23.コードルモールの祭事(2)

 モズのような甲高い鳥の鳴き声、花の咲く大地。山肌には青空の下に赤く熟した木々の葉が、緑の間に揺れている。

 ブルーセルの城壁を抜けて、馬車は秋色の山路を進んでいた。街道は土を平らにした単純なもので、乗り心地が良いとは言えない。細かな凸凹に馬車は時折大きく揺れて、その度に孝太郎は腰をさすった。彼は結局、中腰に立ち上がることを選択する。

 蹄の土を叩く音が胸に良い、高鳴る鼓動を静めてくれる。パカラパカラとテンポを刻んでくれる。それが平静を取り戻してくれる。と御者が語った。


「いいか、リズムが大事なんだ。こいつらとリズムを、息を合わせんだ。――そうすりゃその腰も少しは楽になるさ」

「はぁ」

「ガハハッ! すぐ慣れるよ。……不思議なもんでな、俺はこいつらに揺られてると、イラついたりショゲたり、落ち着かない毎日がすっと治まっていくんだ」

「へー、馬、好きなんですね」


 孝太郎はどうにか馬のリズムを取れないか試している。御者が答える。


「ああ。好きだね。ガキの頃から一緒だからな。……それに、ふと心のままに駆け出したくなるような時ってあるだろ? 情熱の赴くままに行きたいときがあるだろ? そんなとき、こいつらと走ればいつの間にか治まっちまう」

「それは実際駆け出したからじゃ……」

「兄ちゃん、違うんだよ。こいつらはな、もう全力で走っちゃいけねぇのさ。抑えて走ってる。それを駆け出してる、なんて言っちゃいけねぇだろ」


 御者はどこか空を見上げ、懐かしむような横顔を見せた。


「風を切る音が聞こえるんだ。ビュンビュンってよ。――こいつらも、昔は聞こえていたはずだ」


 御者は馬車を引く馬に目線を落とす。栗色のタテガミがファサファサとリズムを刻んでいる。


「風より早い、自分だけの音を」



 コードルモールは城壁のない街だった。ただ山並みに点々と高台が置かれている、それが城壁の代わりを為しているのだろう。


「おお!」


 孝太郎は歓声を上げた。

 コードルモールは人種のるつぼだった。明らかにルクスの生まれでないアジア風の男に、どこの何と例えようのない赤い肌をした女もいる。顔の形や肌の色、骨格までが多種多彩に富んでいる。

 どうやらコスプレらしき衣装に身を包んでいる人もいる。やはりイベントに合わせて馬の衣装をしている人が多い中、あまりに奇抜な格好が目立つのはこういう時のありふれた一幕か。太い尻尾と体中に鱗をつけた緑の髪の少女が一人、恥ずかしそうにフードを被ると路地裏へ消えていった。

 並び立つ建物は派手な装飾をつけられて賑やかだ。蹄鉄や馬の被り物やタテガミ、そして馬の耳など馬に関するものが多い。しかしそれが取り付けられている小物や看板、建物自体の色や形を見るに、今日がイベントの日だから賑やかである、という訳ではなさそうだ。

 街の入り口からただ通りを真っ直ぐに歩くだけで、まるでパレードだ。しかし人混みもブルーセルよりあって、孝太郎がフラフラと歩くことはなかった。


「しっかり歩かないと迷うな」


 孝太郎は道の端に立ち、街の入り口でもらった地図を広げた。


「……街外れか」


 目的地はここからやや遠かった。衛兵の話では歩いて一時間もかからない、との話だったが。


「すぐそこ、の感覚が違いすぎる。辿り着くまでが仕事じゃないんだ、イングリットを見つけないといけない。やれやれ、人も多いってのに――足も痛むなこれは」


 そうボヤいて孝太郎は再び歩き出した。キョロキョロと周りを観察しつつ、人混みをかき分けて進んでいく。ちょうど自分と同じような後発組が作る道の流れを見つけて、すかさず飛び込んだ。


「ふぅ。ルクス競馬場か。どんなところかな」



――ウオオォォオオオオオオ!!

