第15話 それは私、とスズメが言った

 海のように青い小花と、金彩が美しいティーセット。銀製のケーキスタンドにはサンドイッチやスコーン、見た目にも愛らしいケーキが装飾品のように並んでいる。

 エルシア・フォードの頃も、聖王宮でもてなされる時はこれくらい華やかだったことを思い出す。

 懐かしさに浸るエルセの前には、いそいそとカップに紅茶を注ぐ未来の王妃殿下。

 なぜ、こんなことに。

「フフ。今日はゆっくりできるのよね? せっかくだから女子会っぽくしてみたの」

「女子会、ですか」

「あ、ごめんなさい。イースティルにはない言葉よね。定義は私もよく分からないけど、前にいた世界では結構何でも女子会って呼んでいたのよ」

 ニコニコ笑っていたユリが、何かに気付いたようにハッとする。

「というか私、くだけすぎよね。ごめんね、はしゃぎすぎていたわ。エルセさんとは仲よくなれそうだなと思って、つい嬉しくて」

「いえ、大丈夫です」

 それだけだと素っ気ない気がして、エルセも勇気を出して心の裡を明かす。

「……私も、ユリさんと仲よくできたら、嬉しいです。無礼かもしれませんが」

 恐る恐る顔を上げると、彼女は輝かんばかりの笑顔を見せた。

 ユリの感情表現はとてもはっきりしている。目まぐるしい表情の変化なのに、なぜだか不快にならない。

「ねぇ、私も向こうの世界では平民だったの。だから、そんなに堅苦しくしないでね」

「はい。ありがとうございます」

 異世界からやって来て、王妃となる。

 そこには、人に言えないような苦悩や悲しみがあったのではないだろうか。

 全ての憂いを呑み込んだ上で明るく笑っていられる彼女を、改めて尊敬する。

 エルシアの時は、そんなことに思い至れるほどの余裕がなかった。

「あなたと話してスッキリしたから、今は王妃教育もちゃんと受けているのよ。やっぱり気晴らしって大事よね」

 聖女の公務と王妃の責務とで板挟みになっていたユリだが、焦っても仕方がないと考えるようになったらしい。体を壊しては元も子もないと、分かってくれてよかった。

 フロイシスも、睡眠時間を削ってまで無理を重ねる彼女が心配だからこそあれほど怒っていたのだ。

「その様子ですと、王太子殿下と仲直りができたようですね。安心しました」

「ごめんなさいね。近い内に国を背負って立つ王太子夫妻が険悪なんて、国民からすれば嫌なものよね」

「未来の王妃だから気にしていたわけじゃないです。ユリ様だから、心配だったんです」

 本心だった。

 そもそもエルセは魔族なので、ロアーヌ聖国の繁栄などには興味がない。国民が平和に暮らしていければいいと願うくらいだ。

 フロイシスが苦手だったから、むしろ無理に仲よくしなくていいと言いたい。

 けれど、ユリが彼を愛しているのなら、エルセは応援するしかないのだろう。彼女には心からの笑顔が似合う。

「エルセさん……」

 テーブルを挟んでいたはずなのに、ユリはいつの間にかすぐ側に立っていた。

 黒い瞳が潤んでいて、エルセは混乱する。

「ユ、ユリ様?」

「うわーん、優しい! 大好きー!!」

 飛び付くように抱き締められる。

 戸惑ったが、やはり重圧と戦っているのだろうと思えば労りの感情が込み上げてくる。

 大人びた口調も、少し無理をしていたのだろう。彼女は当時十五歳だったので、まだ二十歳のはずだ。

 エルセは彼女の背中に手を回すと、遠慮がちに撫でた。そうするとますます強く抱き付いてきて、思わず苦笑がこぼれる。

「ユリ様はいつも、頑張っています。立派な聖女様です」

「うぅ……ありがと、エルセさん……。何だろうこの、年下とは思えない包容力……」

 ユリの鋭さに少しギクリとしてしまう。

 年齢的には下だが、前世の記憶があるため本来なら歳上なのだ。

「はぁ……ごめんなさい。フロイシス様には王妃になるのが不安だなんて言えないし、友達は繊細な悩みなんて分かってくれなさそうな人達ばかりだし……」

「友達、というと……」

「グレンダ・ドルカ様って騎士と、アリオ・プレーリオさんって商人。フロイシス様と親交のある二人だから、結構有名よね」

 ユリもまた、彼らとは未だに交流があるらしい。くだけた口調からは親しみを感じる。

「そのお二方は、今日は?」

「グレンダ様はフロイシス様の側近でもあるから、彼と一緒にいると思うわ。アリオさんは自分で立ち上げた商会が忙しいらしいけど、頻繁に顔を出すのよ。会いたいなら呼んでみましょうか?」

 エルセは光速で首を振った。

 グレンダとはあれ以来なので気まずいし、アリオは単純に怖い。

「でもアリオさんにはね、絶対に会えない日があるのよ。それは……聖女エルシア様の、月命日。あの人、毎月必ず聖堂に行って、花を手向けているの」

 あの、アリオが?

