第17話 誰が聖女のために泣く

 夏の日差しを照り返しつつ、癒やしの神殿は泰然としてそこにあった。

 暑さの盛りを迎えたロアーヌ聖国だが、今日は気持ちのいい風が吹いているからか汗もすぐに乾いていく。

 聖堂にある見慣れた瑠璃色のステンドグラスには、明るい日差しが降り注いでいた。

 前回来た時より人出が多い。

 ……それは、エルシア・フォードの月命日だからなのだろう。

 ぞろぞろと続く列の中で、癖のあるダークブロンドと高い身長はすぐに目に付いた。覗く横顔はなめらかな褐色の肌をしている。

 あの夕焼け色の鋭い瞳で、献花で溢れた祭壇を睨むように見つめているのだろうか。

 ユリの声が不意に甦る。

『エルシア様が死んで都合のよかった人は誰? ――誰があの方を殺したの?』

 エルセは、前世での最期を覚えている。

 ただの事故で、エルシア・フォードの死に疑問などなかった。

『……それは私。私と、フロイシス様だけなんだよ――……』

 急に分からなくなった。

 グレンダもアリオも、エルシアの死を悼んでいるだけではないのか。何か隠された意図があるのか。

 分からないなら直接確かめるしかない。

 今日、アリオの姿を見つけられたのは幸運だった。

 ユリの言葉を信じてエルシア・フォードの月命日にやって来たものの、彼が早朝に拝礼を済ませていたら徒労に終わるところだ。

 アリオが祈りの番を終え、歩き出す。

 なぜか彼の手には花束が残っている。不思議に思ったが、見失わないように慌てて列から抜けた。

 いつの間にかティリクがいなくなっているのは、おそらくグレンダの時と同様に隠れているためだろう。気にしないこととする。

 緊張に早鐘を打つ心臓を押さえながら、エルセは気配を殺して尾行した。

 神殿の敷地内には共同墓地がある。どうやらアリオは、そちらに向かっているらしい。

 突然視界が開けた。

 綺麗に整えられた広い区画には、ほとんどひと気がない。素朴なかたちの墓碑達が連なり、静かに誰かを待っているようだった。

 アリオは迷いなく進むと、その内の一つの前でピタリと足を止めた。膝をつき、そっと花を供える。

 横顔からは何も読み取れないけれど、あそこには彼の知人が眠っているのだろう。

 言葉もなく見つめていると、アリオがゆっくりと立ち上がった。

「……で? 俺を尾けてるあんたは何者?」

 鋭い視線がエルセを射貫き、反射的に肩を揺らした。

 隠れている位置まで把握しているようなので、誤魔化しても無駄だ。エルセはなるべく顔を俯けながら進み出る。

 謝罪を口にする前に、彼が息を呑んだ。

「あんた……エルシア様か?」

 気付かれないよう隠していたのに、なぜかあっさり見破られてしまった。

 共同墓地に気まずい沈黙が落ちる。

「……な、何のことでしょう。私は……」

「髪色とか全く違うが、勘で分かる。あんたは間違いなくエルシア様だ」

「――――」

 確信に満ちた口調に、否定を封じられる。

 ユリにも気付かれたのだから、他にも察する者は現れるだろうと思っていた。

 けれど、エルシアのことを嫌っていた彼にまでバレるというのは想定外だ。

 ここまであっさり見抜かれると、逆にグレンダがなぜ気付かなかったのか不思議だ。それに、フロイシスと出くわさなくてつくづく運がよかった。

 サク、と草を踏む音がして顔を上げる。

 気付かぬ内にアリオが目の前まで接近していた。赤みを帯びた瞳がエルセを捉えており、条件反射で身をすくめる。

 途端に、彼は不機嫌そうに眉根を寄せた。

「あぁ、その反応も相変わらずだな。変わったのは髪と瞳の色だけかよ」

 乱暴に吐き捨てられたのに、エルセは反論もできずに俯いた。

 臆病な性格も、すぐに諦めてしまうところも、何度も自分を奮い立たせてみたのに少しも変わっていない。

 内容があまりに的を射ているため、恥じ入るしかなかった。

「す、すみません……」

「ホラ、すぐ謝る。俺が謝ってほしいなんて言ったか? あんた、何でもいいから適当に謝っとけば丸く収まると思ってるだろ」

「そんなこと……ないです……」

「あー、オドオドすんな。イライラする」

「うぅ……」

 最近は、ティリクにならば言い返せるようになっていたのに、エルセの言葉尻はみるみる萎んでいく。

 彼の刺々しい口調が昔から苦手だった。

 苦手なのはお互い様なのだろう、アリオは鬱陶しげに嘆息する。

「あぁもう悪かったよ。全く成長してないお子さまが相手なんだから、大人が余裕を持つべきだったよな」

 彼は明るく社交的で、誰からも好かれていた。軽薄さすら愛嬌の内だったのは、粗暴そうな雰囲気のわりに気配りができたからだ。

 そんなアリオが口を開くたびに皮肉る相手など、エルシアくらいのものだった。

「……あ、あなたも、大きくなったのは図体だけですね」 

「へぇ、ちょっとは言うようになったじゃん。でも残念、色気が増したってご婦人方には大好評よ」

 ぐぬぬと歯噛みしてみても、口の上手い彼に適うはずもなかった。

 アリオは鼻で笑ってエルセをあしらう。

「そんで? わざわざ尾行したってことは、何か俺に用でもあるんだろう?」

 なぜ、月命日ごとにエルシア・フォードを拝礼しているのか。

 それを訊きに来たはずなのに、視線は自然と気になる方へと吸い寄せられていく。

 彼のずっと向こうで、鮮やかな花が乾いた風に小さく揺れていた。

「あぁ、あれが気になる?」

