一つ。



「ど、どこから入ってきたの!?」



 思わず大声で尋ねると少年は振り返り、壁と床の隙間を指さした。そこには建物の老朽化故か、むき出しになった土が見えており、付近の壁が崩れていることも相まって、小さな穴があいていた。

 やけに部屋の中をすきま風が通ると思ったら、この穴のせいだったのか! と納得する。

 私は穴に慌てて駆け寄ったが、小さな子ども一人通れる程度の大きさだ。私が通るには少しばかりキツそうだ、とため息をつき――



(下は土なんだから、掘って穴を広げれば私も通れる?)



 なんてことを思いついた。

 リシャールくんはきっと助けにきてくれるだろう。しかし何度も助け出されては情けないし申し訳ない。

 それにこれは私の問題だ。リシャールくんに頼りっきりというのはあまりよろしくないように思う。

 私はぺたぺたと剥き出しになっている土を触る。この地域は夜は冷えるためかかなり土は固い。土を掘って穴を広げる、というのは中々骨が折れそうだ。



(でも、やってみなきゃ分からない)



 またこの離れに監禁されるなんて絶対にご免だ。本でもなんでもここにあるものは全て使って、どうにかこうにか脱出経路を作ろう。

 ――今度は、自分の足で離れから出ていくのだ。そうすれば今度こそ忌まわしい過去と、この家と決別できるような気がする。

 そう密かに決意を固めていたところに、背後から声をかけられた。



「姉上がいなくなったあと、ここにかぎがかけられて、母上からは絶対に近寄ったらいけないって言われた。でもかくされると、逆に気になる」



 少年は年齢の割にひどく落ち着いた口調で、淡々と話す。

 彼に「姉上」と呼ばれるとなんともむず痒いような、不思議な気持ちになった。



「入れる場所がないか探して、見つけた」



 それなりに大きな穴だが、外から見ると木々に隠されてあまり目立たないかもしれない。十歳前後の弟が一人で離れに入ろうと思い、見事その目的を達成したのは素直にすごい。

 少年はとてとてと歩き出すと、本棚におさめられた一冊の本を手に取った。――いや、彼が手に取ったのはハードカバーの本ではなく、薄いノートだった。

 あ、と気づいた瞬間、頬が赤らむ。彼が手に持っているのは私が書いた空想小説――黒歴史だ!



「ここには本がいっぱいあるから。これとか面白い」


「それ私が書いたやつ……」


「やっぱり。そうだと思った」



 さらりと言われて頭を抱えそうになる。なんてことだ、弟に読まれていたなんて。



「どんな話でも最後は絶対ハッピーエンドにしてるから、書いた人はよっぽどハッピーエンドが好きなんだろうなって」



 嗜好まで知られているあたり、ここに置いてある空想小説は全て読まれてしまったのかもしれない。恥ずかしさのあまり、穴があったら入りたい。

 自分が恵まれない環境にいるからこそ、空想の世界では常に幸せを求めていた。暗い話を書いていると暗い気分になってくるのだ。

 既に読まれてしまったものを取り繕っても意味がない。私は半ば開き直って頷いた。



「正解。死に別れた恋人も生まれ変わらせてくっつけちゃうから、私」



 投げやりな口調で言えば少年は笑った――気がした。

 穏やかな空気が流れ始めたところで、少年は「あ」と声をこぼす。どうしたのかと思いきや、手に持っていた袋から包み紙に包まれた何かとガラスの瓶をこちらに差し出してきた。



「これ、パンと水しかもってこれなかった」


「あ、ありがとう!」



 思わぬ贈り物に私は驚きつつも、心の底からお礼を言う。まさか彼が食事を持ってきてくれるなんて!

 奥様に言われて届けにきた訳ではないだろう。あんな隠し穴を使ってやって来たということは、少年がこっそりと、奥様に内緒で持ってきてくれたに違いない。

 何度もお礼を言ってパンにかぶりつく。水を飲む。正直パン一つでは空腹感はまぎれなかったが、それでも先ほどまで感じていた絶望感は幾ばくか薄らいだ。

 ベッドに座って水を飲む私の横に、少年が腰かける。そして、



「姉上は、ここでずっとくらしてたんだよね?」



 おそるおそる、といった様子で問いかけてきた。

 ――どう答えるべきか、悩む。父や奥様がこの少年に私のことをどう話していたか知らない以上、下手に答えればショックを与えてしまうかもしれない。

 しかし私がここに住んでいたことはほぼ確信しているようだし、そもそもあの空想小説を私が書いたと言ってしまった時点で今更嘘はつけない。



「うーん、うん。生まれてからずっと、ではないけど」


「寒いね」


「私が住んでたときはもう少し快適だったよ」



 流石にここまですきま風はひどくなかったはずだ。

 あはは、と笑う。しかし少年は笑ってくれず、それどころか俯いてしまった。



「ぼく、全然知らなかった」



 もしかすると少年は、自分に腹違いの姉がいることすら最近まで知らなかったのかもしれない。

 彼が生まれた頃には既に私は監禁されていたから、そんな小娘の存在をわざわざ知らせる意味もないだろう。知らなくても納得だ。

 それに、腹違いの姉が離れに閉じ込められていると聞かされても反応に困るだろう。知らないままの方が、彼にとってはよかったはずだ。



「知らなくていいんだよ」



 笑いかける。しかし少年は俯いたままだった。

 気まずい沈黙に頭をフル回転させて話題を探す。ふと脳裏に浮かんだのはティルの姿だった。

 彼女は無事だろうか。



「ティルは無事? 私と一緒に来たメイドの人……」



 問いかければ少年は顔を上げる。その表情に曇りはなく、それどころか僅かに口角を上げていた。楽しそうだ。



「あの人は逃げちゃった」


「逃げた!?」


「つかまえておいたのに、気づいたらいなくなってたって」



 思わぬ回答に驚きつつも、彼女が不自由を強いられていないことにほっとする。それと同時に、



(じゃあ、助けを呼んでくれるはず……)



