第18話 パイと疑惑
エルシア・フォードの死の真相。
エルセは当初、調べる必要があるのかさえ疑問だった。
けれど当代聖女ユリの言葉を聞いて、様々なことを深く考えるようになっていた。
グレンダは、どんな気持ちで泣いていたのか。ユリの言う通り、フロイシスにはエルシアを殺す動機があったのか。アリオがエルシアの月命日に、聖堂を参拝する理由は何か。
一度疑いだせば誰も彼もが怪しく思えていたけれど、結局はエルセの考えすぎだったのかもしれない。
関係者の誰もが、自分を責めているだけ。
エルシアの死を心から悔やんでいるにすぎなかった。
エルシア・フォードをひいた馬車がプレーリオ商会のものだったという偶然には驚いたけれど、むしろアリオとは前世の頃より分かり合えた気がする。
――またな、と言われたし……。
別れ際の何気ない一言に、エルセは同じ言葉を返せなかった。いつかは魔界に帰らなければならないからだ。
それでもまた会いたいと思う自分がいる。
もっと色んな話をしたいし、なぜエルシア・フォードにだけ意地悪だったのかも聞いてみたい。
「ねぇフォクシー。あなたはこれまで、他の狐に意地悪をされたことがありますか? だとしたら、その相手にはどんな思惑があったと思います?」
便宜上フォクシーと名付けた狐は、エルセの悩みごとには興味がないようで、一生懸命食べ進めている。彼女は、先日から食事ができるようになっていた。
元気にごはんを食べている動物は、他にもたくさんいる。
たぬきに鳥にうさぎ、鹿の親子。ここ最近で患者はずいぶんと増えた。入院室は野生の動物達でほとんど満床の状態だ。
けれど、一命を取り留めた生きもの達が元気になれたのは、本当に嬉しいことだった。医院の経営状態が気になるところだが。
彼らの食事代をティリクが負担していることを考えれば、エルセは当面の給与を遠慮した方がいいかもしれない。
悩ましく思っていると、ちょうどティリクがやって来た。彼からの休憩の誘いは、今となっては日常となりつつある。
「今日は、ゾフのところの新作焼き菓子をもらってきた。オレンジ黒すぐりのパイだと」
「またゾフさんから強奪したんですね……」
先日留守番を押し付け迷惑をかけたところなのに、重ね重ね申し訳ない。
昼下がりの休憩室には、既に紅茶の準備が調っていた。申し訳ないが、表面がつやつやと輝くオレンジ黒すぐりのパイは、とてもおいしそうだ。
ティリクがティーポットから紅茶を注ぐ。
すると、フワリと甘酸っぱい香りが鼻先をくすぐった。カップの中を覗けば、紅茶は鮮やかな赤の水色をしている。
「先生、これは?」
「ハイビスカスとレモンのブレンドティーだ。パイと合うような風味に仕上げてみた」
「ということは、つまり先生がブレンドしたんですか?」
肯定するようにティリクが笑ったので、エルセは感嘆のため息を漏らすしかない。
実のところ、彼は料理上手だった。
日々の食事の準備もティリクがほとんどしており、エルセにできるのは野菜の皮剥きや料理を煮込む鍋の番といった、本当に簡単な手伝いくらいだ。
ゾフからレシピを強奪、もとい仕入れては、おいしい料理を振る舞ってくれる。
「ティリク先生って、本当に何でもできちゃうんですね……」
「そうだな。空を飛ぶこと以外ならば」
パイを切り分けながらの返答は彼なりの冗談だろうが、エルセはうまく笑えなかった。
翼を剥奪されたとは、以前に聞いた覚えがある。けれど何かしらの罪を犯したにもかかわらず、天族であった頃の力は大抵使えるなんて、本当にあり得るのだろうか。
「どんな思惑があろうと、私は君に意地悪などしないがな」
ティリクが脈絡なく呟くから、エルセは考えごとを中断する。
「何ですか、先生?」
「私ならば、君が喜ぶことしかしたくない」
「……?」
念を押すように言われても、ますます謎が深まる。
エルセは首を傾げて考え――ようやく答えらしきものにたどり着いた。
「もしかして……さっきのフォクシーとの会話、こっそり聞いてました?」
「狐にフォクシーと名付けるのは、なかなかに安直だと思うぞ」
エルセは頬を真っ赤に染める。
動物に話しかけているのを知られただけでなく、入院室のみでの秘密の呼び名まで勢い余ってバラしてしまった。
「な、何で盗み聞きなんて……」
「エルセ。君は先ほど、アリオ・プレーリオのことを想像しながらフォクシーに相談していたんだろう?」
相談内容まで残らず知られていて恥ずかしいばかりだが、もはや隠すことなど何もないとも言える。
エルセは渋々ながら頷いた。
「でも、それとこれと何の関係が?」
「たとえどれほど高尚な理由があろうとも、君に意地悪をするような男のことなど考えるに値しないということだ」
言われた意味と共に、ゾフ特製のパイを咀嚼する。分かりづらいけれど――もしや、エルセがアリオに関することで頭を悩ませていたから、嫉妬している?
