12.神様からの贈り物
孝太郎はちよとともに廊下を歩いていた。むにゃむにゃと起き上がったちよはミーナとも知り合っていたらしく、彼女の話を聞いてすぐ、孝太郎の手を引いて歩きだした。
もう片方の手は壁に沿わされている。
「もう、けっこう覚えたんだな」
「うん! この館の中なら一人でも歩けるよ」
ちよは快活にそう言った。彼女は記憶力が高く、一度歩いた場所をほとんど完璧にマッピングできる。自分の一歩でどの程度進んだのか、脳内で立体的に思い描ける。もちろんその時無かった障害物にはぶつかってしまうため、家の中ならともかく、どこか外を移動する際には孝太郎が付き添っていた。
「……俺がいない間、お姫様がやってくれたんだよな」
「うん! イングリットさんね、すごく面白いんだよ。とっても変わってて不思議な人なの! おにいちゃんもきっと仲良くなれるよ」
「そうか。ちよ、楽しそうだな」
「うん! この世界に来てから毎日いろんなことがあって! いっつも胸がワクワクして、体が勝手に動き出しちゃうの!」
ちよが笑っている。それは日向がよく似合う天真爛漫の笑みだった。
「そういえば昨日の夜はどうだったの? 星落としを見に行ってたんだよね?」
「ん……。誰から聞いた?」
「イングリットさん。――いっぱい話そうって言ったのに、お風呂から帰ったらおにいちゃん居ないんだから」
ちよはわざとらしく頬を膨らませた。彼女がこうやって拗ねる時は、もう納得している時だ。孝太郎が答える。
「ごめんな」
「いいよ。お仕事なんだから仕方ないよね」
いつものやりとり。孝太郎はいつもの通り罪悪感を抱きつつ、ちよの聞き分けの良さに感謝する。
――こんな良い子に育ってくれるなんて、いったい誰に感謝すればいいやら……って待て、仕事?
こっちに来てからの仕事とは何だ。
「……仕事ってなんのことだ?」
「ウーちゃんのお仕事、星落としっていう敵から世界を守るっていう。――おにいちゃんもそれを手伝うんでしょ?」
「そうか、知ってたのか。すごかったぞ――」
孝太郎は昨日の出来事をちよに話した。もちろん、魔人たちの死や自分の粗相を隠して。
ちよは笑顔で聞いていた。
「大変だったね。やっぱりウーちゃんは強いなぁ。……でもどうやったんだろう?」
「どう?」
「大威力の魔法は魔力をいっぱい使うから、今のうちじゃ使えないって言ってたの」
「なるほど……」
あの時ウーが言った「ストックがない」とはこのことだろうか。血を吸われる前、星落としの鳴き声にあてられていた時の言葉だ。孝太郎はちよに詳しく突っ込まれる前に、話題を先へ進めることにした。
「もう、いろんなことを知っているんだな」
「うん。みんないろいろ教えてくれたから」
「そうか――」
ふと、胸がざわついた。ちよはどこまで知っているのだろうか。
「……お兄ちゃんがウーと何を話したか、知ってるか?」
「知ってるよー」
「っ!」
ぐっと喉が詰まる。人を殺す約束をしたなどと、ちよが知ってはいけない。孝太郎は最後まで隠し通すつもりでいた。
魔人が人の死体や血を使うことも、その為に自分がルクスの戦争に加担することも、何もかも、ちよの耳から遠ざけるつもりだった。
しかし一体、誰からそれを聞いたのか。
あの時、ウーとイングリットがわざわざちよを遠ざけてくれたのだ。あの二人がちよに話したとは思えなかった。
何にせよ、自分が思っていたより、ちよが知ってしまっている可能性があった。大事に育ててきた、見守ってきた妹が、血生臭い世界に入り込んでしまう。それだけは阻止しなければならないのに。
妹にはキレイなままでいて欲しいのに。
そんな彼の葛藤を知ってか知らずか、ちよが続けて言う。
「助けてくれるなら何でもするとか言ったんでしょ? ウーちゃんが良い魔王だからよかったけど、悪い魔王なら何させられてたか」
「……何って?」
「んー、ご、強盗とか? ――人助けでよかったね」
「ふ、ははっ」
孝太郎は笑った。胸の空気がホッともれる。会話の詳細は知らないようだ。
「確かにな。お兄ちゃん頑張るからな」
「うん、がんばろうね」
「……がんばろう?」
何だその言い方は。まるで自分も勘定に入っているかのようではないか。
ちよはその天真爛漫の笑顔のまま言う。
「わたしも悪い敵と戦うんだよ! 任せて! なんかわたし、魔法がすっごく得意みたいなの!」
それは孝太郎の顔を真っ青に変えた。死刑宣告をされた囚人のように暗く重い表情だ。吐く息も浅く、吸い込むことも苦しい。
「ど、どういう?」
「この世界に来る前にウーちゃんに言われたの……」
ちよはあの時のことを孝太郎に語った。
ウーはちよにこの世界に来るかどうか確認をしたそうだ。孝太郎の傷を治すには世界を移動するしかない。しかし一度世界を跨げば二度と戻ってこれない、元の世界を捨てなきゃいけない。ウーはそう説明したうえで、孝太郎から頼まれたことを彼女に伝えた。妹を救ってほしい。その頼みがあるから、ちよも世界を越えてほしい、と。
「そんなの、おにいちゃんがいる方選ぶ。って、もう決めてたんだけど。ウーちゃんは慌てて、わたしにも手伝ってほしいって言ったの」
「……な、なにを?」
「星落としの討伐。才能あるからって。――昨日星落としが鳴いたでしょ? あれってすごく遠くまで響くの。でも街に影響がないように、ナジャさんと、わたしが、止めました!」
ちよは「わたし」の部分をことさらに強めて、誇らしげに頬を染めた。
反対に孝太郎の顔は暗く青ざめたままだ。あんなバケモノ同士の争いに妹が巻き込まれている。しかも自分から進んで争いに参加しているなんて。
――まさか、やっぱり知っているんじゃ。
「魔人が何から魔力を得ているのか、知ってるか?」
「血液でしょ?」
孝太郎の目に地獄が見えた。そも天国は見えていなかったが更に落ちた。しかし続く次のセリフで彼は辛うじて息を吹き返す。
「献血を受けてるって聞いたよ」
「……その通り。――街を守ったんだな、えらいぞ、ちよ」
ショッキングな情報は伏せられているようだ。と孝太郎は思った。なぜなら、ちよの顔が無邪気のままだったからだ。死体がどうだの、戦争がどうだの、13歳の耳に入れていい話ではない。しかし献血ならまだセーフだろう。ウーもイングリットもその辺りちゃんと理解しているようだ。
そういうことなら、まだ許容できる。
ちよが孝太郎に撫でられた部分に手をやった。
「えへへ。もっとほめて」
その照れた顔を見て、孝太郎の胸のざわめきは少しだけ収まった。
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