06:「リシャールくんって妹いたんですか!」
花祭りから帰ってきた後、私は疲れ果ててしばらく屋敷でゆっくりしていた。十一年間引きこもっていたせいとはいえいくらなんでも体力がなさすぎる。
自分の体力のなさを反省して、疲れが取れてからは朝屋敷を散歩することにした。ウォーキングだ。大きなお屋敷を庭を含めて一周すると、それだけでも結構な運動になる。
その日も私はティルを連れて朝の散歩に勤しんでいた。庭を一通り回って、屋敷の中に戻ろうとエントランスホールまでやって来たとき、デュジャルダン家を訪れた赤髪の男性――ディオンさんと鉢合わせたのだ。
ディオンさんの傍には、おそらく彼を出迎えたのであろう執事長カールハンイツともう一人。見知らぬ銀髪の少女がいた。
「おっ、ジゼルちゃん」
手を上げてこちらに挨拶してくれたディオンさんに会釈で応える。
彼はきょろきょろとあたりを見渡した。
「えっとー、リシャールは?」
「朝から仕事で外出しています」
伝えれば、ディオンさんは「げっ」と声をこぼす。どうやらリシャールくんが不在では不都合があるようだ。
ディオンさんは銀髪の少女を振り返った。すると彼女は何も言わずに首を振る。ディオンさんが連れてきたのだから警戒する必要はないだろうが、一体彼女は誰なのだろう。
「妹さんですか?」
それにしては髪の色も瞳の色もディオンさんと違う。ディオンさんは赤髪に緑の瞳だが、少女は銀髪に赤い瞳だ。――ん? 銀髪に、赤い瞳?
ディオンさんは私の問いにあからさまに視線を彷徨わせる。明らかに怪しい。何か隠している。
私はディオンさんが逸らした視線の先に回り込む。そしてじっと緑の瞳を見つめた。そうすれば彼は観念したようにため息をついて、それから小さな声で「リシャール、悪い」と呟いた。
リシャールくんに謝った意味が分からず、首を傾げた瞬間、
「あー、いや、えっと……俺のじゃなくて、リシャールの妹」
「――へっ!?」
思わぬ答えが帰ってきた。
――リシャールくんの、妹? 誰って、今目の前にいる少女が?
私は不躾にも少女をじっと見つめる。年齢は私と同じぐらいだろうか。彼女は私に見つめられて、居心地が悪そうに身を縮こまらせて俯いた。
美しい銀髪。宝石のような赤い瞳。確かにリシャールくんに似ている。並べばそれはそれは美しい兄妹に見えるだろう。
――が、しかし。
「妹いるとか聞いてない!」
自分でも無意識のうちに叫んでいた。
初めてこの屋敷にきた夜を思い出す。あのときリシャールくんは妹がいるとは言っていなかったはずだ。
『父も母も亡くなっていますから挨拶していただく必要はありませんが……』
――違う、父と母が亡くなっていると言っただけで、きょうだいがいないとは言っていなかった!
でも考えてみて欲しい。きょうだいについて何も言われなかったら、普通はいないものだと思わないだろうか。私は思った。だから――知らされていなかった妹の存在にこんなにも動揺している。
「ジ、ジゼルちゃん?」
恐る恐るディオンさんが問いかけてくる。そこでようやくはっと我に返った。
隠し事の一つや二つ、どんな夫婦間にもある。ましてや私たちは交際期間ゼロ日で結婚した夫婦だ。普通の夫婦よりもお互いへの隠し事が多かったって不思議ではない。実際私は実家のことをろくにリシャールくんに話していないし、リシャールくんが妹さんのことを私に話さなかったのも、何か訳があるのだろう。――そうであって欲しい。
私は数度深呼吸をして、それから改めて少女に向き直った。
「初めまして、ジゼル・デュジャルダンと申します。ご挨拶が遅れてしまい申し訳ございません」
「シャ、シャルロットです、こちらこそこんなご挨拶になってしまい……」
お兄さんにいつもお世話になっています、といった言葉を付け加えようか悩んでやめた。
とりあえずディオンさんと彼女をエントランスホールに立たせっぱなしではまずい。当主が不在の今、私が対応するべきだろう。
「夫は今不在でして……カール、お通しして」
執事長のカールハンイツに目配せすれば、彼は頷いて二人を大広間まで案内してくれる。私は取り急ぎ私室に戻り、ウォーキング用にと着ていたラフな部屋着からドレスへ着替えた。
その後慌てて大広間に向かえば、大広間へと続く大きな扉の前でディオンさんが私を待ってくれていた。おそらくはリシャールくんの妹――シャルロットさんについて説明をしてくれるつもりなのだろう。
