22.コードルモールの祭事(1)
重苦しい音を立て、城門が開いていく。まるで鷹のようにゆったりと、その翼を広げるかのように。それは彼の目に歓迎として映った。新しい世界の幕開け、その一つに思えた。
ドキドキと聞こえる耳に、ガヤガヤと騒がしさが入る。
「おお……思ったより賑わってる」
孝太郎はブルーセルの街を歩く。キョロキョロとあたりを見回し、フラフラと進む。
正面の大通りをまっすぐ行けば突き当りに厩がある。その主人に行き先を伝えれば乗せていってくれる。城門の兵士はそう話していた。
「急げば昼を向こうで食べられるだろう、か」
芳ばしい肉の匂いが鼻をかすめる。
「まぁ、少しくらい良いよな」
それは店先に持ち帰り用の窓を設けた焼肉店のようだった。これなら歩きながら食べられる、時間をムダにすることはない。
孝太郎はその前に立った。鉄板に汗をかきながら肉を焼く男の姿が見える。男は彼に気づいて渋い顔を笑みに変えた。
「らっしゃい!」
「えーと、おすすめを一つ」
「はいよ! ちょうどいいねぇすぐ焼きあがるよ! ……はいお待ち」
孝太郎は男から串を受け取った。
「おお、えっと、いくら?」
「あぁ? 目の前に書いてんだろ?」
男は態度を急変させた。厄介モノを見る顔をして、窓に吊り下げてある木版を指差す。
「ほらここ! まさか金がねーとか言わねーよな!」
「いや、あるんだが……」
孝太郎は懐から給料袋を取り出した。男は途端に笑顔に戻る。
「なんだオイオイ、しっかりお持ちじゃないか。困らせるような真似しないでくれよな」
「……」
孝太郎は袋を開いて中の貨幣を見た。金銀銅、加えてその大きさが大中小。
「あの、そのスミマセン、これ何枚出せばいいか教えてくれませんか」
「え?」
「なんだ異世界の人か。この時間に寝間着で外をうろついてるから変だなと思ったよ」
「……」
孝太郎は頬をかいた。少し赤い。城から来たことと、字が読めないことを告げると、男はすぐに勘付いてくれた。
「数字くらいは読めるようにしときな」
そう言って男が丁寧に教え始める。孝太郎はそれを興味深げに、時折頷いて聞いている。
どうやら、この世界の数字はアラビア数字と似ているようだ。十進法で、かつゼロの概念を示す文字が存在する。加えてこれは世界中に伝播しているという。
覚える文字が10個だけなので、孝太郎はすぐに覚えた。
「なるほど。コインにも刻まれてる」
「そうするとどこの誰でも価値が分かるだろ? ここは国際都市だからな」
「……先進的だな。どうもありがとう」
孝太郎は銅貨を数枚置いてその場を離れる。
その背中に男が叫んだ。
「ちょっと待ちな!」
「あれ? 足りませんか?」
「ちがうちがう! それ、冷めてんだろ? 新しいの持っていきな」
◇
「馬刺しかな……。美味い」
孝太郎はいつもよりよく噛んで、ゆっくり食べた。胡椒の味がピリリと辛い。噛みごたえのある肉が食欲を満たしてくる。
「いい街だな」
赤レンガの街並みは真昼の青い空とよく映えた。そこに暮らす人もカラリと晴れていた。海からの潮風はそんな街をちょうどよく湿らしている。明るすぎず暗すぎない、そんな心地の良い感触だった。
「おっと」
路地を走る子どもたちが横切った。ケラケラと笑いあって駆け抜けて行った。
ふと立ち止まり、ボーッとそれを見送る彼の側で、大きな声が上がる。見ると別の子どもが祖母の手を引いている。指差すのは何かの看板。甘いスイーツか可愛いおもちゃか、それとも何かの劇場か。
「活気もある」
そんな風に頷きながら、孝太郎は大通りを渡っていく。
兵士の言う通り、突き当りに厩があった。
「まぁここまでくれば牧場もあるか」
街の中心部を抜けたあたりから住宅が増え始め、それさえ抜けて農地が見えて、少し歩いた突き当りにそれはあった。
「思ったより長い道のりだったな。買い食いして正解だった」
厩の前にすでに馬車はあった。幌で覆った荷台があるタイプ、御者もいる。
孝太郎はすぐに気づいた。自分の知る馬と少し違う。背や足の長さは変わりないようだが、明らかに違う。
「……ロバだな」
耳が長く、そして顔がマヌケである。しかしどこかキリリと眉を持ち上げている。
孝太郎は手を振りながら声をかける。
「すみませーん、コードルモールまでいいですか」
「……お? 今からかい? もういいとこ取られてるんじゃないか。まぁ乗りな」
御者は吹かしていたキセルをしまい彼に微笑んだ。気風の良い大柄の男だ。
孝太郎が言う。
「昼までにつきますか」
「んー、ちょっとすぎるかな。まぁ間に合う間に合う。――今日は世紀の一戦だものなぁ。みんな朝早くに出かけちまったよ」
御者は満面に笑みを浮かべた。見ているこっちが照れてしまうような屈託のない笑顔だった。
「そうなんですか」
孝太郎は彼の話に合わせることにした。
「おう。まぁガチのやつは前日から乗り込んでるからな。朝イチでも場所が取れるかどうか。はぁ、俺もかあちゃんに仕事預けて観戦したかったんだがなぁ。稼ぎ時だしそうも行かねーってんでここに釘付けよ」
「はぁ」
「オイオイ気が抜けてんなぁ、そんなんで大丈夫かよ。――っと乗ったな、そんじゃ行くぜ」
御者がバッと手綱で追うと、馬車はゆっくりと歩き始めた。
「あ、いくらです?」
「後でいいよ、山賊だの何だのに襲われたら台無しだからよ。うちは良心的なワケよ」
「はぁ」
「今後ともヨロシク。いやー羨ましいぜ
「……そんなにか」
孝太郎は懐に収めた給料袋に触れた。
「いくらくらい貯めたんです?」
「半年分、全給料を貯め込んだぜ」
「そんなに!?」
「オイオイそんなに驚くことかよ。割と普通だぜ?」
何でもないように御者が答えた。どうやら本当の話のようだ。
「俺も若い時はよ、あの大歓声を肌に浴びたくてそこに立つことを夢見たもんよ。見る側じゃやっぱ収まんねーだろ? それに結構期待されてな、天才だの何だの言われたりもした。でも……はぁ、それが結局、こんな所でタダの御者やってんだから、人生って儚いよなぁ」
「へー……」
孝太郎は意を決して聞くことにした。
「その、実は今日、コードルモールで何があるか知らないんだ」
「おっ、とまじか。そいつぁすまなかったな! 一人で盛り上がっちまったよ」
「いや、あんまり楽しそうに話すもんだから言い出しづらくて、こっちもすまなかった。――それで、何があるんですか」
御者はガハハと大胆に笑い、その膝を叩いた。
「お客に気を使わせるようじゃ、この世界でもダメダメだな。――一大レースだよ! こいつらにとって一生に一度の大レースがあるんだ!」
彼はそう言って、彼の馬を励ますようにその手綱を振るうのだった。
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