 

 地鳴るような人の声が聞こえる。命を賭した雄叫びが聞こえる。はたして悲鳴か歓声か。


「うるさっ!」


 孝太郎は耳をふさいだ。場内はただでさえガヤガヤと騒がしく混み合っており、加えてレースが終わるたびにさっきのような大叫声、もしくは大歓声が人を殺すような勢いで襲ってくるのだから当然だろう。


「やっと入れたってのに」


 ルクス競馬場に入れたのは奇跡としか言いようがなかった。




「満員!? 入れないのか!?」

「馬券は外でも買えますし、場内アナウンスは外にも聞こえるように工夫してますので……」


 流れに乗って競馬場に辿り着いた孝太郎だったが、意気揚々と場内に入ろうとしたところで守衛に止められた。


「いや、馬券とかどうでもいいんだ! 中に入れてくれないか!」

「あ〜そういう方もよくいらっしゃるんですよね〜。レースが見たいだけだからみたいな、スミマセン諦めてください。――次からは当日の朝には来ることをオススメしますよ」

「ぐっ!」


 ――厄介な人扱いされてる!


「どうすれば……そうだ! レースが終わるのは何時だ!?」

「えーと、予定だと大体18時くらいですね」

「えっ!?」


 それだとイングリットを待ち伏せするのは厳しい。御者の話だと夜には馬車がなくなるとのことだった。

 やはりどうにかして入り込まねばならない。孝太郎は入り口に背を向けた。


「……はぁ」

「また来年お待ちしてます」


 守衛の言葉を嫌味に感じながらその場を去った。

 そして競馬場周辺を少し歩いて、孝太郎は再び入り口へと戻ってきた。どうにか忍び込もうと塀を観察していたのだが、どうみても一人間が越えられるような高さではなかった。

 魔法が使えれば忍び込めるかもしれないが、


「対策してないわけないよな。……そもそも使えないけど」


 そう言いつつこちらを見つめる看守と微笑み合う。遠くからでもしっかり監視しているようだ。


「マジメなやつだな、しっかりマークしやがって……はぁ、どうする?」


 そして唇を撫でる彼の肩に、軽く手が置かれた。


「うぉっ!? まだ何もしてません!」

「おおっとぉ、そんな驚くことないじゃない?」


 それは見知らぬ男だった。精悍な顔付きに無精髭、茶色の髪は短く刈り上げてオールバックに整えて、上下高そうなスーツをピッチリと着こなしている。敏腕銀行員のようにプライドの高そうな顔つきをしているが、いまはどこか中性的な、柔和な感じで笑っていた。

 髪色と同じ薄い茶色の瞳に孝太郎が映っている。背の高さと歳の頃は同じくらいか。


「君ぃ、どしたのさっきから守衛と睨み合いっ子しちゃって」


 胸のバッジが光った。刻印はこの競馬場のマークと同じだ。孝太郎は男の目を真っ直ぐに見据えて身構えた。この男を説き落とせばいけるかもしれない。


「いや、お互い見つめ合ってただけです」

「ふーん。なに、恋なの?」

「は? あ、いや、違います。……競馬場に入りたいんですけど、退場者が出たら入り込めたりしないんですかね?」

「代わりにってこと? そりゃ無理だなぁ。そもそもね、安全確保のためにギュウギュウ詰めにならないようにしてるんだって」


 男は困ったように笑った。


「そんなことまで考えて、そんなに入りたい? 賭けなら外でできるのに」

「……。ちょっと、探してる人がいて」

「ふーん、なるほどね」


 男は孝太郎の顔に自分の顔をグイッと近づけると、まるで品定めをするかのようにその目で隅々まで覗き込んだ。顎、唇、鼻、耳、そして目、それを過ぎて髪の天辺まで。


「ふんふん、よしわかった。君を入れてあげよう」

「え、そんなアッサリ。いいんですか!?」

「君の面構えが、気に入ってねぇ」

「ありがとうございます!」


 孝太郎は一歩引いて頭を下げた。とにかくこれでイングリットを探せる。


「いやぁ、お礼なんていいさ。ついておいで」


 男に言われるまま付いて行くと、守衛はアッサリ孝太郎を通した。そのまま彼に付いて後ろを歩く。

 通路の横に付いた扉の前で彼は立ち止まった。


「じゃぁ、僕はこのあたりで。メインレースはアケノファーブルをよろしく頼むよ」

「わかりました、ありがとうございました」


 定型文で答え、頭を下げた。孝太郎が頭を上げると、すでに男の姿はなかった。

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