15:「騙したんですか! 同情を引いて!」



 実家に帰った私を出迎えてくれたのは義理の母親――奥様だった。

 彼女は不気味なほどにこやかな表情で、私とティルを歓迎してくれる。



「ようこそお越しくださいました、デュジャルダン伯爵夫人」


「お久しぶりです、奥様」



 笑顔で出迎えられた以上はこちらも笑顔で応えなければならない。今思えばこのとき初めて奥様の笑顔を見たのだった。

 奥様直々に広間へと案内してくれる。実家ではあるが離れに十一年間監禁されていたせいで、アルヴィエ男爵家の廊下は新鮮に感じた。この廊下を歩いたのはそれこそ十一年ぶりだ。

 廊下を歩く最中、奥様が厭味ったらしく「ふふふ」と笑う。



「メイドを連れていらっしゃるなんて、随分と優雅なご身分ですこと」


「はぁ……」


「伯爵夫人がお一人で出歩かれることはあり得ませんから」



 奥様からの嫌味に明確に答えてくれたのはティルだ。私は情けないことに奥様の嫌味を受け流すだけで精一杯だった。

 広間につくなり奥様は振り返り、ティルをじっと見つめる。



「そのメイドを雇う金があれば、息子の治療費も出せましょうに」



 ――しつこいな!

 ティルに嫌味な視線が向けられるのが耐え切れず、思わず間に割って入る。すると今度は私を睨みつけてきた奥様だったが、その目をじっと数秒見つめ返せば彼女のほうから視線を逸らした。

 広間についたにも関わらず私も奥様もどちらも座らないまま会話を続ける。



「デュジャルダン伯爵は無関係です。治療費をお願いすることなんてできません」


「あら、どうして? 奥方の弟が大病を患っているのよ? それなのに援助してくれないなんて、よっぽどの人でなしか――貴女が愛されていないのね」



 なぜか嬉しそうに言う奥様にうんざりする。やはり彼女は私の不幸がお好きなようだ。

 ここまで悪役に徹してくれるとかえってやりやすい。私の緊張はこの屋敷についたそのときがピークで、それからはどんどん落ち着いてきていた。

 私は今日、弟に会いにきたのだ。奥様に用はない。



「そう思っていただいて結構です。ただ……弟に会わせてくれませんか」


「なぜ?」


「私は一度も弟に会ったことがありません。けれど会ってみれば……弟として、愛することができるかもしれない。手紙にも書きましたよね?」



 問いかける。すると奥様はわざとらしく「あぁ」と頷いてみせた。



「そうでしたわね。どうぞ、こちらへ」



 結局広間のソファに座ることなく、そのまま奥様に連れられてある一室に案内される。

 その部屋は電気がついておらず、その上カーテンも閉め切っているため、昼間ではあるがかなり暗かった。目を凝らして部屋の中に確認できたのは大きなベッド一つ。ベッドはこんもりと盛り上がっており、おそらくはその盛り上がりが弟なのだろうと思う。

 私は恐る恐るベッドサイドに歩み寄ろうと一歩踏み出して、



「それ以上近づかないでくださる?」



 ぐっと腕を奥様に掴まれた。

 毛布を頭までかぶっているものだから、ここからでは顔が見えない。病に伏せているのだから無理に起こしてしまうのは本意ではないが、せめてその毛布をとってくれないだろうか。顔を一目見たいのだ。



「あの、せめて顔を……」


「今の息子には光すら毒ですわ。諦めてくださいませ」



 しれっと奥様は言う。

 光が毒だと言うが、この暗闇でも毛布を外すことすらできないのだろうか。それほどの難病を患っているのだろうか。

 流石に顔を見るのは諦めて、しかしこのまま帰っては心が決められないと最後に一度だけ食い下がる。



「でしたら声だけでも……」


「今の息子に声を出せというの!?」



 急に奥様が大声を上げた。暗闇でも彼女の吊り上がった瞳が分かる。

 その形相に驚きつつも、もし弟が眠っていたのなら今の声で起きてしまわなかっただろうか、とちらりとベッドの方を見やる。しかしベッドの上の盛り上がりはぴくりとも動いていなかった。

 ――そう、ぴくりとも動いていないのだ。

 呼吸をして上下する様子すら、ない。

 流石に私は違和感を感じた。再びベッドに目を凝らして――



「はじめまして、姉上」



 背後の扉が開いた。

 暗い部屋に突然差した光に目がくらむ。ぱちぱちと何度か瞬きをして、徐々に光に目が慣れていった。



「どうしてここにいるの!」



 隣の奥様が悲痛な叫び声を上げる。そして小さな人影に駆け寄った。

 奥様が駆け寄ったのはその人影は小さな男の子だった。栗色の髪に青の瞳。その容姿的特徴は奥様によく似ていて――この子、今私を「姉上」と呼んだ?



(まさか……弟?)



 彼は私が七つのときに生まれたから、単純計算で今十歳ほどのはず。こちらを見上げてくる少年はまさしく十歳程度に見えた。

 けれど弟は病に伏せって、この部屋のベッドに眠っているはずだ。意味が分からなかった。

 もしかして双子だったりする?