 アリオはすぐに察し、先ほど自分が立っていた墓碑の前へと移動をはじめる。エルセもあとに続いた。

 彼は、名前が刻まれていない墓石の前に座り込んだ。丸みを帯びた石は手入れが行き届いている。

 その綺麗な墓石を、彼は優しく撫でた。

「あんたってさ、エルシア・フォードの記憶はどれくらいあんの?」

 返しに困る、嫌な質問の仕方だ。

 魔族に転生した話をすればややこしい。

『半端者』の元人間は、人間界でも忌避される傾向が強い。ロアーヌ聖国では特にだ。

 唯一神の敵である魔族は、人を堕落させるために存在していると信じられている。

 その辺りの誤解は魔王の養い子になっていることなどを丁寧に話せば解けるだろうが、彼にそこまで暴露するのも抵抗があった。

「……その。本人と、同じくらいには、あると思います」

 結局消極的な返答しか出てこず、エルセは余計に情けなくなった。

「そうか……」

 アリオはそう呟いたきり、ふと黙り込む。

 エルセはただ、風が彼のダークブロンドを翻す様子を、じっと見ていた。

「――この墓、誰のもんか分かる?」

 夕焼け色の瞳が、背後のエルセを捉える。

 やはり彼は商人なのだろう、眼差しからはどんな感情も窺えない。

「エルシア・フォードが死んだ時、もう一人死んだ奴がいるんだよ。聖女だ何だとたくさんの花を手向けられることなんかない、ある可哀想な男がさ」

「え……?」

 死の間際、助けようとした子どもの無事は確認したはずだ。ならば、彼が言っているのは一体――。

 思い出すのは断片的な光景。

 雨に濡れた街角。冷たい石畳に広がっていく血溜まり。泣きじゃくる子ども。

 そして、街灯にぶつかってひしゃげた馬車の、空回りする車輪――。

「あっ……」

 エルセは言葉を失った。

 衝突で潰れたあの馬車には、確かに見知った商標があった。

 頭が三つあるカラスが、羽を広げている図案。ロアーヌ聖国内では最も勢力の強い、プレーリオ商会のものだ。

 アリオは突然立ち上がると、エルセに向かって勢いよく頭を下げた。

「申し訳ございません。どれだけ謝罪しても取り返しのつかないことですが、彼……レイノルズに代わって謝ります」

 真摯な声と、実直な姿。

 およそエルセの知るアリオ・プレーリオという男からはかけ離れてすぎていて、何が起きているのかいまいち理解できない。

「なぜ、あなたが……」

 エルシア・フォードを嫌っていた彼には、屈辱的な行為のはず。

 けれどアリオは別の意味に捉えたようだ。

「土の下で眠る部下に謝罪なんてさせられねぇよ。……謝るのは、上に立つ者の役目だ」

 たとえ屈辱的だろうと、彼にとっては矜持よりも部下が優先されるということか。

 初めて、アリオが大きく見えた。

「……お互い様です。馬車の前に突然飛び出した、私が悪いんですから」

 エルセの呟きを聞き咎め、彼はまたあの頃のように眉根を寄せた。

「あんたはまたそうやって、全部自分のせいにしようと……」

「ありがとうございます、アリオさん」

 飛び出すであろう皮肉を遮るように、エルセも深く頭を下げた。

 彼から驚きの気配が伝わってくる。

「私も、心から冥福を祈ります。……この方は、不幸にも命を落としてしまいましたが、きっとあなたのおかげで寂しさなど感じてないのでしょうね」

 エルシア・フォードは、今や聖女と祭り上げられているのだ。

 聖女を殺したとして、当時は御者を糾弾する声もあったのではないだろうか。死者に鞭を打つように。

 それをこうして鎮めることができたのは、ひとえにプレーリオ商会の強大な組織力あってこそだろう。

「レイノルズさん、というのですね。彼がもし土の下で嘆かれていたら、私は安穏と暮らした五年間を後悔していたことでしょう。アリオさんのおかげで、この方も私も救われている。だから、ありがとうございます」

 顔を上げて微笑むと、アリオは照れくさそうにそっぽを向いた。

 エルセが知ろうとしなかっただけで、彼は昔から心根の温かい人なのだろう。

 軽薄さばかりが目立つけれど、本来は義理堅く情に厚い。

 苦手だからと目を逸らさずに、もっと分かり合うための努力をすればよかった。少しだけ残念に思う。

「もう少し分かりやすく、優しさを示せばいいのに。誤解で敵を増やしますよ」

「大々的に優しさを振り撒く必要なんてないだろ。身近な奴らだけ把握してれば十分だ」

「とか言っておきながら、商売のためなら何でもしそうですけどね」

「褒め言葉だな」

 恐ろしく感じていた彼とこんなふうに言い合えるなんて、何だか不思議な気分だ。

 おかしくなって笑うと、彼は眩しげに目を細めた。

「……じゃあな、聖女様」

 そうして立ち去ろうとするアリオの背中に、エルセは声をかける。

「皮肉ですか?」

 彼は癖のあるダークブロンドを乱暴に掻き混ぜながら、ふて腐れたように呟いた。

「あのな。単純に名前を知らねぇんだよ」

「エルセです。エルセ・ソルブリデル」

「――エルセ。エルセ・ソルブリデルか」

 アリオは意外そうに目を瞬かせてから、何度か口中で名前を唱える。

 ようやくしっくり来たのか、彼は満足げに笑った。まるで出会いの初めからやり直しているみたいだ。

 静かな共同墓地には、エルセ達の小さな笑い声がしばらく響いていた。



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