頬がますます熱くなった。
なぜ彼はこんなにも期待を持たせるのだろう。魔界に帰るまでに忘れようと、こちらは必死になっているのに。
エルセは顔を隠すため、素知らぬふりでブレンドティーに口を付けた。
華やかな酸味とほのかな甘みが口いっぱいに広がった。
この一杯ですらパイと合うように――エルセのために淹れてくれたのだと思うと、胸の奥がくすぐったくなる。
「どうした、エルセ? やはりあれ以来、アリオ・プレーリオのことが気になるのか?」
「や、やはりって何ですか」
「グレンダ・ドルカの時と違い、君は自ら名乗っていた。最終的には遠慮が消え、楽しそうに笑っていた」
「それも盗み聞きしてたんですか!?」
紅茶を噴きそうになるエルセとは対照的に、ティリクは至極真面目な顔だ。
というか、悪びれなさすぎてひどい。さすがにこれは好きな相手でも許してはいけない線だと思う。
「アリオさんのことを色々考えていたのは、単純に友人としてですけど。……盗み聞きは過保護というより、過干渉ですよ」
半眼になって責めると、彼は胸を押さえて俯いた。痛恨の一撃だったようだ。
ティリクはそれでも顔を上げると、すがるような眼差しでエルセを見つめた。
「……もう二度と、失いたくないんだ」
きっとまた、過去の誰かを重ねている。
すぐに気付いてエルセは口を噤んだ。
「大切な人を失った時、私は大きな絶望を味わった。なぜ彼女は、あれだけ努力したのに報われなかったのか。たくさんの人々を救い続けたのに、なぜいざという時に見捨てられねばならなかったのか……」
「――それは……」
何か、おかしかった。
彼が語る誰かの人生が、まるでエルシア・フォードの不遇の生涯のように聞こえた。
今までも彼は、過去の誰かとエルセを何度か重ねていた。
それが、エルシアだったとしたら?
気のせいだと思いたい。
エルセはやけに焦った気持ちになる。
ティリクの忘れられない人がエルシア・フォードだったのなら、純粋に嬉しいはずなのに。自分もずっと好きだったと、胸に秘めていた想いをぶつけることができるのに。
そういえば彼とは、以前聖女について話をしたことがある。
天界に迎え入れられるはずだったエルシアが魔族として転生してしまったことを、慰めてくれたのだ。『君の心映えの方が余程尊いものだ』と。
あの時は何も疑問に思わなかったけれど、彼の口振りは聖女エルシア・フォードを知っているようではなかったか。
考えすぎならばいい。エルセとして出会ってからのことを褒めてくれているなら。
だって、エルセの記憶にティリクはいないのだ。彼だけが一方的にこちらを知っているなんてどう考えてもおかしい。
なぜ、なぜ、なぜ。
疑問が胸に渦巻き、全身を震えが走る。
知りたくなんてないのに、この不安の正体が何なのか、エルセは気付いてしまった。
怖いのだ、ティリクを疑うのが。疑わなければならないのが。
死の真相。誰が聖女を殺したのか。
考えすぎだと結論付けた疑惑が、再び芽を出しはじめる。
魔王ウォルザークが調査せよと言ったのだから、何もないはずがなかったのだ。
「エルセ?」
呼びかけられ、ハッと顔を上げる。
彼はいたっていつも通りだ。
「今度はどうした? もしや……」
エルセは無意識に固唾を呑んだ。
もしや疑っているのか。
そう続けられたら、何と返せばいいのか。
「――もしや、ゾフが作ったパイが口に合わなかったのか」
「……え」
ティリクが放ったのは、穏やかな午後に相応しい何とものどかな台詞。
エルセの肩からガクッと力が抜けた。
「やはりゾフには頼らず、これからは菓子にも挑戦していこう」
何やらしきりに頷いている彼の過保護ぶりは、相変わらず平常運転だ。
いつだってエルセを気にかけてくれる。たくさんの優しさをくれる。
それでもこのかすかな違和感を、見過ごしてはならないのだろう。エルセは悲しい気持ちで笑った。
関係者への疑いが晴れたばかりなのに、誰より心の支えにしていた人を、信じられなくなりそうなんて。
そこからはブレンドティーもパイも、ほとんど味がしなかった。
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