04:「リシャールくんもよく似合ってるよ」



「アネッタの街に一緒に行っていただけませんか?」



 ――朝食の場で、リシャールくんが突然そんなことを言い出した。

 アネッタという街の名前には覚えがある。確か花が有名な街だ。離れに閉じ込められていた間、花々が咲き誇る美しい街並みの写真を見ては想いを馳せていた。

 ある意味憧れの街ではあるが、突然なぜそんなことを言い出したのだろう。



「アネッタって……花が有名な?」


「えぇ。今度花祭りが開かれるようでして、招待されたんですよ。といっても、招かれたのは同日に開催される夜会の方ですが」



 花祭り! その単語に思わず立ち上がりかける。

 ぜひとも行きたい。行きたいが、正直今世では世間知らずの箱入り――物理的に――娘の自覚があるため、何かしでかしてはデュジャルダン伯爵家の名前に傷がついてしまうと思うと、少しばかり躊躇ってしまう。

 夜会に招待されたということは、伯爵夫人としての社交界デビュー。考えるだけでもプレッシャーだ。



「私も行っていいの? 色々世間知らずだけど、私……」


「もちろん。貴女は私の妻なのですから、一緒に行かない方がおかしいですよ」



 ははは、と笑うリシャールくんにつられるようにして私も微笑む。しかし不意にリシャールくんの笑みが曇った。



「ただ、私と結婚したことで一部の人間からは好奇の目で見られてしまうかもしれませんが……すみません」



 最近結婚したばかりの伯爵夫人。社交界の恰好のネタになるだろう。そして私はリシャールくんの妻――デュジャルダン伯爵夫人としてそれ相応の振る舞いを求められる。テーブルマナー等最低限の教育はされているが、それでも他の令嬢と見比べて劣る部分ばかりなのは明らかだ。

 アネッタの街には行きたい。そしてこれはリシャールくんの妻としての仕事だと分かっている。がしかし――気が重い。



「が、頑張ります」


「そう意気込んでいただく必要はありませんよ。なるべくご負担をかけないように調整しますし。どうぞよろしくお願いします」



 リシャールくんは爽やかに笑う。その際細められた宝石のような赤い瞳も、照明の光を反射して輝く美しい銀の髪も、笑ってしまうぐらい様になっていて。

 今更ながら、勢いだけで飛び込んだ自分の身分不相応さを噛み締めていた。



 ***



「ようこそいらっしゃいました、デュジャルダン伯爵」



 アネッタの街に到着した私たちを出迎えてくれたのは、この街を治める子爵だった。彼はニコニコと目尻に皺を寄せて、顎髭を指先で撫でながらリシャールくんにしきりに頭を下げる。年齢は五十代半ばから後半ぐらいだろうか。

 浮かべる笑みが胡散臭く感じてしまうのは私がひねくれているせいなのか、それとも。



「お招き感謝します、メディーラ子爵」



 身分上仕方ないが、自分より年下の男性に媚びなければいけない子爵も、また自分より年上の男性に媚びられるリシャールくんも、中々大変だろうなぁと他人事のように思う。心の内はどうか分からないが、見ている限り二人は穏やかな会話を交わしていた。

 私は数歩下がった場所で、難しい会話の内容も分からないので控えめな笑みを浮かべつつ突っ立っていた。立ち姿の美しさは今日までティルに散々指導してもらったのだ、リシャールくんが贈ってくれた美しいドレスの力も借りて、それなりに様になっているのでは――と思いたい。



「おや」



 ふと子爵の青の瞳がこちらに向けられた。気づかれたか。

 子爵はにぃ、とその瞳を三日月形に細めると、こちらに歩み寄ってきた。



「奥様でいらっしゃいますね? ……これはこれは。なるほど、伯爵のお眼鏡に私の娘がかなわなかった訳だ」



 つま先から頭の上までじっとりと観察されて、背筋に悪寒が走る。品定めされるような視線が気持ち悪い。

 会話の内容から察するに、子爵はもしかすると自分の娘をリシャールくんの妻に、と考えていた時期があるのかもしれない。その座に納まったポッと出の小娘が妬ましいのか、向けられる視線はあまり好意的なものではなかった。

