14.これがこの国の中枢か(2)

 剣戟の音がする。汗と血の匂いがする。唸る男の声がする。

 ここは館のある岩山の頂上から一段下がったところにある練兵場。陽の光がさんさんと照りつける、開かれた野外の訓練場。

 バンッと破裂音が鳴る。


「おお。マスケット銃か」

「この音花火みたいだよね」


 朝食後にヘラに誘われ、兄妹はここに見学に来ていた。二人の顔は銃声のした方へ向いているが、体の前に描かれたサークルの中では模擬刀を持ったヘラがへばった兵士たちに喝を入れるところだった。


「ほら、どうした! もう音を上げたのか!?」


 凛とした振る舞いはまさに騎士。地に膝をつけた男共を見下ろす立ち姿は鬼神に似て、影が薄いと嘆いているとは思えないほど気品と風格に満ちている。

 はたして、しかしその叱咤に立ち上がる者はいなかった。彼らは諦めたように力なく項垂れている。


「……まったく、しかたないな。――孝太郎殿!」


 呼び声に孝太郎とちよが振り向く。


「どうした?」

「ここに立って激励してやってくれ。私ではこやつらの心に響かんのだ」

「え?」


 孝太郎はポカンと口を開けた。


「なぜ俺が」

「いいから頼む、あなたの言葉が必要なのだ」

「いや、でもな」


 激励の言葉なんて思いつかないし、そもそも、ここに来たばかりの男がすることじゃないだろうに。孝太郎は困ったように首をかいた。

 ヘラが腰を曲げた。きれいなお辞儀だった。


「頼む。何も思いつかないのなら、力を誇示してくれるだけでもいい。その力を示すことで、この腰抜けどものやる気を漲らせてくれ」

「……俺は新参者、しかもただの居候だぞ。尊敬も畏怖もされていない男が激励したところで何になる? それは会社の見学に来た社長の愛人にマジメにやれと言われるようなものだ」

「それは、どういうことなのだ?」

「めちゃウザいってことだ。それに力ってなんだ? どうすりゃいいんだ」


 ぶん殴って喝を入れればよいのだろうか。


「魔法だ。使えるのだろう? あなたは異界の来訪者なのだから――」


 それは一瞬の出来事だった。

 兵士たちが皆、兄妹のいる練兵場の中心から慌てて端へと逃げていった。水たまりが雨粒に波紋をつくるようである。ヘラの前にへばっていた兵士たちも一様に、いやむしろ彼らこそ必死の形相で逃げていた。

 ヘラは項垂れた。


「……まったく腰抜けどもめ」

「何だ一体。なぜビビられているんだ」

「お祭りみたいだったね」


 ちよがニッコリと笑った。

 ヘラが言う。


「ラ・クレラバリトゥーラを通った人間は星から能力を贈られる。それは普通人間には行使不可能な魔法の才能であることが多い。魔王から聞いていないのか?」

「聞いてない。俺が聞いたのは言葉が自動翻訳されていることくらいだ。それで?」

「つまり皆があなたに怯えたのは、ちよがやらかしたからだ」

「なに?」


 孝太郎が見ると、ちよは照れくさそうに頬をかいている。


「えへへ。言ったでしょ、才能あるんだって」


 ちよは片手を前に突き出した。


「見せてあげるね」


 瞬間、空気が一変した。

 ずるっ、と汚水の這いずるような嫌な気配を耳元に感じる。孝太郎は息をのんだ。生命を脅かす何かがそこに息づいている。

 遠く端にいる兵士たちも短く悲鳴を上げて、各々身を守るような態勢をとっている。神に祈るように両手を組んでいるものもいる。戦々恐々とはまさにこのことだろう。状況の中心に立つ孝太郎は一切動けずにいる。指の先さえ動かすことをためらっている。それがもとで殺意に捕捉される、そんな直感があった。

 そんな中、一人だけ悠々とちよに声を掛けた人物がいた。


「ちょっとちよちゃん! 気合い入れ過ぎだよ!」

「あ、ミーナさん」


 それは兄妹のメイド、ミーナだった。彼女は練兵場の入り口、館へと続く坂道を鉄くずを満載した台車を曳いて上っているところだった。彼女は手が離せないのか、そのままちよのいる練兵場に向けて大声で言う。


「いいとこ見せたいんだろうけどね、そんなに魔力込めたら余波でみんな死んじまうよ」

「ご、ごめんなさい」


 這いずる気配が立ち消えた。ちよはしゅんっと俯いている。


「わかったならいいんだよ。――あんたらも! ビビってないでちゃんと教えてあげなきゃだろぉ!?」

 

 兵士たちは気まずそうに立ちつくしている。ミーナにぺこぺこ謝る者もいた。

 ――いったいどういう立ち位置なんだあのメイド。

 孝太郎が考えていると、ミーナが顔だけ後ろに振り返った。


「あんたもだよ!!」

「すまない。こわくて」


 ミーナの曳く台車の裏から、立ち上がったのはヘラだった。


「なにぃ!?」

「わっ、おにいちゃん声大きいよ」


 ちよは耳を抑えて口を尖らせた。孝太郎はヘラがいつの間にそんなところに行ったのかと思って顔をいる。だってそんなのズルいではないか。

 ヘラがミーナに腰を曲げた。横から見てもキレイなお辞儀だった。


「止めて頂いて感謝する。ミーナ殿」

「いいからあんたは早く戻りな。その癖、いい加減にしないとだよ」

「はい……」


 ヘラはトボトボと元の場所へ戻る。その姿には騎士としての威厳がひとかけらもない。兵士たちのため息が聞こえた気がした。

 そんなヘラの後ろ姿にミーナが声を掛ける。


「ちゃんと言葉で教えるんだよ! そこのよく分かってないロリコンにも優しく丁寧にね! さぁ、みんないつまでも突っ立ってないで仕事に戻りな! ――んじゃ、そゆことで」


 ミーナは台車を曳いて坂を上り始めた。台車はギシギシと音を立てて鉄くずの重みに悲鳴を上げているが、彼女は難なく普通に歩いて行った。

 孝太郎が呟く。


「ホント何なんだあいつは」

「えーとね。この国で一番のメイドさんなんだって」

「ちよ、それ答えになってないから」

「だが一つだけ分かったことがあるだろう」


 兄妹の前にたどり着いたヘラが周りを見渡して誇らしげに胸を張った。


「ミーナ殿の威厳によって兵士たちはやる気を出した。すばらしい叱咤激励であった。腰抜けにはこれが一番効くのだ」

「……自分の手柄みたいに言うなよ」


 あんたが一番の腰抜けだよ。孝太郎はしかし口にはしなかった。

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