「リシャールくんって妹いたんですか!」
遠慮なく詰め寄った。するとディオンさんは私を落ち着けるように殊更ゆっくりとした口調で答えてくれる。
「腹違いの、な。彼女の母君は平民の出で別々に暮らしてたんだが、大旦那様が亡くなった後、彼女も母君を亡くしたって聞いたリシャールがデュジャルダン家に迎え入れたんだ。ただ最近……彼女の母君が亡くなる前に金を借りてたことが発覚して、金貸しに脅されてるみたいでさ」
「え!」
突然の腹違いの妹発覚にその妹が抱えているトラブル発覚。正直キャパオーバーだ。
唖然とする私をよそにディオンさんは続ける。
「リシャールには迷惑かけたくないってずっと隠してたらしいんだが、最近は金貸しがしつこくて流石に見過ごせなくなってきたから、今日俺が連れてきたってワケ」
ゆっくり、ゆっくりと状況を飲み込む。
リシャールくんに腹違いの妹さんがいた。そして妹さんのお母様は既に亡くなっているのだが、そのお母様が金貸しにお金を借りていたことが発覚。妹さんに金を返せと迫ってきている訳か。
そして妹さんはリシャールくんに迷惑をかけまいと黙っていたが、それを知ったディオンさんが見過ごせないと判断し、強引に連れてきたという流れらしい。だとすると今日リシャールくんが不在なのは随分とタイミングが悪い。
それにしても、ディオンさんは妹・シャルロットさんの存在を知った上で、かなり気にかけていたことになる。彼とリシャールくんの交友に関してほとんど知らないが、随分と仲が良いのだろう。
「なるほど……ディオンさんってリシャールくんと仲良いんですね」
「お? 嫉妬? 仲良いっていうか、これが俺の仕事だからな。デュジャルダンの分家だから、俺んとこ」
分家。思わぬ単語が飛び出してきて一瞬言葉に詰まる。ただの友人ではなく、まさか本家と分家の関係だったとは。
もしかすると社交界では常識だったりするのだろうか。学のなさを晒してしまったようで顔が赤くなる。
「そ、そうだったんですね。ごめんなさい、学がなくて……」
私が謝った瞬間だった。大広間に続く両開きの扉が遠慮がちに開かれる。そこから顔をのぞかせたのは銀髪の少女――シャルロットさんだった。
「あの、やっぱり私、帰ります」
声を震わせてそう言うシャルロットさんはしきりに目を泳がせている。その様子はあまりに痛々しい。
ディオンさんはシャルロットさんの言葉に途端に慌てだした。身振り手振りでどうにか彼女を引き留めようとする。
「おいおいシャルロットちゃん、ここまで来てそれはないだろ? 君に何かあったら……」
「でも、妾の子である私がご迷惑をおかけするわけには――」
妾の子。シャルロットさんの口から飛び出した単語にぴくりと肩が揺れた。
――そうか、彼女は私と立場がよく似ている。
母が平民の出である妾の子で、母をなくしている。私の母は蒸発してしまった訳で、彼女が母をなくした理由とは少々異なるかもしれないが、それでもリシャールくん、ディオンさんよりも立場が近いだろう。
金貸しに脅されているという彼女をこのまま帰すわけにはいかない。少なくともリシャールくんが帰ってくるまで、この屋敷に引き留めておくべきだ。
話しているディオンさんとシャルロットさんの間に割って入るのは気が引けたが、おずおずと切り出した。
「あの、私とシャルロットさんでお話しさせて頂けませんか?」
***
大きな広間に私とシャルロットさん、それと私についてくれているメイド・ティルの三人だけにしてもらい、ソファに腰かけるなり開口一番に言った。
「私の話になってしまい大変恐縮ですが、私も妾の子なんです」
「えっ」
突然腹違いの兄の奥方に二人で話したいと言われ、身構えているであろうシャルロットさんの警戒を解くには、まずこちらの身分をぶっちゃけてしまおうと考えた。実際シャルロットさんは先ほどまで表情がかちんこちんに固まっていたが、私の暴露を聞いて呆気に取られている。
依然目を丸くしてソファに座るシャルロットさんに微笑みかけた。
「まずはお茶でも淹れましょうか。紅茶はお好きですか?」
シャルロットさんは辛うじて頷いた。それを見てティルを振り返る。すると彼女は横に置いてあったサービングカートの上で華麗な手つきで紅茶を淹れてくれた。
ティルが淹れてくれた紅茶をシャルロットさんと二人で楽しむ。恐る恐るカップに口をつけた後、ほっと息をついた彼女にこっそり微笑んだ。息をつけたのならよかった。
「少しは落ち着きましたか?」