 こういったときの対処法を私は知らない。どうあしらえばいいのだろうか。見て見ぬ振りをして爽やかに挨拶をするべきなのか、それとも――



「妻のジゼルです。今年は彼女と一緒に楽しませていただきます」



 ぐ、とリシャールくんに腰を抱かれる。触れた温もりにほっとした。



「ジゼル・デュジャルダンと申します。よろしくお願いします」



 挙動不審にならないように、しっかりと子爵の目をみてそう言った。そうすれば子爵は一瞬だけ面白くなさそうな表情を見せて、しかしすぐに胡散臭い笑みを浮かべて取り繕う。



「お部屋を用意しております。こちらへどうぞ」



 案内されたのはメディーレ子爵のお屋敷の一室だった。

 赤いカーペットに大きなシャンデリア、色鮮やかな絵画が飾られたその部屋は、些か派手すぎて頭が痛くなりそうだ。落ち着いた色どりのデュジャルダン伯爵家とは全く違う。

 リシャールくんは部屋に案内されるなり、はぁ、と大きなため息をついた。



「胡散臭さが昨年の五割増しですね」



 どかっと長椅子に腰かけて、髪をかき上げる。普段より乱暴な振る舞いに元ヤン伯爵の面影を見つつ、それは指摘せずに問いかけた。



「毎年来てるの?」


「えぇ、この花祭りの時期に。私が当主になってからの話ではありますが」



 ふぅん、と相槌を打ちつつリシャールくんが座る長椅子の端に私もまた腰かけた。そして再び口を開く。



「この後はどうするの?」


「一度花祭り――市場の方に顔を出します。よろしければご一緒に」



 差し伸べられた手を取る。その後メイドのティル、執事のティポーとトミーを伴って、私とリシャールくんは花祭りへと繰り出した。子爵が案内を買って出たが、リシャールくんがそれを退けた。

 花祭りは簡単に言ってしまえば、街を上げての花の大売出しだ。多くの人で溢れるメインストリートを行けば、あちらこちらから視線が飛んできた。



「わっ、見て、デュジャルダン伯爵よ!」


「お隣の方は奥様かしら?」



 どうやらリシャールくんは有名人のようだ。そうでなくとも彼の容姿はとても目立つ。注目されることに慣れていない私としてはそわそわしてしまったが、隣のリシャールくんは素知らぬ顔で向けられる視線をやり過ごしていた。

 気にしてばかりでは疲れてしまうので、私もリシャールくんを見習って向けられる視線を気づかないふりでやり過ごす。せっかく花祭りに来たのだから楽しまなければ勿体ない。

 右を見ても左を見ても花が売られている。流石花の名所とだけあって、美しい花々に目移りしてしまった。



「綺麗だねぇ」



 店先に並ぶ花を見ながらしみじみとしてしまう。閉じ込められていたときは当然花と触れ合う機会なんてなかったものだから、日の光を受けて立派に咲く花を見るだけでなんだか感慨深い。

 ふと、隣にリシャールくんが並んだ。かと思うと、



「こちらを頂けますか」



 大きな白い花の花束を購入した。

 気に入ったのだろうか、とその様子を横眼で眺めていたら、彼は花束の中から一輪、一番見事な大輪の花を抜き取る。そしてその花を私の頭――ベビーピンクの髪に添えた。

 突然の出来事に私は何度か目を瞬かせる。するとリシャールくんは満足げに微笑んだ。



「うん、思った通り。よくお似合いですよ」



 ――クソ、イケメンめ。

 頬が赤らむのを感じながら、なんだか悔しさを感じてしまう。素直にときめけないのが私の悪いところだ。

 私はお礼を言うより先に、店先に並ぶ花に視線をやった。その中からリシャールくんの銀髪に映えそうな花を探す。――目についたのは、彼の瞳と同じ、鮮やかな赤色の花だった。

