13.これがこの国の中枢か(1)

 兄妹が仲良く手を繋いでダイニングへのドアを開くと、城館に不釣り合いな町娘がその長いテーブルの奥に座っていた。


「おっ? アハハッ! ロリコンが見えました!」

「だれだ?」

「イングリットさんだよ」


 ちよが即答した。そう言われて孝太郎は町娘をよく見てみる。

 地味なロングスカートに黒い頭巾をかぶったその少女は確かにイングリットだった。これが彼女の普段着なのだろうか。しかし、闇の中でも輝きそうなブロンドをすべて頭巾の中に入れて縁の無いメガネをかけたその姿は、一見には女王その人だと気づけない。むしろ、女王その人だと言われて近づいてみなければ気づけない程の、一分の隙も無い十分の変装に思える。


「いやちょっと、近いんですけど」


 イングリットがジトっとした目で孝太郎を見上げた。その顔に孝太郎はハッとする。


「あんたそんな顔もできたんだな、いつも笑顔を張り付けてるもんだと思っていた」

「……あんなちょっとの会話で決めつけないでくださいよ。――ていうかですね、私女王なのでっ、あんたって呼ぶのやめてくれますぅ!?」


 イングリットは唇を尖らせた。


「私はあなた方の保護者、庇護者、援助者です! あなたはいわば居候! 私の子飼い、食客! そう、ある意味私はあなたの主人です! さぁ呼び方を改めてくださいっ!」

「……なるほど確かに。では、我が主」

「ひぃいいいいいい!!」


 イングリットは喉をかきむしった。


「いやぁあああ!! なんでしょうこのゾワゾワする感じ! すごく気分が悪くなりました!」

「おい……」

「――イングリット様声が大きいです。広間まで聞こえてしまいます」


 唐突。イングリットの横に女が立っていた。


「うおっ!? あんた誰だいつから!?」

「私はずっとイングリット様の後ろについていたのだが?」

「ヘラさんだよ。気配消すのが上手なんだって」


 ちよが答えた。ヘラは首を傾げる。その亜麻色の長い髪がさらさらと横に流れた。


「違うのだ、ちよ。私はそんなつもりではないのだ。でもどうしてかみんな私に気づいてくれないのだ」


 ヘラは背の高い女性だ。どのくらいかというと成人男性平均よりも少し高い孝太郎と同じくらいの高さ。身に着けている白いズボンと黒いジャケットはそのスタイルを際立たせるピッタリとした物で、高そうな生地と細かな装飾そして胸元の偉げな階級章からして恐らくルクスの将校の制服であるだろう。極めつけに腰にロングソードを提げている。

 彼女は騎士然と背筋せすじを張った。


「改めて自己紹介しよう、私はヘラ。近衛騎士隊長兼イングリット様の執事を任されている。――しかし、なぜみんな私に気がつかないのだろう。やはり私に威厳がないからだろうか?」

「そんなことないよ。ウーちゃんも言ってたでしょ、身を潜めるのが癖になってるって。もう完全に、そこら辺の羽虫の音と聞き分けつかなくなるくらい自然に気配を消しちゃってるんだよ」

「羽虫……」

「ちよ、それは言い過ぎだぞ」


 ――それじゃ騎士というより暗殺者じゃないか。

 孝太郎はそう思ったが、口にするのはためらった。代わりにイングリットが突っ込む。


「まぁ私の傍にいる人間が私より目立つなんてありえませんからね! ヘラ、つまりそれはすばらしいことですよ。――いや、というかそんなことよりっ!」

「そんなこと……」


 ヘラがしゅんっとした顔でうつむいたが、イングリットはそれに構わず、ヘラに向けた笑顔を張り付けたまま、孝太郎の顔に人差し指を突き出した。


「あなたから敬称で呼ばれるとなぜか吐き気がします」

「シンプルにひどすぎないか?」

「なので特別に呼び捨てで呼ぶことを許しましょう! ――てか敬称とかキモイから二度と付けんな」

「え?」


 聞き間違いだろうか。美しい微笑みが汚い罵声を吐いた気がする。

 ヘラが「んっ」と咳払いすると、イングリットは慌てて口を手で抑えた。

 孝太郎は唇に指を添えた。イングリットの言う通り自分は彼女の庇護下に置かれることになるのだろうか。ウーに彼女を補佐しろとは言われたが、結局具体的に何をしろというのは聞いていない。しかし自分と妹の部屋を用意してくれていることや、自分が寝ている間のちよの面倒をイングリットがやってくれていたことから恐らくそうなのだろうと推測できる。

 やはり、彼女への口調は敬意を持ったものに変えなければならないだろう。


「しかし、イングリット様……」

「ひぃいいいいい!!」

 

