10:「貴女のことを大切な妹だと思っています」



 ――あの後、デュジャルダン伯爵家に連れて帰ってもらい、シャルロットさんと二人、ゆっくりと休養した。

 男の魔法で傷つけられたディオンさんとティルは無事だった。火傷の跡でも残ったらどうしよう、と不安に思っていたのだが、旦那様の治癒魔法できれいさっぱり治りました、とティルは笑っていて。

 それが私に気を遣わせないための嘘なのか本当なのかは分からなかったが、そう言われた以上は信じるしかない。とにかく無事であったことをお互いに喜んだ。


 リシャールくんは後始末に追われているのか、休養中はまったく姿を見なかった。しかし毎日花を届けてくれたようで、私の部屋はすっかりリシャールくんからの花でいっぱいになってしまった。

 ベッドの上で傷と疲労を癒す中、思い出すのはやはりあのときのリシャールくん。彼の荒れていた時代の話は何度か人の口から聞いていて、イメージをしていたつもりだけれど――予想以上だった。正直恐ろしいとすら思ってしまった。



(助けてくれたのに、こんなことを思うのは申し訳ないけど……)



 もし出会ったときのリシャールくんが今の穏やかな彼ではなく、過去の恐ろしい彼であったら、私はきっと彼からのプロポーズに頷かなかっただろう。そう思い、自分はここにいていいのかと考えてしまった。

 今のリシャールくんは彼が苦労して作り上げた“表”の顔だ。あの荒れたリシャールくんが“素”とまでは思わないが、彼の一部であることには変わりないだろう。であるならば妻として、“あの”リシャールくんと向き合わなければならないときが来るかもしれない。

 そのとき私はちゃんとリシャールくんと向き合えるだろうか。



「奥様、失礼します」



 ティルが部屋に入ってくる。いつも通り、彼女はその腕に大きな花束を抱えて――いなかった。

 あれ、と思わず声をこぼした私を見て、ティルは複雑そうな笑みを浮かべる。そして、



「旦那様がお帰りです。……大広間に集まって欲しい、と」



 ――今回の誘拐事件について、きちんと話し合う場を設けようとしているのだろう、と悟った。

 私は急いで身支度をして、大広間へと駆け付ける。そこにはリシャールくん、シャルロットさん、ディオンさん、それとディオンさんによく似た赤髪の壮年の男性が集まっていた。

 私が最後だったことに慌てつつ、空いている席――リシャールくんの隣に腰かけた。それを見届けるなり彼は口を開く。

 挨拶もなしに、彼は本題に切り込んだ。



「今回の件についてはディオン、お前の落ち度だ。どう責任を取る」



 まだヤンキーバージョンのリシャールくんだ、なんてふざけたことをこっそり思う。けれど心の中で茶化さなければ息がうまくできない。それぐらい部屋の中の空気は張り詰めていた。

 ディオンさん、そしておそらくはそのお父様である赤髪の男性――レスコー子爵は大きく頭を下げた。



「申し訳ございません」


「お前が勝手にジゼルを連れだした。その結果がこれだ。俺が間に合わなければ二人とも死んでいたかもしれない」



 リシャールくんの言うことも分かる。今回ディオンさんに連れ出されなければ、おそらく”私は”巻き込まれなかった可能性が高い。しかしどちらにせよシャルロットさんは同じようなタイミングで誘拐されていただろうし、もしかすると私が屋敷で大人しくしていたとしても屋敷に襲撃があったかもしれない。

 しかし全ては“かもしれない”だ。あくまで今回の結果を見れば、の話だが、ディオンさんの行動が原因の一端になっているのは言い逃れできない事実だった。



「お詫びのしようもなく……愚息の処遇は、そして我が家の処遇は伯爵のお望みのままに」



 レスコー子爵は苦しそうな表情と声音で告げる。その様子に胸が痛んだ。

 思えば私の危機感のなさにも原因があったのではないだろうか。誘ってきたのはディオンさんだがほいほいとついていって呆気なく攫われて、ディオンさんにもティルにも怪我をさせてしまった。私がもう少ししっかりしていれば、あるいは――

 私より先に声をあげたのはシャルロットさんだった。



「私の責任です!」



 声が震えている。「シャルロット」とリシャールくんに呼ばれて、彼女の肩はびくりと震えた。

 しかしそれでも、シャルロットさんはリシャールくんから目を逸らすことなく真っすぐ告げる。



「私がリシャール兄様のご厚意を意地になって突っぱねてしまったばっかりに、お優しいディオン様がこのようなことを……! 全ては私の愚かな言動が招いた結果です」



 シャルロットさんの勇気を心の中で称えつつ、彼女の言葉にも「確かに」と納得させられる。今回の誘拐事件の直接の原因はディオンさんにあるが、そもそもなぜ彼があのような強引な真似に出たかというとシャルロットさんを心配していたからだ。シャルロットさんがリシャールくんの援助を断ったのが、更に大元、そもそもの元凶と言えるかもしれない。