 私はその花を買うと、背伸びをしてリシャールくんの髪に飾ろうとして――届かなかった。身長差が憎い。



「リ、リシャールくん、もうちょっとかがんで……」



 腕をプルプルさせながら言う。そうすれば彼は膝を曲げて、私と目線を合わせてくれた。

 これならリシャールくんの髪に花を飾れる。満足して大輪の赤い花をリシャールくんの銀髪に挿した。うん、瞳と同じ色の赤はよく映える。

 突然の私の行動に戸惑っているのか、目を丸くしている彼に微笑みかけた。



「リシャールくんもよく似合ってるよ」



 ふふん、と胸を張る。そうすれば彼は数秒沈黙して――「ふはっ」と吹き出した。そしてそのまま腹を抱えてくくく、と笑い出す。

 最初はやり返してやった、と満足感を覚えていたが、あまりにリシャールくんが笑い続けるのでなんだか恥ずかしくなってきた。そんな変なことをしてしまっただろうか。



「そ、そんなに笑う?」


「いえ、ははっ、そうですね、俺に花が似合うなんて言うひとはいなかったので、あはは」


「えぇ、リシャールくん、綺麗な顔してるじゃない」


「あははっ、ディオンが聞いたらきっと俺以上に大笑いしますよ」



 こうも爆笑されると、馬鹿にされているような気がして――と、リシャールくんの一人称が普段の「私」ではなく「俺」になっていることに気が付いた。こちらが素なのだろうか。

 少し彼の素顔がのぞけたように思えて、なんだか嬉しかった。しかし依然笑い続けるリシャールくんにはやはり腹が立ったので、意地悪を言うつもりで口を開く。



「しばらくそのままつけててね。せっかくのプレゼントなんだから」


「はい、もちろん。妻からの初めてのプレゼントですから、大切にしますよ」



 断られるかと思いきや快諾されてしまって、こちらが面食らう。リシャールくんは普段の穏やかな笑みとは少し違う、歯を見せて笑う快活な笑みを浮かべると、私の手を取った。そして手を繋いだまま大通りを歩き出す。

 やけに上機嫌な横顔を見上げつつ、これは「おもしれー女」現象が起きてリシャールくんの私に対する好感度が上がったのだろうか――なんて夢もロマンもないことを思う。どうであれ、夫からの好印象を勝ち取れたのであればよいことだ。



「花、お好きなんですか?」


「知識はないけど、見るのは好きだよ。リシャールくんは?」


「そうですね、私も観賞するのは好きです」



 あ、一人称戻っちゃった。

 そのことを少し寂しく思いながら、会話を続ける。



「そういえば家の庭園、まだきちんと見られてないや」


「あぁ、そうでしたね。今度落ち着いたらご一緒に庭園でお茶でもしましょう」


「うん、ぜひ。……あ」


「どうしました?」



 行く先にお菓子屋さんを見つけた。右も左も花を売るお店が立ち並ぶ中で異彩を放つそのお店は、どうやら花からとれた蜜を使って作ったお菓子を売っているらしかった。

 リシャールくんに示すようにお店の看板を指さす。



「リシャールくん、甘いものは嫌い?」



 聞けば、彼は眉をぴくりと動かした。それから何かを取り繕うようににっこりと笑みを顔に張り付ける。



「私のことは気にせず、どうぞ召し上がってください」



 これ、嫌いなやつだ。

 思いの外分かりやすいリシャールくんの反応にこっそり笑いつつ、お言葉に甘えて一人でシャーベットを頂くことにした。

 カップに用意されたシャーベットを食べる前に、まず目で楽しむ。こんな可愛らしいスイーツを食べるのは前世ぶりだ!

 スプーンですくって一口食べる。瞬間、口に広がるキーンとした冷たさと甘み。甘すぎず上品な味のシャーベットは美味しくて美味しくて、十年以上ぶりということもあって感動してしまった。



「おいしい……」



 噛み締めるように呟く。そうすれば、隣のリシャールくんが笑った気配がした。



「今度から、屋敷でもジゼルさんの分はデザートを出すようにしましょうか」



 リシャールくんの提案はとても魅力的だった。しかしそれと同時に、料理長に余計な負担をかけてしまうのではないかと心配になる。

 おそらくはリシャールくんが甘い物を好きじゃないという理由から、屋敷の食事にはデザートが付いていなかった。三時のお菓子もない。それを私の分だけ用意するとなると中々手間だろう。



「それは嬉しいけど……料理長の負担にならない?」


「料理長の仕事は料理を作ることです。帰ったらサンドロに相談してみましょう」



 リシャールくんは甘やかすのがうまい。こちらに有益な提案をさらりとしてくれて、且つ気を遣わせないフォローも完璧だ。これが年上の包容力というやつだろうか。

 シャーベットを食べ終わった後も、私とリシャールくんは二人で花祭りを楽しんだ。――部屋に戻るまで、リシャールくんは私が髪に挿した赤の花をそのままつけていてくれた。


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