07:(勝手に伯爵夫人連れ出していいの!?)
朝起きてダイニングルームに向かうと、いつもリシャールくんが座っている向かいの席が空席だった。寝坊――ということはあまり考えられないし、急用だろうか。
後ろに控えているティルを振り返って尋ねる。
「リシャールくん、もう出たの?」
彼女は声を潜めて答えてくれる。その表情は険しかった。
「最近領地内で荒くれものが悪さをしているようで、その対応に追われていらっしゃいます」
「荒くれもの……盗賊?」
「そうみたいです」
ほへー、となんとも情けない声が零れる。彼は広い領地を治める伯爵様であるから、領内でのトラブルは彼が対処しなければならないのか。
今更な事実に「伯爵様も大変だなぁ」などとのんきなことを思う。魔法も使えない私は盗賊を懲らしめるお手伝いはできないが、家で帰りを待つ者として、何か力になれないだろうか。
一人で寂しい朝食を食べる間、思いついたことと言えば彼に紅茶を淹れてあげることぐらいだ。しかし今世で紅茶を淹れた経験はない。前世ではティーバッグにお茶を注げば簡単につくれたが、今世ではそういう訳にもいかないだろう。
私は大人しくティルの力を借りることにした。
「何かリシャールくんのためにしたいんだけど、ティル、紅茶の淹れ方教えてくれない?」
いつも私の希望に沿ってくれるティルだが、今回ばかりは苦笑を浮かべて首を振る。
「流石に奥様に紅茶を淹れていただくわけには……そうですわ! 膝掛を編んでみてはいかがでしょう?」
逆に提案をされてしまって、私は首を傾げた。
「膝掛?」
「はい。旦那様は寒さが苦手でいらっしゃるので、寒い時期はよく膝掛をお使いになるんです。今お使いの膝掛は随分古いものだったはずです」
流石デュジャルダン伯爵家メイド。細かいところまで気が付いて、完璧な提案をしてくれる。そう、素晴らしい提案なのだが――前世も含め、私は一度も編み物をしたことがない! そんなど素人がいきなり膝掛なんか作れるだろうか。
私はじっとティルを見上げる。
「……私にできると思う?」
「やりましょう」
「うげ~~~」
有無を言わさない言い方だった。伯爵夫人らしからぬ声をこぼした私に、ティルはくすくす笑って「材料を用意しておきますね」と逃げ場を奪う。
ティルは優秀なメイドだが、イエスマンではない。ご主人にとって為になる道を彼女は選んでくれる。その信頼があるからこそ、情けない声をあげつつもティルの提案を受け入れた。
朝食後すぐ、大広間に移動してティルが編針と沢山の色の毛糸をどこからか用意してくれた。ど素人故に難しいことはできないので、とりあえず一色の毛糸で編むことに決める。
「リシャールくんの服って基本紺とか、寒色系だよね?」
「そうですね。そのようなお色を好んで着られる印象があります」
「だとしたら……白は汚れが目立つだろうし……あ、このくすんだ水色は?」
少しグレーがかった淡い水色をティルに見せると、彼女は「素敵な色ですね」と微笑んだ。自分のセンスに自信がないので、他の人に認められるとほっとする。
さて毛糸も決めたところでいざ――と意気込んだ瞬間。
「奥様、ディオン様がお会いしたいといらっしゃっていますが」
執事長のカールハンイツが呼びにやってきた。
ディオンさんが用事らしいが、リシャールくんではなく私でいいのだろうか。
「リシャールくんじゃなくて、私に?」
「はい」
「なんだろ……お通しして」
言えば、カールハンイツは下がってディオンさんを迎えに行ってくれる。ティルは突然のお客様に、机の上に広げた毛糸たちを慌てて片付けてくれた。