 シャルロットさんの前に、ディオンさんが庇うようにして立った。そしてリシャールくんに必死に訴えかける。



「いいえ、彼女には何の責任もありません! 今回の件は、ただ私の身勝手な行動が引き起こしたことで――」



 ディオンさんの腕にシャルロットさんが手を添える。はっとしたように振り返ったディオンさんに、シャルロットさんは悲しそうな笑みをたたえて首を振った。

 ――この二人、やっぱりいい雰囲気だな。

 なんて呑気なことを思いつつ、目の前で美しい庇い合いを見せつけられて、私一人黙りこくっているのも申し訳なくなってきた。ちらりと盗み見たリシャールくんの表情は先ほどよりも気持ち柔らかくなっているように見えて、今だ、とばかりに口を開く。



「リ、リシャールくん、私が口を出していいことじゃないとは分かってるけど、でも、私の危機感のなさにも責任の一端はあると思うので……その……」



 だからディオンさん、そしてレスコー子爵へのお咎めは少しでも軽く――と言外に言う。すると彼は私を見つめてきた。

 こちらに向けられた赤の瞳には怒りの色は見られない。眉間の皺もだいぶ薄れてきている。もう怒ってはいない――のだろうか。

 私はリシャールくんから目を逸らさずじっと見つめ返す。そうすれば数秒の後、彼はため息をつき――それからゆっくりと口を開いた。



「あの男の狙いは俺だった。そもそもは俺の過去が原因だ」



 リシャールくんの言葉に洞窟内での会話を思い出す。魔法が使えたあの男は、はっきりとリシャールくんのことを「大嫌いだった」と言っていた。

 金貸し、盗賊、そしてあの男の間でどのようなやり取りがあったのかは分からない。しかしあの男は盗賊の一味ではないようだったし、リシャールくんのことがなければ今回の件に加わることもなかったのかもしれない。

 ――誘拐事件は様々な原因が絡み合って起こったのだ。そもそもシャルロットさんのお母様が金を借りなければ、シャルロットさんがリシャールくんの援助を断らなければ、ディオンさんが強引に私を連れださなければ、私が安易にほいほいついていかなければ。そしてリシャールくんが過去あの男ともめていなければ。

 大なり小なり、各々に原因がある。

 リシャールくんは苦笑を浮かべてシャルロットさん、そして私に言った。



「ジゼル、シャルロット。怖い思いをさせてすまなかった」



 私はぶんぶんと首を振る。男との間に何があったのかは分からないが、それでも手を出してきた向こうが悪いのは明確だ。リシャールくんに謝ってもらうようなことはない。

 リシャールくんはその表情のまま、レスコー子爵親子を見た。そして立ち上がり、二人に近づく。子爵親子は二人揃って頭を下げ――



「今回の件は不問とする」



 主の言葉に、二人揃って顔を上げた。

 驚き目を丸くするその表情は、流石親子だ、と思ってしまうぐらいにはよく似ていて。

 リシャールくんはそのまま大広間を後にしようと扉の許へと歩いていく。そして彼がドアノブに手をかけた瞬間、ディオンさんがその背に声をかけた。



「リシャール! それではあまりに――」



 罪が軽すぎる、とディオンさんは言いたかったのだろう。しかしそれを遮るようにリシャールくんは声をあげた。



「何も言うな。これは決定事項だ。……今後も頼りにしている」



 リシャールくんは振り返る。その顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。



 ***



 その後、リシャールくんが退出してしまった以上、自然と私たちも解散する流れになった。その際シャルロットさんの表情がとても思い詰めていて気になったので、私は大広間から退出したその足で彼女が今使っている客間へと向かう。