「は、はい、ありがとうございます」
「こちらこそ強引に足止めしてしまってごめんなさい」
「いえ、そんな……」
シャルロットさんは恐縮するように何度も首を振る。初めて会ったときより多少顔色はよくなったが、それでもまだ緊張しているようだ。
緊張をほぐす話題を――と思い、彼女と雑談を交わすつもりで問いかけた。
「シャルロットさんは今どこに暮らしているの?」
「ミディナという街です」
しまった、話題の選択を間違えた。咄嗟にミディナという名前の街が脳に思い描けない。
必死に記憶を辿り――あ、と思い出す。聞いたことがあると思ったら、ディオンさんの実家であるレスコー子爵が治める街だ。この屋敷に来てからデュジャルダン伯爵家が治めている領地を中心にここら一帯の地理を少し勉強したから、どうにか覚えていた。
「レスコー子爵が治めていらっしゃる……」
「は、はい。そうです」
視界の隅でティルも頷いた。彼女のお墨付きをもらえたのなら安心だ。
私はそのときに覚えたことを必死に思い出す。何かが名産品として有名だったはずだ、と記憶を辿り――今まさしく自分が飲んでいる紅茶がそうだ、と思い至った。
そうだ、リシャールくんがわざわざ取り寄せている紅茶は、ミディナの名産品の茶葉なのだ。
「紅茶が有名なんですよね? 紅茶味のシャーベットもあるとか……」
食べてみたいわ、と令嬢ぶってお上品な口調で言えば、シャルロットさんの強張った表情が徐々に緩んでいく。やはり緊張をほぐすには特に目的のない雑談だ。
悲しいことに話題の引き出しが少ないので、ひたすらシャルロットさんに質問責めしてしまった。好きな食べ物、好きな飲み物、好きな本――
そこで彼女も読書が趣味ということが分かり、そこからは好きな本の紹介をし合うことで時間を潰せた。どうやら彼女は恋物語が好きなようで、私があまり読んだことのないジャンルだ。それだけに、新鮮な気持ちでシャルロットさんのおすすめを聞くことができた。
――と、どんどん話が盛り上がってきたところで、大広間の扉が勢いよく開く。そして、
「ジゼルさん!」
慌てた様子のリシャールくんが飛び込んできた。彼は大股でこちらに近づいてくる。
よかった、リシャールくんが帰ってくるまでシャルロットさんを屋敷に引き留めることができた。
「おかえり、リシャールくん」
ほっとした私とは対照的に、シャルロットさんはガタガタ、と音を立てて立ち上がる。
「に、兄様、こんにちは」
「シャルロット、よく来ましたね」
リシャールくんとシャルロットさんが並ぶ。銀髪赤目の美丈夫と美少女はなんとも絵になった。絵画におさめたい兄妹だ。
デュジャルダン兄妹は数言会話を交わすと、リシャールくんがシャルロットさんから離れて私に目配せしてきた。呼ばれるままに彼に近づくとそのまま入口の近くまで連れていかれる。そしてシャルロットさんに聞こえないような小声で言った。
「ジゼルさん、申し訳ございません」
視線を伏せながらリシャールくんは言う。
彼としては不在の間に妹がやってきて、その存在を隠していた妻と鉢合わせをしてしまったわけだ。そりゃ焦るだろう。
ここまで慌てふためき、バツが悪そうな表情をする彼は初めて見た。
「後で話きかせてね」
「はい、もちろん」
リシャールくんとしても、何か理由があって私に妹の存在を隠していたのだろう。それこそ妾の子である私を慮って、似たような存在である妹を紹介することに躊躇いを覚えたのかもしれない。
だから彼を責めるつもりはない。ただ寂しいな、とは少し思ってしまったけれど。
リシャールくんは私の言葉に何度も大きく頷いて、それからシャルロットさんと改めて話すようだった。私は兄妹水入らずの方がいいだろうと判断し、そのまま退室した。
***
その日の夕方、シャルロットさんの母親が残した借金について話がまとまったのか、リシャールくんに改めて執務室に呼ばれた。
部屋に入るなり、リシャールくんは私に向かって大きく頭を下げた。そしてその体勢のまま口を開く。
「私とシャルロットは異母兄妹なんです」
ゆっくりと頭を上げる。そしてぽつり、ぽつりと語り始めた。
「私の母とは政略結婚でしたが、父には本当に愛する女性が存在していたようで……ただその女性は身分の低い女性でした。シャルロットはその女性と父の娘です」
淡々と事実を告げるリシャールくんの表情には何の感情もなかった。無だ。