さて、机の上が綺麗になった、というところで、タイミングよく大広間の扉がノックされる。「どうぞ」と応えれば勢いよく扉が開かれた。
ディオンさんは大股で、挨拶もおざなりに私の肩をがしっと掴む。そしてそのまま頭を下げた。
「ジゼルちゃん! 一生のお願いだ! シャルロットちゃんを説得してくれ!」
「せ、説得って……」
先日初めて会った義理の妹を説得してくれと、突然やってきた夫の古くからの友人に頼まれるとは中々カオスな状況だ。
私の頭が追い付かないうちにディオンさんは更に続ける。
「リシャールからの金を受け取るように言ってくれ! あの子、自分で借金返すって無理に働いて今にも倒れそうなんだ」
なるほどそれはよくない。
シャルロットさんが倒れそうだと聞いてようやく思考が追い付いてくる。頑張るのは素晴らしいことだが、やりすぎはだめだ。
心配なのはもちろん、せっかく義姉妹になるのだから仲良くなりたいという下心もわずかだがある。私の時間は有り余っているし、頼ってくれたのであれば力になりたい。
――が、しかし。
「お力になれるのでしたら喜んで。ただ私に説得できるとは思えませんが……」
戸籍上は義姉妹だが、その実会ったばかりのほぼ赤の他人だ。リシャールくんに言われても頷かなかったものを、私が説得できるとは思えないが――可能性があるとすれば、私は彼女と同じ妾の子という点だけだ。
素直な気持ちを伝えれば、ディオンさんは苦笑する。
「あー、いや、歳の近い同性の子の方が、何かと話しやすいんじゃないかと思ってさ。俺のとこは全員男兄弟だし。この前ジゼルちゃんと話してたシャルロット、随分楽しそうだった。あんなに楽しそうな彼女は初めて見たんだ」
あ、呼び捨て。
目ざとく気づきつつも指摘はせずにディオンさんの言葉に頷く。確かに彼の言うことも一理あった。
あくまで見た目から推測した年齢だが、彼女は私と同世代だ。となるとリシャールくん、そしてディオンさんとは十歳近く離れていることになる。年の離れた異性と話すとなるとそれだけで緊張してしまう可能性はあるだろう。それも貴族だ。
「はぁ……まぁ、そういものかもしれませんね」
曖昧にだが頷けば、ディオンさんはぱっと顔を明るくさせる。
正直言って、頼られるのは嬉しかった。だって私には何もないのだ。何も役に立てないと思っていたところに存在意義を与えられたような気がして――嬉しいというより、安堵感を覚えたといった表現の方が近いかもしれない。
ありがとう、と私の右手を握るディオンさんに微笑みつつ言う。
「ただ、リシャールくんには伝えておかないとですよね」
不在の旦那様を脳裏に思い浮かべる。妹さんと接触するのだから、やはり彼にも知らせておいた方がいいだろう。
ディオンさんは私の言葉に何とも微妙な顔をした後、
「あー、それは俺から伝えておくから大丈夫! さ、行こう」
私の背を押した。そのまま大広間の扉の方へと誘導される。
まさか彼は、このまま私を外に連れて行くつもりなのだろうか。
「行くってどこへ!?」
「ミディナの街へ!」
ディオンさんが笑顔で答える。
ミディナの街――それはシャルロットさんが今住んでいると言っていた街だ。デュジャルダン伯爵家の分家であるレスコー子爵が治める領地であるから、ここからそう離れている場所ではない。しかし、リシャールくんに無断で外出しても良いのだろうか。
ディオンさんが一緒にいるからまだいいかもしれないが――
(勝手に伯爵夫人連れ出していいの!? これあとで私が怒られるやつじゃない!?)
助けを求めるようにティルに目線をやる。しかし彼女はメイドでお客様――ましてや貴族に口出しすることは許されない。ティルは小さく首を振るばかりだった。
***
――その後、子爵嫡男に強く出ることも憚られ、ずるずると引きずられるようにしてミディナの街のシャルロットさんが住む家の前まで連れてこられてしまった。
てっきり大豪邸がそびえたっているのだとばかり思っていたのだが、今目の前にあるのは質素な一軒家だ。シャルロットさんが希望したのだろうか、と考え、若い女性が一人で住むには十分すぎる広さだと思い直した。
毎朝あれだけ広い屋敷を散歩しているから、感覚が麻痺してきている。
私は目の前の質素ながらも品のいい扉をじっと見つめる。そしてこっそりため息をついた。
(リシャールくんは、断る理由だけでも知りたいって言ってたよね……せめてそれだけでも聞けたらいいんだけど)
私が説得できるとは思えない。けれど困り切った表情でリシャールくんがこぼした「せめて理由だけでも知りたい」という言葉が印象に残っていた。
それに理由が分かれば、リシャールくんも何か対策の練りようがあるかもしれない。
私は意を決してベルを鳴らす。そうすればすぐに扉が開いた。扉が開いた先に立っていたのは、顔を真っ青にしたシャルロットさんだった。
「こんにちは、シャルロットさん」
「奥様、申し訳ございません……!」
シャルロットさんは今にもジャパニーズ土下座をしそうな勢いで頭を下げる。私は慌ててそれを止めて、下から顔を覗き込んだ。そうすれば眦に涙が溜まっているのが見えて、なんだかかわいそうになってしまう。
ディオンさんも彼女を思ってのことだったのだろうが、やはり些か強引だったのではないだろうか。
「ディオンさんに強引に巻き込まれたんでしょ?」
「いえ! あ、いえ、それはそうなんですけど……でも、ディオン様は私のことを心配してくださって……!」
シャルロットさんは僅かに頬を赤らめてディオンさんをフォローするような言葉を口にする。その様子を見て、
(ふーん? もしかしてここ、いい仲?)
お見合いおばさんのようなことをこっそり思う。しかしそうだとしたら、ディオンさんの必死さにも納得がいった。
――と、私の勘繰りはほどほどに、とりあえず家の中へと案内をしてもらう。広々としたリビングは本で溢れていた。
「これ、全部読んだの?」
「は、はい」
紅茶を用意してくれながらシャルロットさんは頷いた。先日本について話したときも思ったことだが、かなりの読書家のようだ。
ぜひともお勧めの本を借りたい――という個人的な欲求は後回しにして、単刀直入にシャルロットさんに問いかける。彼女はなぜ私がここに来たか分かっているだろう。それならわざとらしい雑談を挟むよりも、真正面から切り込んだ方がいいのではないかと考えた。
「ねぇ、一つ聞いてもいい? どうしてそこまでリシャールくんからの援助を断るの? 彼はそれだけでも知りたいみたいだったよ」
隠すことなく、リシャールくんの要望も伝える。そうすればシャルロットさんは黙って俯いてしまった。
私はひたすらシャルロットさんが答えてくれるのを待った。待って、淹れてもらった紅茶をゆっくり楽しんで、また待って、近くの本棚にきれいに並べられた本のタイトルを一から辿って、待って――ようやく、シャルロットさんは口を開いた。
「……私の母が、リシャール兄様からお父様を奪ってしまったんです」
「え?」
想像していた答えより斜め上の言葉に私は思わず聞き返す。するとシャルロットさんは俯いていた顔を上げる。その美しい顔には、歪な笑みが浮かんでいた。
「私の母は、伯爵夫人から父を奪ったことを誇りに思うような、愚かな女でした。伯爵は私のことを愛して、本妻とその子どもを大切にしていないと高らかに笑っていました」
(うわぁ……)
――まさかの展開だった。まさか、シャルロットさんのお母様が“悪女”だったなんて。
前世では、正妻が悪女でその悪女にいじめられる愛人――というフィクションの方がよく見られたように思う。結局悪女はその悪事を暴かれて、真に愛し合う者同士が幸せになるのだ。正妻という障害を乗り越えて結ばれる――そんな分かりやすいラブストーリー。
そのイメージが強かったのか、私はシャルロットさんのお母様のことを懸命に生きた儚い美人で思い描いていた。それがまさか、高笑いするような悪女とは。
「その母の言葉が正しいかは私には分かりません。けれど伯爵は、いつも私たちの家にいたんです」
彼女の話からして、大旦那様はシャルロットさんの、そして彼女のお母様の家に入り浸っていたようだ。
――リシャールくんはそんな父親を、どんな思いで見ていたのだろう。
「伯爵の前で母は淑女を演じていました。そんな母に伯爵は騙されて……」
(お義父様~……)
顔も知らないお父様に嘆く。悪女に騙されるとは情けない!
思わぬ悪女の登場に驚きつつも、納得したこともある。話を聞いた時から、シャルロットさんのお母様が身寄りのない一人娘に、なぜ借金を残すようなことをしたのか疑問だったのだ。リシャールくん曰くお義父様は援助をしていたようだし、生活に困って――ということはなかったはずだろうに。
だがシャルロットさんの話を聞いて納得した。
(悪女が全員借金を残すとは限らないけど……でもお義父様の知らないところで、裏で、色々好き勝手やって借金をしてたんじゃないかな)
脅してくる金貸しというのは悪質だ。そういった悪質な場所から借りた金は、それ相応に汚れているはず。その汚れた金に手を出して、彼女は一体何をしていたのだろう。
それと、シャルロットさんの頑なな態度にも納得がいった。実母のことを愚かな女と蔑んだ彼女は、実母のせいで父親と満足な時間を過ごせなかったであろう兄――リシャールくんにとてつもない罪悪感を抱いているのだろう。
それはきっと昨日今日、デュジャルダン伯爵家に入ってからの話ではない。もっと前、幼い頃から顔も知らぬ兄のことを思い、胸を痛めていたのではないだろうか。
「こんなこと兄様には絶対に言えませんし、あんな愚かな女の娘に心を砕いて頂く必要なんてないんです!」
シャルロットさんは泣き叫ぶようにして悲しい言葉を口にした。
彼女は実母のことを心の底から憎み、そしてその女の血を引いている自分もまた蔑んでいる。それはあまりに悲しい話だった。
私はいつの間にか乾いてしまった喉を潤すように生唾を飲み込んで、それから言った。
「でも、それはお母さんの罪であって、シャルロットさんの罪ではないよね? 借金もそう。そこまで思い詰めなくても……」
「いいえ、いいえ……!」
シャルロットさんは激しく首を振る。話こそしてくれたが、私の言葉は彼女に届かないようだった。
(物心ついたときにはずっとこの罪悪感を抱えて生きてきたんだろうなぁ。もはや母親に植え付けられたんだ。ああ、しんどい)
きっとシャルロットさんのリシャールくんに対する罪悪感は根深い。ぽっと出の私が取り除けるようなものではないだろう。
彼女をこの暗闇から救い出してあげられるのは――それこそ、シャルロットさんが罪悪感を向ける相手、リシャールくんしかいないのではないだろうか。
(今の話をシャルロットさんがリシャールくんにしてくれたら……でもそれは難しいだろうし……)
とてもじゃないが今の話――実母が悪女で「正妻も実の子も愛していない」と子供の前で嘲笑っていたせいで、シャルロットさんは罪悪感をずっと抱えている話――を本人にしろというのは酷すぎる。しかしそれしかないようにも思う。
リシャールくんもシャルロットさんとの距離を測りかねているようだった。この兄妹は一度胸の内をぶちまけ合った方がいいと思うが、そう簡単に話が進めば苦労はしない。それに私としてもまたリシャールくんにグレられると困る。
考えがまとまらず、とにかく目の前でしゃっくりを上げているシャルロットさんをそのままにしてはおけない、とそっと近寄り背中を撫でた。
「辛い話をしてくれてありがとう、シャルロットさん」
シャルロットさんは何度も首を振った。しかし涙は止まらない。
彼女が泣き止むまで、私はずっと傍にいてその小さな背中をさすり続けた。今日までずっと罪悪感に苛まれ苦しんできた少女の肩は華奢で、胸が痛んだ。
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