 そう遠くない未来、ここから出られるだろうという希望の光が差し込んできた。

 ほっと体から力を抜いて、しかしいけない、と思い出す。

 リシャールくんに助けられて当然という思考ではいけない。前回は彼の事情に私が巻き込まれたが、今回は逆だ。完全に私側のゴタゴタであって、リシャールくんは全く関係ないのだから。

 最初から自分で動くことを放棄して、ただ待っているだけではだめだ。甘えてばかりでは、ただでさえ歪な私たちの関係はすぐ破綻する。



「――姉上は、今、幸せ?」



 突然の問いかけに驚き数秒沈黙してしまったが、何やら神妙な表情で顔を覗き込んでくる弟に大きく頷く。



「う、うん。幸運にも素敵な旦那様に拾っていただいたので」


「よかった」



 そう答えれば少年は笑った。安心したようだ。

 問いかけられて、逆に思う。少年は――弟はどうなのだろう。

 どうやら彼は、自分の母親の企みを知っていてその上で、阻止するために私の前に現れたようだった。だとすると少なからず、今回のことに関して思うところがあるのだろう。

 僅か十歳前後の子どもとは思えないほどしっかりしているように見える。だからこそ、その心中が心配になってしまう。

 彼に頼れる人はいるのだろうか。



「……君は?」


「母上も父上も嫌いじゃないよ。でも商売が下手だから、ぼくが当主になってこの家をたてなおす」



 それはとても頼もしい返事だった。もう立派な次期当主としての自覚が芽生えている。

 思ったことをそのまま素直に口にした。



「……頼もしいね」


「だって、ぼくはアルヴィエ男しゃくの家に、長男として生まれたから」



 前を真っすぐ見てそう言う弟は、私なんかよりもよっぽど将来のことを考えている。そして男爵家の嫡男として生まれた責任を既に自覚している。

 彼はこのまま育てばこの街を背負うことになるのだ。それは私が想像するよりもはるかに凄まじい重責だろう。

 私はさっさとこの家から逃げてしまったが、長男である彼は逃げる訳にはいかない。そう思うと、尊敬の一言だ。かっこいい。



「かっこいいね」


「そうかな」


「うん」



 頷けば少年は頬を赤らめて視線を下げた。照れているのだろう。

 年相応な可愛らしい横顔に自然と笑みが浮かぶ。胸の奥から湧いてくるこのあたたかな感情は何だろう。

 ――父のことも、義母のことも許すことはできない。こんな風に騙されて、許せという方が難しいだろう。けれどそれとは別に、今目の前にいる少年は好ましく思えた。



「頑張りすぎちゃ駄目だよ。本当に駄目そうだったら、誰かを頼って」


「うん」



 私は彼の力になることはできないだろう。だから無責任ではあるが、彼を支えてくれる人がいてくれたら、と思う。

 沈黙が落ちたのをきっかけに、ぐい、とガラスの容器をあおる。気づけば水も全て飲んでしまった。

 正直お腹はまだすいているが、彼が来てくれなかったら空腹で気を失っていたかもしれない。それに話し相手になってくれたことで、随分と気がまぎれた。

 ふぅ、と満足げに息をつき、



「あー! おいしかった! 本当にありがとう」



 改めてお礼を言う。すると彼は首を静かに振った。



「ううん、これしか持ってこれなくてごめんね」



 今度は私が首を振る。

 おそらくは母親の目を盗んで、小さな隠し穴を通って水と食事を届けてくれたのだ。私にとって彼は恩人――ヒーローだ。



「おかげで助かったよ、ありがとう。えっと……」



 そこで少年の名前を知らないことに気が付いた。

 父には聞きそびれてしまったし、奥様は手紙で尋ねても教えてくれなかったのだ。私のヒーローは――弟は、何という名前なのだろう。

 今更面と向かって名前を聞くのも憚られたが、当然聞かなければ分からない。観念して問いかけた。



「名前、教えてくれる?」


「ニコラ」



 ニコラ。その名は不思議と舌に馴染んだ。



「姉上の名前は?」


「私はジゼル。よろしくね、ニコラ」



 握手を交わす。どちらからともなく目線を合わせ、笑った。

 笑ったその瞳の色も、揺れる髪の毛の色も、右頬に浮かぶえくぼも、私とは何一つ共通点がない。体に流れる血の半分は同じ人のものであるはずなのに、こうも似ていないのは不思議だ。

 けれど――あぁ、この子が、ニコラが私の弟なのだと思った。


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