25.コードルモールの祭事(4)
あまりの豹変に、しかし孝太郎は何でもない振りをした。下手に口を開くより安全だと思えた。これ以上ルクス国民の感情を逆撫でするような真似はできない。
そう、この視線は、無知な罵声を浴びせてしまったときのそれと似ている。いま自分は周りの顰蹙を買っている。それを口にするなと凄まれている。
「……止めよう、この話」
「アハハッ! おもしろいっしょ? みんなプライド高いの」
「おい」
「いい加減認めないとさぁ、落ちたってこと……」
「頼む」
孝太郎の首に冷たい汗が流れる。拝むようにして黙れと頼んだ。視線が強まっている。このままだと、血が流れる。
しかしイングリットはケラケラと笑った。
「賠償金まだ払ってないしー、戦時国債も払えてないしー」
彼女が口を開くたび、この場は険悪さを増している。もう食器の鳴る音さえ聞こえない。
孝太郎が怒りと困惑を顔に出してもイングリットは止まらない。むしろさっきより声を大きくしている。
「次スキャンダが来たらどーすんの? てかどこが来ても終わりなんですけどー。いま現在クソザコなのわかれー」
――マズいっ!
ダンッと誰かが机を叩いた。立ち上がって、ここに来る――。
「でもみんな助かりたいらしくてさ、だから、国王を売るんだって」
空気が沈み、やがてフードコートは重い平穏を取り戻した。
孝太郎は立ち上がりかけた腰をゆっくりと元に戻した。
◇
「絶対王政を、解体する」
「そ、なんとオーズ王からの提案らしいよ。自分の息子と現ルクス王が結婚すれば、代わりに全部支払ってくれるんだって。後任には、親戚ののぺーっとした奴が代わりになるんだって」
二人は変わらずフードコートにいた。ただテーブルの上には新聞とバナナの代わりにフルーツジュースが二つ乗っている。喉の渇きを癒やすため、イングリットが購入した。
孝太郎が唇に触れる。
「実質的な、従属、臣従関係になるわけか。対等な立場が崩れ、オーズの息のかかった王の元でルクスは再建を図る」
「そゆこと。いやぁ魔人とはどーすんでしょーねー」
そう言いつつ、イングリットはグラスを傾けた。
「プハッ! ま、そんな感じなわけ」
「……いいのか?」
孝太郎が聞くと、イングリットは顎に手を乗せ考える素振りをした。
「いいんじゃない? のぺのぺしてても、傍系でも、一応王族だし」
「違う。おまえはそれでいいのか?」
「んー? インちゃんよくわかんない」
イングリットは唇を尖らせておどけた。孝太郎が嘆息する。
「はぁ――女王は、イングリットは、自分が売られると知って、どう思っているだろうな?」
「ルクスってさ」
イングリットはテーブルに肘をつけ、両手の上に顎を付けた。ジッと孝太郎の目を見て微笑む。
「アタラシア大陸で一番の、最高で最強の国。だったんだって――」
――アタラシア大陸に千年以上前からあったこの国は、どこよりも先に魔人に頼み込んだんだって。魔人の住むブリタン島、あれだって元はルクスの物らしいよ。
周りがどんどん魔人と手を切っていく中、誇りあるルクスはその関係を保持し続けて、内乱が起きたりなんだかんだありながら、結局いまの絶対王政に行き着いたわけ。つまり意地張ってたのは王族とその周辺だったってこと。……ここまではね。
国民まで意地っ張りになってきたのはその後、いよいよ魔人と手を組んでるのが自分たちだけになってから。なんでか分かる?
そう。異世界人がさ、みんなうちに来るようになったわけ。これが強いのなんのって。知ってる? ……そう、知ってる。つまんないの。
そ、異世界人のその特性、神から与えられた才能は、この国を世界一にした――。
「最盛期で100人近く囲ってたんだって」
「そんなに!?」
「アハハッ! いい顔じゃん。――ま、その時期からルクスの人ってのはさ、偉そうにしてきたわけ。世界一の歴史、世界一の文明、そして世界一の軍事力、その影響力はアタラシア東端にまで及んだのでしたー」
イングリットはパチパチと手を叩いた。
「アハハッ! ま、調子に乗るよね」
「……国を誇りに思えるのは良いことだ」
「うん。でも、いつまでもその時の気分なのヤバくない? 思い上がっちゃってさ、負けを認められずに、でも自分たちさえ助かればルクスはルクスのままだと思えるのってヤバない? 再建できるって信じてるのヤバない?」
イングリットはゆっくりとグラスに手を伸ばした。
「なんで、誰も声あげてくんないんだろうね? うちらの王様だよ? 王を渡すなーって、なれよ。魔人を毛嫌いしてる奴らならともかく、なんでみんな黙りするの? この国がずっとやってこれたのは、誇りを持ってこられたのは、私たちが頑張ったからなのに――あっ」
イングリットがジュースを零した。
「おいおい」
孝太郎が近くにあった布巾を手に取り、すかさず拭いていく。
「服には?」
「大丈夫、自分でやる。はぁ、サイアク。……ま、そんな感じでキレてるんじゃないかな」
「そうか」
すべて拭き終えると、孝太郎はイングリットを見つめて言う。
「どうやら、この国の女王が一番プライドが高いらしい」
「は?」
イングリットは歯が見えるほど口角を歪ませて威嚇した。
「……。おまえは拒否できる、その汚れた袖口を俺に拭かせなかったように」
「だからなに?」
まったくもって困った少女だ。孝太郎はそう思いながら話を聞いていた。国王を売る、そう聞いて周囲が押し黙ったのはなぜだ。後ろめたさがあるからだ。誰も国王を売ることに反対しないのは、王自らが何も示していないからだ。それが王の決定だからだ。
ルクス国民はそれだけ、王に心酔している。王が身を投げうつ、それが正解なのだろうと信じている。だからこそ、この国は再建できると信じている。
だから平和を維持している。
思考停止にも思えるが、彼らはそれだけの信頼を目の前の少女に抱いているはずだ。
「女王も婚姻を拒否できたはずだ。なんでしないんだろうな」
「そんなことできないっしょ。だって……」
「ルクスは崖っぷちだもんな」
イングリットは黙り込んだ。
――助けてほしいのに助けてと言わないのは、言えないのは、苦しいよな。
孝太郎はイングリットの手を取った。
「ちょっ、は?」
戸惑うイングリットを優しく包むかのように囁く。
「諦めるな。俺がいる。――俺がこの世界に来たのは、その為だろ?」
「え? そうなん?」
イングリットはポカンとしていた。
「……違うの?」
ドヤ顔のまま、孝太郎はゆっくりと手を離した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます