第14話 なぜ、こんなことに
座り込んでいるエルセに、彼女は優しく笑って手を差し伸べた。
「こんなところを、あの侍女長に見つかったら大目玉よ」
一瞬戸惑ったが、エルセはおずおずとその手を取った。
「すみません。その、まだ入ったばかりで、迷ってしまって」
「大丈夫。私は告げ口したりしないわ。その代わり、少しでいいからお話しない?」
思いもよらない申し出に目を瞬かせているた、ユリはいたずらっぽく片目をつむった。
大人びて落ち着いた雰囲気が、途端にくだけたものに変わる。
「最近、王宮に閉じ籠もりきりだから、同じ平民の子と気取らず会話がしたいのよ」
「そそそんな、私は田舎の出身なので、もしユリ様にご無礼があれば申し訳ないです」
変装をしていても、もしかしたら正体を疑われるかもしれない。
エルセは目を合わせないようにしながら、彼女から離れようとする。
「あの、本当にすみませんでした。聞くつもりはなかったんです」
「じゃあ、お詫びと思って付き合ってよ。そうしたら許してあげるわ」
やや強引に腕を引きながら、未来の王妃殿下はにっこりと笑う。
弱腰のエルセには、断る術がなかった。
一時間以上が経ち、エルセは何とか無事にユリから解放された。
王宮を出たところでホッと息をつく。
色々なことが思うように進まない一日だった。一人で何でもできるようになるという目標を掲げているものの、まだまだ先は遠い。
ユリと、使用人として親しくなった。
エルシア・フォードとの繋がりには気付かれずに済んだが、これでよかったのかエルセには分からない。魔物の大発生についても話せなかったし。
――でも、楽しかったな……。
紅茶と焼き菓子をお供に、楽しく気ままに語り合う。
同世代の友人と呼べる者が前世から数えても少なかったため、何気ないひと時がとても新鮮だった。
喧嘩をしてもフロイシスのことはしっかり愛しているようで、ユリは無意識に惚気を口にしていた。
優しくて頼り甲斐があること。笑うと少し幼くなって可愛いこと。
前世での婚約者とはいえ複雑な感情は一切湧かず、むしろ聞いている内にティリクを思い浮かべてしまった自分が恥ずかしかった。
頼りたいと願うのも、笑顔に胸が疼くのも、彼に対してだけだ。
エルセはしばらく歩いたところで、不意に足を止めた。前方にできた人だかりの中心に、見覚えのある姿を見つけたからだ。
城壁の陰に素早く身を隠す。
そうして恐る恐る顔を出した先には、やはりティリクがいるではないか。
彼を取り囲んでいるのは、お洒落で自信に満ち溢れた女性達。
その目付きは可愛らしいのにどこかギラギラしており、明らかに彼を狙っている。
――こんなところで何を……?
城壁に背中を預けた俯きがちな横顔は、暇を持て余しているかのようだ。そう、まるで誰かを待っているような。
何だか色々腑に落ちた気がして、エルセは頬を引きつらせた。
――もう本当に何をしてるんですかティリク先生……。
あのような状況下でつまらなそうにできるって、ある意味すごい。
けれど、そんなティリクの態度が逆に彼女達に火を付けてしまったようだ。一人の女性が、大胆にも彼へと体を押し付ける。
「ねぇ、食事くらいはいいでしょ。お願い」
上目使いで、可愛らしさを最大限に活かした攻撃だ。見ているエルセの方がドキドキしてしまう。
それなのにティリクは眉一つ動かさなかった。というより、女性をチラとも見ない。
「悪いが、離れてくれないか」
彼の冷え切った対応を見て、以前ゾフに言われたことを思い出した。
腕はいいけれど、愛想がない。笑っているところを初めて見たほど。
言われた時は本気にしていなかった。
目の前の患者に向き合っているからこそ無愛想になるのだろうし、ティリクの優しさは表情ではなく態度に表れるものだからと。
仕事に関係なく遊びに来るのはゾフくらいだったし、時間外での彼がどんな態度かなんて、想像すらしたことがなかった。ゾフに冷たく当たるのは親しさゆえだろうし。
――もしかして、普段のティリク先生ってこんな感じだったの……?
エルセならとっくに心が折れているだろうに、女性は強靭な精神で食らいついている。
「そんなつれないこと言わないで。あなたになら、何されても許しちゃうわ」
「特に何かをしたいとも思わない」
「何でよ。特定の相手がいるの?」
「付き合っているわけではない。……ただ、人間に興味を持てない私だが、今は彼女のために生きていると言っても過言ではない」
「重っっ」
思わず突っ込んでしまう女性に、エルセも内心激しく同意した。間違いなく過言だ。
女性達は、どこか呆れた空気になった。
「付き合ってないのにその態度は、さすがに重すぎるんじゃない? 相手の子が引いちゃうと思うわよ」
「そうなのか? それはもしや、彼女の外出に同行させてもらえなかったことと関係するんだろうか?」
ティリクの表情が初めて動いた。
というのに、女性達は喜ぶ素振りも見せず真剣に考え込んでいる。
「あー、それは鬱陶しがられてるかも」
「そうかしら? これだけ顔がよければ、相手も案外まんざらでもないかもよ?」
「ていうか、こんな美形なのに付き合うところまで持っていけないとか、謎すぎない?」
「もっと積極的に攻めるか、逆に引いてみる手もあるわね」
なぜだか恋愛相談の様相を呈してきて、エルセは大いに焦った。
ティリクの言い回しが意味深すぎるせいですっかり誤解されているが、彼の待ち人はおそらくエルセだ。そして、それは絶対恋愛感情からではない。
――で、出づらい……!
盛り上がる輪に入っていく度胸が出ない。
どうすればいいか分からずオロオロしていると、ティリクとバッチリ目が合った。
しまった。このまま舞台の中心に引っぱり出されるわけにはいかない。
かくなる上は、女性陣に捕まらないほど迅速にこの場を離脱するのみ。
「ティ、ティリク先生こんなところにいたんですねさぁ行きましょう……!」
声を上擦らせながら早口でまくし立て、エルセはティリクの腕を取った。
そうしてずんずん進んでも彼は黙ってついてくるし、女性達が追ってくる気配もない。エルセは心から安堵する。
その背中を、女性達が生温い目で見守っていることには気付かず、必死にティリクを引っ張り続けた。
無言で進み続けたエルセは、街中に入ってようやく足を止めた。
振り返れば、ティリクはどことなく嬉しそうにしている。
可愛らしさに絆されてしまいそうだが、エルセはあえて恨みがましい表情を作った。
「……ティリクさん。実は王宮内にも来てましたよね?」
彼が待ち伏せしていたことで気付いた。
侍女長に咎められそうになった時と、フロイシスと遭遇しかけた時。どちらも偶然に助けられたと感謝していたが、それにしてはできすぎている。
よく思い出してみれば、侍女長を呼び止めた男性の声には聞き覚えがなかったか。フロイシスの気を逸らす物音も、人払いをされた空間ではあり得ないはずなのだ。
全て、彼の仕業だと考えれば辻褄が合う。
「目を離せないと、言ったはずだ」
ティリクは珍しく気まずげにしているが、否定も言い訳もしない。むしろ、遠回しな肯定はやけに潔かった。
「だからといって、私の努力を否定して心は痛まないんですか?」
結果的に彼の助けがなければ困った事態に陥っていただろうが、それはそれ。
一人で頑張るというエルセの決意を、ティリクは台無しにしたのだ。子どもじゃないのだからもう少し信用してほしい。
罪悪感はあるようで、彼は頭を下げた。
「すまなかった。……もしまた似たような状況になれば、何度でも同じことを繰り返す自信はあるが」
「そんなことに自信を持たないでください」
「何が起こるか分からないのに、離れていたくないんだ。それに、休暇に一人は寂しい」
どこにでも出かければいいという反論は、むず痒い気持ちのせいで出てこない。
彼の過保護が自分に向けられていると、はっきり分かったからだ。
過去の忘れられない誰かほどではなくても、ティリクは『エルセ』のこともきちんと見てくれている。大切にしてくれる。
何度頼っていいと言われても遠慮があったけれど、彼が態度で示してくれるから、本当の意味で実感できた気がした。いつだって一緒にいてくれるという言葉も。
――寄りかかっても、この人は私を嫌ったりしないんだ……。
じんわりと胸が温かい。それは、安心感で満たされているからだろう。
エルセは表情を綻ばせた。
「助けてくださって、ありがとうございました。……その、文句は言いましたけど、本当はすごく嬉しかったです」
本音を伝えると、ティリクは破顔する。
初めて見る鮮やかな笑みに、きっとこの先彼がどんなことを仕出かしても、最終的には許してしまうのだろうなと思った。
「では、次の休暇こそは二人で出かけよう」
「あ……それなんですが……」
同じくらいの笑みを返そうとしたところで、エルセは視線を落とした。
次の休暇は、もう予定が入ってしまった。
「その、なぜかユリさんと仲良くなりまして……また会う約束をしてきました」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます