12:「……お父様」



 誘拐事件に巻き込まれ、リシャールくんの過去を知ったあの日から、休養ということでゆっくりとした毎日を過ごしていた。実際伯爵夫人には仕事らしい仕事はないが、しばらくは朝のウォーキングも控えて自室で安静にしていたのだ。

 そんなのんびりとした、けれどどこか退屈な日々が過ぎ、すっかり普段の生活に戻った頃、私がはリシャールくんに送る膝掛を編み始めた。毛糸を選ぶだけ選んで、その後バタバタとしていたので全く手を付けていなかったのだ。

 ティルにつきっきりで指導してもらい、時間は有り余っているので一日中ずっと膝掛を編むことに集中していた。ともなればそれなりの大きさにはなってきたのだが――



「難しすぎる~~~」



 あっちに解れ。こっちに解れ。あれ、ここで一つ目を飛ばしてない? やってしまった。

 頭を抱えていた私の横で、ティルがティーカップをテーブルに置きながら微笑んだ。



「奥様、紅茶を淹れてきました。一休みなさってください」


「ありがとう、ティル」



 いいえ、と微笑むティルはつくづくよくできたメイドだ。ありがたい。

 彼女は誘拐事件のときも、私を身を挺して守ってくれようとした。その結果その身に魔法を受けてしまったのだ。すぐに治療され、跡も残っていないと聞いているが――メイドだなんて重労働をさせてしまって大丈夫だろうか。



「……怪我はまだ痛む?」


「いいえ! 旦那様に治療して頂いて、その日の内に全快です」



 私は心配のあまり何度目か分からない問いかけをしてしまう。あの日から私は何十回とティルに同じ問いを投げかけているが、その度に彼女は笑顔で首を振った。

 いい加減しつこいと怒られそうだが、それでも気になってしまうものは気になってしまうのだ。私のせいで火傷の跡をその体に残してしまったら、と思うと申し訳なさすぎる。



「本当?」


「背中、見ますか? あとお腹も」


「それは大丈夫!」



 メイド服に手をかけたティルを思わず止める。ここで脱げるというのならば、おそらく本当に跡は残っていないのだろう。



「奥様、本当に大丈夫です。ご不安でしたら明日、私の姿を写真におさめて持ってきます」



 そこまで言われては彼女の言葉を信じない方が申し訳ない。私は首を振って、ティルに再度「ありがとう」とあのときのお礼を言った。

 ――正直、自分の身を挺してまで守ってくれる存在は今まで一人もいなかった。それはある意味当然なのだろうが、だからこそ、ティルをはじめとした使用人たちの奉仕精神に戸惑ってしまうというのはある。彼女たちもそれが仕事なのだとは分かっているのだが、理解と自然と湧く感情というのはまた別問題だ。

 ティルは私の手元を見てふと口を開く。



「それより、だいぶ進みましたね」


「うん……かなり解れてるけど」



 苦笑すれば、ティルは「いいえ!」と大きく首を振った。声もいつもより若干大きい。



「初めてにしてはとっても良くできています。旦那様もきっとお喜びになりますわ」


「そうだといいんだけどねぇ……」



 ぽつり、とこぼせばティルは大きく頷く。その様子に背中を押されて、さて、もうひと踏ん張りだと気合を入れた。

 ――その後も一心不乱に編み続けて、なんとか膝掛もどきは完成した。かなり歪ではあるが私比で最後の方は綺麗に編めているし、形にはなっている。

 できた膝掛を満足げに見つめて、やり遂げた達成感でテンションが上がっていたせいか、あることを思いついた。



「そうだ、手紙もつけよう! 普段のお礼も兼ねて……」



 デュジャルダン伯爵家で過ごすようになってから、気づけばそれなりの日数が経過している。まだまだ私とリシャールくんの関係は何とも言えない状態だけれど、いやだからこそ、一度手紙でしっかり感謝の気持ちを伝えておこうと思った。

 何もできない私がこうして不自由なく暮らせているのは全てリシャールくんのおかげだ。



(拾ってくれたお礼と、毎日楽しいですって報告と……それから、許してくれるのなら、これからもここにいたいってお願いを)



 リシャールくんの過去、そして今の伯爵家としての立場。

 私は彼の妻としてきっと相応しくない。それでも傍にいたいと思ってしまった。

 だから、リシャールくんが許してくれる限りは、彼が私をここに置いてくれる限りは、これからもせめて縁談避けの年下妻としての役目をしっかり果たそう。


 ――その翌日。楽しみを後に取っておけない性格の私は、朝食の後、早速リシャールくんに膝掛を渡した。手紙は渡す直前で恥ずかしくなってしまい、たたんだ膝掛の中に隠してある。

 私が選んだ、グレーがかった淡い水色の毛糸で編まれた膝掛を渡されて、リシャールくんは目を真ん丸にしていた。その表情を見れただけでも、サプライズとしては大成功だ。



「これを……私に?」



 ぽつり、と呟くように問いかけてくるリシャールくん。あまりにまじまじと膝掛を観察するものだから、きっと解れとか目立ってるんだろうなと思うとどんどん羞恥心が湧いてくる。

 私は早口で答えた。



「えっと、はい。ティルからリシャールくんが使ってる膝掛がだいぶ昔のものって聞いたので……あの、かなり歪ですが……」



 リシャールくんは答えない。ただじっと膝掛を見つめている。――あまり、喜んでいないように見えた。

 選択を間違えただろうか。いや、あまりの下手さに呆気に取られているのかも。やっぱり今回のは練習にして、もっと綺麗に作ったのを渡せばよかった! そもそも人から手作りもらうの好きじゃなかったかな?