 イングリットは全身にかゆみが走ったように両手でせわしなく体中をかいている。よほど嫌らしい。

 ちよが頬を膨らませている。


「おにいちゃん、女の子をいじめないの」

「わかった。――イングリット。これでいいか?」


 いじめたつもりはないが、孝太郎は素直に従った。


「清々しいくらい従順ですね、ちよちゃんには」


 イングリットは盛大にため息をついて続ける。


「これはですね、あなたから受けたセクハラが尾を引いているのだと思うのです」

「そっち? 会話にならなかったことじゃなく?」


 イングリットがブスっと孝太郎を睨む。


「そっちはちよちゃんと契約したので」


 ――なるほど。

 どうやらこの娘はそういうのをキッチリ守る質であるようだ。

 しかし実際、話を聞かなかったことの方が大きな原因でありそうだ。と孝太郎は思う。


「……だとしても、普通はタメ口を嫌がるものじゃないか?」

「……たしかに」


 イングリットは顎に手をついて不思議そうに首を傾げた。続けて言う。


「なんででしょう? 畏まられると虫唾が走るなんて」

「それはあるんじゃないか? 敬う気持ちが無い人に敬称で呼ばれるのがキモいとか」

「いいえ。私は崇め奉られるのが心地よいのでありえません」

「……そうか」

「そうです。――そう、いまは王たる者の寛大な心であなたに拳を振るうのを我慢しています」


 イングリットは自分の言葉に納得するかのようにウンウン頷いた。


「きっとこれです。殴りたいヤツは失礼なヤツだと殴りやすいっ!!」

「――んんっ」


 ヘラがせき込んだ。彼女はただでさえ硬い表情をさらに硬く引き締めていた。

 するとイングリットは語気を弱めた。


「……まったく、誰がデリヘルですか。パンツも自分で取れって話です。……夜道には気をつけてください、ふとした瞬間に見知らぬ町娘が殴りかかってくるかもしれません」


 それを聞いてちよが言う。


「イングリットさん、闇討ちもダメだよ」

「……いやぁもちろん、分かってますよぉ」


 イングリットの目は泳いでいた。


「……すまなかった。あの時は混乱していて周りが見えなくなっていたと思う」


 孝太郎はとりあえず謝った。混乱し、おかしなことを口走ったのは事実であるし、何より女のにはまず謝らなければならないと彼は思う。

 

「……まぁいいでしょう」


 イングリットはテーブルの上に食べかけてあったパンをスープで文字通り流し込むと、立ち上がった。テーブルの上の空の食器類を見るに、王族の食事にしては質素なように思える。数が少ないし、装飾のない白磁の陶器であるからだ。

 加えて、それらとともに雑多に置かれた新聞のせいかも知れない。


「では私は用があるのでこの辺で。――ヘラ」

「はっ」


 ヘラはイングリットに大きめのリュックサックを手渡した。イングリットはその中に新聞を詰め、自ら背負った。孝太郎はそれを見て言う。


「どこに出かけるんだ」

「今日私、えーと、非番なので……」

「非番?」


 確かイングリットは日本語を話せるはずだ。


「それ日本語で言ってるか? 休みの日ということでいいのか?」

「そうですけど……。あれ? 非番って言うのは違うんですか? ――ま、とにかく公務を休むので、街へ繰り出すのです」

「……一人で?」


 イングリットの服装を改めて見ると、やはり明らかに身分を隠すための変装であり周りに誰か引き連れていきそうな気配もない。本当にお忍びの外出ということだろう。


「そうですよ? では、急いでいるので。ゆっくり兄妹水入らずで朝食を楽しんでください」

「はーい」


 ちよが元気よく手を振って返事した。ヘラがちよの手をとりイスに乗せようとしている。

 孝太郎の腹は背中とくっつきそうだった。彼は昨日、ちよが食べかけていたパンを急いで口にしたくらいで、それ以降何も食べていなかった。

 女王が街に遊びに行く、その行為に不安がないではないが、イングリットの変装とヘラの慣れた様子を見るにそれほど危険な場所に行くことはないだろうと思えた。

 ――聞きたいこともある、だが、急ぐ必要はないか。


「わかった。そうさせてもらおう」

「はい」


 イングリットはじっと孝太郎の目を見つめると、唇の前に人差し指を立てた。そしてもう片方の手でヘラを指差す。

 つられて孝太郎がそちらを見ると、ヘラが片手に紙を持って見せつけている。


『ちよちゃんねてるとき、はなし』


 それは恐らくイングリットの字だろう。園児が書いたような汚いひらがなだが、孝太郎にはどうにか読めた。

 彼はふっと微笑んだ。なかなか気の利いたことをする。

 イングリットはその顔を見て「うわぁ……」と、しかし声には出さずに露骨に気色悪がった。きっと何もかも気に食わないのだろう。


「では」


 そう言い残して、イングリットはコソコソとダイニングを出て行った。


 その少し後、ヘラが呟く。


「あっ、一つ忘れていらっしゃる」


 その視線の先には丸や三角のマークが大量に描かれた新聞がある。孝太郎は文字が読めないが、なんとなくそれに見覚えがあるような気がして、


「おにいちゃーん、あーん」


 しかし甘えてくる妹にその事実を忘れてしまった。

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