――ある意味私とリシャールくんの立場は真逆なのだ、と知る。リシャールくんは本妻の息子で、私は愛人の娘。私は愛人の子として生まれ、この立場故にそれなりに悲惨な人生を送ってきたと思っていたが――本妻の子には本妻の子の、私には分かりえない苦悩があるのだろう。
「父が全面的に援助していたこともあって、彼女が産まれたときから存在は知っていましたし、どこで暮らしていたのかはわかっていました。父が亡くなってすぐシャルロットの母君も亡くなったと知り、私が援助するためにもデュジャルダン家に迎え入れました」
シャルロットさんの存在を知った当時リシャールくんは何を思ったのだろう。
すっかり表情から感情を消し去っているリシャールくんに問いかけるのは少し勇気がいるが、それでも問いかける。デュジャルダン家に迎え入れたのならば、なぜこの屋敷に住んでいないのだろう。
「どうして一緒には住んでいないの?」
「彼女の方からそこまで迷惑はかけられないと、この屋敷に住むことは絶対に頷きませんでした。ただ彼女も伯爵家の人間です、以前のようには暮らせませんから、レスコー子爵の領地の街に家を用意して住まわせています」
なるほど、目の届くところに置いて、かつ古くからの友人であるディオンさんに妹を頼んでいたのだろう。だからこそディオンさんは金貸しに脅されるシャルロットさんを、彼女の制止も振り切ってリシャールくんの許に連れてきたのだ。
ようやく事の全容が見えてきた。となると次に気になるのは、話し合いの結果どうなったのかという点だ。まぁ、その借金をリシャールくんが肩代わりする他ないのだろうが――
一人で考え込んでいると、ようやくリシャールくんの顔に感情が戻ってきた。彼は眉間に皺を寄せて、苦しそうな表情で言う。
「それで……今までジゼルさんに黙っていたのは、我が家のゴタゴタに貴女を巻き込みたくなかったからで……。いずれ話すつもりではあったのですが、隠し事をしたことには変わりません。不誠実でした、申し訳ありません」
とても深刻な表情で謝ってくるものだから、私はこれ以上責められなかった。そもそも責めるつもりもない。
出会うなり結婚した妻に、貴族ではよくあることとは言え複雑な家族構成を明かすのは躊躇いを覚えるだろうし、会ったその日に「腹違いの妹がいるんです」と紹介されては私も戸惑っただろう。
「誓約書お持ちでしたら……」と言外に違約金を支払うと言われて、私の方が慌てる。何度も首を振って、顔の前で手も振って、いつもより明るい声音で声をかけた。
「ううん! 色々複雑な理由があったのはわかるし、まぁちょっとびっくりしたけど、きちんと言ってくれて良かった」
私の言葉にリシャールくんは露骨にほっとした表情を見せた。彼としては私に隠し事をしていることはかなり気がかりだったのだろうか。
誓約書まで作ってたもんな、と思いつつ、どうしても気になるのはシャルロットさんのこと。
「言いたくなかったら流してもらって構わないんだけど……シャルロットさんのお母様の借金の話は、結局どうなったの?」
リシャールくんの動きが固まる。あ、やば、地雷踏んだ?
彼は数秒固まった後、ため息交じりに口を開いた。
「彼女は私が借金を肩代わりすることに、絶対に頷かないのです」
ぐしゃり、と綺麗に整えた銀髪を手で崩す。崩れた前髪からのぞく赤い瞳に少しだけドキッとした。
「ここで私が強引に出ることは簡単ですが、そうしてしまうと……私たち兄妹の関係に大きな溝が生まれてしまうような気がして」
リシャールくんの妹を想う気持ちも分かる。しかしリシャールくんの申し出を頑なに断るシャルロットさんの気持ちも分かるような気がした。
突然現れた腹違いの兄。ただでさえ遠慮する間柄であるのに、自分の母が残した借金を肩代わりさせてしまうなんて、私だったら申し訳なさで押しつぶされてしまいそうだ。それに――自分は妾の子だという負い目もある。
リシャールくんは「はぁ」と本日何度目か分からないため息をついた。
「なぜ彼女があそこまで拒絶するのかを知りたい」
リシャールくんは妹との関係に悩んでいるようだった。
何か役に立てないだろうか、と思うものの、半端な気持ちで首を突っ込んでいい問題でもないだろう。私から手を上げることもできず、疲れたようにため息をつくリシャールくんに休んでもらうために労わりの言葉をかけて早々に退室した。
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