 目を見開いたまま、エルセは硬直した。

 いつでもエルシアを責めるようだった、彼の鋭い眼差し。

 絶対に嫌われていると思っていたのに、なぜ花を手向けるのか。

「アリオ・プレーリオさんも、エルシア様と仲がよかったんですね……」

 エルセがようやくそれだけ口にすると、ユリは苦笑をにじませながら首を傾げた。

「どうかしら。私には、仲がいいとは思えなかったわ。アリオさんは本心を隠すのが上手い人だから、エルシア様に対する気持ちがどんなものだったのかも分からないし」

 好悪の問題、とは違う気がする。

 皮肉げな態度のせいか、どうしても感情に左右されて行動するようには見えない。商人だからと色眼鏡で見てしまっているのか。

 自分が今どんな顔をしているのか分からなくて、エルセは紅茶に口を付けた。

 ユリは視線を落としたまま続ける。

「私は、エルシア様と仲よくなりたかった。あの人は、本当にすごい聖女だった。フロイシス様にさえ反対されなければ、もっとたくさん話せたのにと思うわ」

 あの頃、聖女は一人のみと考えられていたので、エルシアとユリは微妙な立場だった。フロイシスの配慮も当然のものと言える。

 けれど、エルセも考えずにいられない。

 こうして、何のわだかまりもなく話すことができれば、エルシアの人生も何かが変わっていたのだろうか――。

 エルセは慎重に口を開いた。

「……もしも、聖女様にしか解決できないような問題が起こったら、エルシア様はどうするんでしょうね。――ユリ様は……」

 魔物の大発生について、ようやく核心に近付くことができた。

 聖女と国の上層部しか知り得ない知識なので、はっきり告げられずもどかしい。

 うまいたとえが浮かばず言い淀むエルセに、ユリは淡く笑った。

 彼女らしくない、かげりのある笑み。

「私にはとても無理よ。……だって私は、エルシア様じゃない」

 否定的な台詞は思いがけなくて、エルセは首を振った。

「ユリ様も、立派な聖女様じゃないですか。エルシア様だって認めていたはずです」

 もしエルシアとして仲よくなれていれば、きっと前世も楽しかったに違いないと。

 エルセはいい想像しかしていなかったけれど、彼女の中に渦巻くのはそればかりではないのだろうか。

 笑顔から、悲しみの気配が伝わってくる。

「……私、フロイシス様を愛しているわ。ずっと隣にいたいし、できれば支えになりたい。でもね、時々考えてしまう。もし、先代聖女のエルシア様が生きていたら」

 もしエルシア・フォードが生きていたら、色んな人達の運命が変わっていただろう。

 そう、ユリとフロイシスが結ばれない運命があるように。

「不安な気持ちが消えないの。あの人が死んで、得をしたのは誰か。……それは私。私と、フロイシス様だけなのよ――……」

 彼女の神秘的な漆黒の双眸は、真っ直ぐエルセに向けられていた。

 ……ユリはもしかしたら、エルセの正体に気付いているのかもしれない。

 そうでなければ、ここまで踏み込んだ話はできない。

 魔族に転生したとまでは見抜けなくとも、顔だけ見ればエルシアに関わりが深いことくらい分かる。そもそも異世界からやって来た彼女からすれば、どんな不思議な現象だって起こり得ると考えられるのかもしれない。

「それでも……それでも、私は……ユリさんと話せてよかったです。こんな時間を、持ててよかったと……」

 エルセの声は震えていた。

 ユリの笑顔も辛そうだった。

「えぇ……私も楽しかった。……だけど、ごめんなさい。もう、ここには来ないで……」

 冷たくなった紅茶と、虚しいほど愛らしい焼き菓子。

 そして、どれほど辛くても決して折れない気丈な当代聖女。

 全てを置き去りにして、エルセはユリの居室から出た。

 込み上げる切なさを堪え、天井を見上げる。壮麗な装飾が今はひどく虚しい。

 ――ティリク先生に、早く会いたい……。

 心配性な彼のことだから、きっと今日もどこかで待ってくれている。

 そう考え、エルセはほんの少し笑った。

 笑うことが、できた。



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