「この通り、ぼくはピンピンしています」



 少年は見た目から推測できる年齢にしては大人びた口調で言う。



「ぼくが病気になったというのは、あなたの夫からお金をもらうための、うそです」



 ――ようやく理解した。いいや、薄々気づいてはいたが、父も奥様もこんなせこい真似をする訳がないと思っていた。信じたかった。

 まさかお金欲しさに「息子が病を患った」という嘘をつくなんて。

 失望。そして怒り。

 私は腹の底からカッと湧いてくる怒りに身を任せて奥様を怒鳴りつけた。



「騙したんですか! 同情を引いて!」



 奥様は一瞬苦虫を噛み潰したような顔をしたが、すぐに眉尻も目尻も吊り上げて怒りの表情を浮かべる。そしてなんと開き直った。



「この恩知らず! メイドの餓鬼を殺さずに育ててやっただけでも感謝しなさい!」



 ――怒り狂った奥様の表情が、十一年前のあのときと重なった。



『どうしてあの女の子どもが屋敷にいるの!』



 首にかけられた冷たく細い手の感覚を思い出す。押し倒された床の冷たい感触も。

 奥様はあの日、私を殺そうとした。あのときの彼女は間違いなく、私に殺意を向けていた。

 一瞬恐怖に襲われる。足が竦んで、しかしここで負けてはいけないとぐっと固い床を踏みしめた。

 危うく騙されるところだったのだ。絶対に援助しない。さっさとデュジャルダン伯爵家に帰って、アルヴィエ男爵家とは縁を切ってやる!



「あのときあなたは殺すつもりで私の首を絞めた!」


「ええそうよ! あのとき殺してやればよかった!」



 奥様は泣いていた。泣き叫んでいた。

 明確な殺意を向けられてぐっと押し黙る。彼女は自分を抱きしめるようにして、そのまま床に膝をついた。



「伯爵の家に嫁いだんだから、金ぐらい寄こしなさいよ! 痛くもかゆくもないでしょう!」



 奥様はもう自暴自棄になっていた。その姿はいっそ哀れにすら思えて。しかし同情なんてしない。してやるものか。

 父がデュジャルダン家を訪れたその日から騙されていたのだ。私に頭を下げた父も全てはお金欲しさのため。弟に会いたいと私が送った手紙を見て奥様は焦ったのだろうか、それとも騙してやろうとほくそ笑んだのだろうか。

 きっと弟には別室でじっとしているように言っていたのだろう。暗い部屋であれば細かい部分まで見えない。クッションでもベッドの中に入れておいてさも人が眠っているように偽作したのか。あまりに拙すぎる嘘だ。

 すぅ、と息を吸って、腹の底から叫んだ。



「絶対にお断りです! 今後いらしても一切お会いしません!」



 ティルに「帰ろう」と声をかける。その瞬間、奥様が大声を上げた。



「離れに閉じ込めてしまいなさい!」



 え、と思った瞬間どこから現われたのか分からない男たちにあっという間に拘束されてしまった。――そこで気が付く。部屋が暗かったのは、彼らが部屋の中に身を潜めるためだったのだ。

 奥様の目的はこんな偽作で私を騙すことではなく、暗い部屋に誘導して捕まえることだったのかもしれない。

 私はティルを見やる。彼女もまた男に手足を拘束され、その場に膝をつかされていた。



「んー! んー!」



 口を手のひらで覆われてはティルの名前を呼ぶことすらできない。

 奥様は笑っていた。その忌々しい顔を睨みつけながら、私はどんどん引きずられていく。――弟が慌ててこちらに駆け寄ってこようとして、使用人に抱き上げられたのが見えた。

 悲しいかな、私の力では男たちに抵抗することができない。彼らが私を連れて行った先は――十一年間閉じ込められていた離れだった。



(閉じ込められる……!)



 男たちは乱暴に離れの扉を蹴破ると、私を中に投げ飛ばした。

 思わず尻餅をつく。顔を上げたときにはもう離れの扉が閉まる直前だった。

 ――バン!

 大きな音を立てて扉が閉まる。私は慌てて扉に駆け寄ったが外側から鍵をかけられてしまったらしく、びくともしなかった。

 振り返る。――そこには十一年間、見慣れた景色が広がっていた。

 暗く埃っぽい部屋。部屋のあちこちに溢れた本や日記。湿っているベッドにクッション。

 リシャールくんと出会ったあの日、二度と戻ってくるものかと心に決めたこの部屋に戻ってきてしまった。

 寒さにぶる、と身を震わせる。



(リシャールくんは私が男爵家に行くことを知っているから、きっとすぐ異変に気づいてくれると思うけど……)



 知らず知らずのうちにリシャールくんが持たせてくれたネックレスを握りしめていた。

 きっと彼なら助けてくれる。そう信じている一方で、この前誘拐されたばかりなのに、と申し訳なくも思う。



(またご足労をおかけしてしまう……)



 はぁ、とため息をつく。

 どうにか旦那様のお手を煩わせず自力で脱出できないかと、久しぶりの“自室”に向き直った。


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