 ――と、扉の前に先客を見つけた。その姿に思わず「あ」と呟く。



「リシャールくん」



 シャルロットさんの部屋の前で、今まさに扉をノックしようしていたのはリシャールくんだった。

 彼は私の声に気づいたのかこちらを振り向く。そしてふ、と笑った。

 その笑みはすっかり私が知るリシャールくんのもので。穏やかな表情にほっとしつつ、ここは彼に譲った方がいいだろうと思う。



「出直すね」



 小声で言い、踵を返そうとし――「待ってください」と呼び止められた。

 振り返る。すると、



「一緒に話を聞いてくださいませんか?」



 困ったような笑顔で、縋るような瞳で言われるものだから。断ることはできず、リシャールくんに続いてシャルロットさんの部屋に入室した。

 シャルロットさんは突然現れた兄とその妻の姿に動揺しているようだった。それもそうだろう、と心の中で申し訳なく思う。



「兄様、それに、奥様まで……!」



 シャルロットさんは慌ててリシャールくんと私に座るように勧めてくれる。しかし本人は座らず、立ったまま頭を下げた。



「この度は私のせいで、本当に申し訳ございませんでした」



 シャルロットさんの肩にリシャールくんはそっと手を添える。顔を上げたシャルロットさんの顔は未だ青いままだ。



「いえ、私の過去の過ちのせいでもあります。今回の件に関しては、これ以上言及するのはやめにしましょう」



 リシャールくんが改めてシャルロットさんに微笑みかけると、彼女はようやく笑みを返してくれた。

 今度はリシャールくんの方からシャルロットさんに椅子に座るように促す。そして彼女が座って一息ついたのを確認してから、彼は改めて口を開いた。



「事後報告になってしまいますが、貴女の母君が残した借金について、金貸しと通じていた盗賊がどこかから強奪してきた金だったようです。そのため、今回の件で全額返済の必要はなくなりました。金貸しも盗賊もしょっ引きましたから」



 リシャールくんの言葉にシャルロットさんは俯きつつも、ほっと息をついたのが見てとれた。



「そうですか……本当にご迷惑をおかけしました。ありがとうございました」



 シャルロットさんは座ったままではあるが、大きく腰を折る。あまりに深く頭を下げるものだから、頭が膝にくっついてしまいそうだ。

 色々とトラブルに見舞われたが、結果として落ち着くところに落ち着いてよかった。一番の悩みの種、シャルロットさんの借金の件が解決したのだから。

 ――その一方で、リシャールくんは過去交友があった男の件も含め、後始末やら新たな問題やらが浮上して大変だろう。そう思うと手放しで喜ぶことはできないが、それでも一つの問題が解決したことは喜ぶべきだ。

 先ほどよりも和やかな空気が流れる中、リシャールくんはシャルロットさんに問いかけた。



「一つ、聞いてもいいでしょうか。なぜ私の援助を拒んだのですか」



 落ちる沈黙。一瞬流れた和やかな空気はあっという間に凍り付いてしまった。

 リシャールくんを見やる。その横顔は緊張しているように見えた。

 シャルロットさんを見やる。彼女は俯き、ぎゅうとドレスを握りしめ――しかし今回の件もあり、もう黙っていることは難しいと判断したのか、意を決したように顔を上げる。そして自嘲的な笑みを浮かべた。



「私の母は、愚かで醜い女でした。そんな女の血を継ぐ私に、兄様が心を砕いてくださる必要なんてないと思ったのです」



 今度はリシャールくんが俯き、黙り込む番だった。

 シャルロットさんは全てを話していない。しかし愚かで醜い女という言葉を聞いて、リシャールくんであれば察する部分もあるのではないかと思う。

 服の裾を掴むリシャールくんの手が、震えているように見えた。その手を握ってあげたい、と一瞬思う。しかし実際に行動に移す勇気はなかった。払いのけられたら、疎ましいと思われたら怖い。

 私はただリシャールくんの横顔をじっと見つめた。すると私の視線を感じたのか、彼はちらりとこちらに目を向ける。その視線にどう応えればいいものか分からなくて――歪に微笑んで、頷くことしかできなかった。

 大丈夫。リシャールくんとシャルロットさんの間に決して埋められない溝は確かに存在しているかもしれないが、それでもこの二人ならきっと歩み寄れるはずだ。一般的な仲のいい兄妹にはなれなくても、お互いを理解し、寄り添うことはきっとできる。

 リシャールくんは私に小さく頷き返す。そしてシャルロットさんを真正面から見つめた。その表情は柔らかく――“兄”の表情だった。



「シャルロット。私は口下手で、私の言葉では貴女を苦しみから解放することはできないでしょう。けれど……貴女のことを大切な妹だと思っています」



 一つ一つ、丁寧に言葉を選びながらリシャールくんは続ける。

 リシャールくんはとうとう立ち上がり、シャルロットさんの傍らにしゃがみこんだ。そして妹の手をそっと取る。その手をそのまま自分の額にあてて、懇願するような声音で言った。



「その気持ちだけはどうか、否定しないで頂けませんか。妹を思う兄の、不器用なこの気持ちだけは」



 リシャールくんの過去も、シャルロットさんやそのお母様に対してどのような感情を抱いていたのかも、私は知らない。けれど今この瞬間のリシャールくんは、間違いなくシャルロットさんを妹として大切に思っている。例え母親が違っても、兄妹として寄り添いたいと思っている。――それだけは確かだと感じた。

 なんでだろう、泣きそうになってしまった。シャルロットさんに請うリシャールくんの声があまりに切なかったからだろうか。妹に寄り添いたいと願う夫が、その家族の形が――羨ましいと、思ってしまったからだろうか。



「……はい」



 シャルロットさんは涙声で応える。彼女の瞳は潤みつつも、しっかりと兄を見つめていて。

 リシャールくんのは顔を上げる。シャルロットさんと目が合う。彼らはどちらからともなく微笑んだ。

 ――デュジャルダン兄妹はきっと、大丈夫だ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る