 ぐるぐると脳裏を不安がよぎる。いたたまれなくなって、リシャールくんの手から膝掛を取り返そうと手を伸ばした。



「き、気に入らなかったら、いいの! あはは、ごめんね」



 私が膝掛を掴んで引っ張ろうとした瞬間、がしっとリシャールくんの手が膝掛を握る。強い力だった。

 思わず彼を見れば、リシャールくんは嬉しそうに微笑んでいた。



「いえ! いえ、ありがとうございます。嬉しいです。少し驚いてしまって……大切にします」



 そう言った彼の瞳はとても優しくて、嘘をついているようには見えなかった。

 優しい赤の瞳に見つめられて自分の頬が赤らんでいくのを自覚しつつ、喜んでくれるのは素直に嬉しかった。



「あー、えっと、うん。温かさは保証するので、適当につかってください」



 実際使った毛糸はかなり質のいい物だ。伯爵家にあったものだから当然だが、自分で一度膝に掛けてみてその温かさにびっくりした。きっとリシャールくんの膝も寒さから守ってくれるはずだ。

 ふ、とリシャールくんが笑った瞬間、彼が持っていた膝掛の中から手紙が滑り落ちた。その音に、私たちの間の空気が数秒固まる。しかしすぐに落ちたものが手紙だと気づいたリシャールくんが拾い、封に手をかけた。



「……手紙?」


「あー、待って! 本人の前で開けないで! 恥ずかしすぎるから! 一人のときに読んで!」



 今にも開けそうな彼を制止する。拾った手紙の差出人が私だと分かった彼は、私の言葉を素直に聞いてニコニコ笑顔で内ポケットにしまい込んだ。その笑顔が眩しい。



「ありがとうございます。日記に書かないと」



 手紙書かなきゃよかったかな――と若干の後悔をしつつ、リシャールくんの言葉にふと思う。彼は私が話半分で言った「日記書いたら?」という言葉に従って、未だに日記を書いているのだろうか。

 そうだとすると、随分と律儀な人だ。



「……リシャールくん、あれからずっと日記書いてるの?」


「えぇ。書いてみると案外ハマってしまって。読み返せばその日の喜びが蘇ってくる。いいものですね」



 楽し気な口調でそういうリシャールくんは、私に言われたから、という理由ではなく、日記を書くこと自体が楽しくなって続けているように見えた。きっかけはどうであれ、お気に召してくれたならよかった。



「日記はハマるとかハマらないとかそういうものじゃなくない……? でもまぁ、よかった」



 少しだけリシャールくんの書く日記を読んでみたいな、と思う。日記でも敬語なんだろうか、それともやっぱり素の口調で書いているんだろうか。

 しかし他人の日記を見せて欲しいとは口にしづらいし、そんなことを言えば私の日記も見せて欲しいと言われかねない。ただどんな出来事を書いたかは聞いてもいいだろうか、と口を開きかけて――



「お話のところ失礼します」



 執事長・カールハンイツの呼びかけに口を閉じた。

 彼は優秀な執事だ。であるからこそ、簡単な用では私たちが会話しているところに割って入ってこない。何かあったのかもしれない、と思う。

 ――嫌な予感がした。



「どうした」



 リシャールくんが笑みを消して問いかける。そうすればカールハンイツはいつもと同じ声音で、淀みのない口調で言った。



「アルヴィエ男爵が奥様にお会いしたいとお見えです」



 ――アルヴィエ男爵。一瞬カールハンイツの口から出てきた単語をうまく認識できなかった。

 アルヴィエ男爵。それは――今は名乗ることをやめてしまった、私の実家の家名だ。

 時間ときが一瞬止まる。気づけば息をするのも忘れていた。



「……お父様」



 リシャールくんがこちらを見る。しかし心配そうな瞳を向けてきた彼に、何も応えることはできなかった。

 ――今更何をしに来たんだろう。結婚の件は手紙で伝えた。それに返事すらこなかった。それなのに、なぜ。

 脳裏に浮かんだのは狭く暗い離れの景色。デュジャルダン伯爵家に嫁いできて、リシャールくんやティルをはじめとした使用人たちとの日常が当たり前になり、過去とはすっかり決別したつもりでいたのだが――気づかないうち、あの日々がトラウマになっているのかもしれない。

 震える手に気づかれないよう、ぎゅうと拳を握りしめる。いつの間にか手のひらは汗でびっしょりになっていた。


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