第13話 王宮潜入
次の休日。エルセは宣言通り、自分にできることをするために動いていた。
場所は聖王宮。
うまく潜り込めるようにと、エルセは下働きの格好をしている。
変装道具はまたもティリクが揃えてくれたのだが、彼は入手経路について最後まで口を割らなかった。
違法な手段でないか不安だ。
使用人用の勝手口を知っていたし、彼に言われた通り買い出し帰りだと申告すれば守衛もあっさり通してくれたし。
地味な黒のドレスワンピースに、白いエプロン。目深にかぶったキャップと眼鏡で顔を隠しているためか、今のところ誰にも見咎められていない。
エルシア・フォードとして何度も通った場所なので、これにはホッとした。
――ユリさんは確かこの時間、自分の部屋にいるはず……。
聖女には、苦しむ人々に治癒を施すという役割がある。
エルシアは当然そうしていたし、本来ならユリも神殿にいる時間帯だ。
けれど、フロイシスが三年後に聖王位を継ぐと決定しているので、神殿に籠もりきりというわけにもいかないのだという。
礼儀作法や近隣諸国との関係性、王妃として知っておかねばならないことは山のようにある。これもティリクからの情報だ。
ちなみにユリが暮らしている部屋を調べてくれたのも彼で、エルセは一人で頑張りたいという目標が、親離れしたい子どもの我が儘のようで段々情けなく思えてきた。
万全の支援の下、結局手厚く守られているというか。
エルセはハッと目を見開き、素早く背後を振り返る。誰もいないようだ。
よかった。これでティリクに見守られでもしていたら、完全なる子ども扱いだった。
気を取り直し、ユリの居室へと向かう。
彼女は、フロイシスの部屋の近くを与えられているらしい。
――フロイシス様とだけは、絶対に会いたくないな……。
過去と向き合うことがエルセに課された命題なら、彼とも向き合わねばならないのだろうか。正直、すごく嫌だ。
モヤモヤ考え込んでいると、進行方向にある部屋から同じお仕着せに身を包む女性が出てきた。厳しい眼差しがエルセを捉える。
「あら。この時間帯、ユリ様のお部屋近くに来てはいけないと通達があったはずよ?」
「えっ! す、すみませ……」
慌てて頭を下げるも、少し遅い。
女性は訝しげに眉をひそめた。
「あなた、見ない顔ね。新人?」
「その、えっと……」
このままではまずい。
エルセの全身から冷や汗が噴き出す。
「――侍女長。確認したいことがあると、騎士団長閣下がお呼びです」
その窮地を救ってくれたのは、生真面目そうな男性の声だった。
侍女長と呼ばれた女性が顔をしかめる。
「全く、またですか。人を呼び付けてばかりで、あの方は私の仕事をなんだと……」
彼女は露骨に腹を立てながら、それでもエルセへの叱責を忘れない。
「とりあえずお説教はあとにしましょう。あなた、今すぐこの場を離れなさい」
「は、はい!」
「そして仕事が終わり次第、必ず私の部屋に来るように」
「はい!」
侍女長が足早に離れていくと、エルセは脱力しその場に座り込んだ。
「た、助かった……」
危ないところだった。
もし不審者として捕らえられれば、目も当てられない事態に発展していたことだろう。
だが、ユリの部屋に近付かないようにというのは、一体どういうことなのか。
誰ともすれ違わないのもそのためだったのだろうが、人払いの理由が分からない。
「秘密の特訓、とか……?」
王妃教育にそんな項目があっただろうか。エルシア時代、最低限の淑女教育しか受けなかったエルセには分からない。
ゆっくり立ち上がったところで、かすかな人の声を捉えた。男性の怒鳴り声のような。
声が聞こえる方向に近付いてみる。
先ほど、侍女長という女性が出てきた部屋だった。
「――なぜ講義を拒否するのだ、ユリ!」
扉はきっちりと閉じられているのに、その怒声は明瞭に聞き取れた。
最も会いたくないと思っていた、フロイシスのものだ。
「聖女の役割を抑えているのだから、この程度は簡単に覚えられるはずだ! そなたが拒みさえしなければな!」
「私は、その聖女の役割を中途半端にしたくないと言っているのよ! どうして分かってくれないの!?」
口論の相手はユリらしい。
あれだけ仲のよかった二人が言い争うなんて、エルセには考えられなかった。
もしかしたら、このために人払いされていたのかもしれない。それはつまり、彼らはたびたび衝突しているということだ。
「昼の間は全力で人を助ける! 日が落ちたら帰ってきて、王妃教育はそれからはじめればいいじゃない! 私は聖女、人を癒やすのが使命なのよ!」
「無理をしたがるから心配なのだろう! 睡眠時間を削っていては、いずれ倒れるぞ!」
「もっともっと頑張らなくちゃいけないのよ! ――エルシア様に劣らないように!」
突然飛び出した名前に、顔が強ばる。
五年も前に死んだエルシア・フォードの名が、なぜここで出てくるのか。
「どれだけ努力しても追い付けないんだから、そりゃ必死にだってなるわよ! エルシア様を蹴落としてなった聖女という地位が、いかに重いか……!」
ユリの悲痛な叫びが、エルセの胸を直接突き刺す。彼女の声は湿っていた。
想い合う相手と晴れて婚約し、幸せな日々を送っていると思っていた。
だって、エルシアを蹴落としたといっても、彼女自身が何か汚い手段を使ったわけではない。あくまで正々堂々と、自分の力で勝ち取ったのだ。
泣きじゃくるユリに、フロイシスが苛立たしげに反論する。
「エルシアのことなど早く忘れろと、いつも言っているだろう! 真の聖女だのという、くだらん風潮に騙されるな!」
「無理よ! だって……偽の聖女だと言われ続けて、亡くなってしまったのよ! 誰からも信じてもらえず……きっと、辛くて堪らなかったはずよ……!」
「あれは、不慮の事故だ! そなたが気に病む必要などない!」
フロイシスの言葉に、泣き声がピタリとやんだ。どこか不穏な沈黙だ。
「あれは……本当にただの事故だったの?」
ユリの空虚な声が、寒々しく響く。
彼らがいる室内だけでなく、エルセの周囲までも凍り付いた気がした。
エルシア・フォードの死の真相を調べよ。
ウォルザークの声が耳の奥で甦る。
そういえばエルセは、それを調べるために人間界へと来たのだ。
「エルシア様の事故に、本当に不審な点はなかったの? あの時期に突然亡くなるなんて、むしろ不自然なのに。もしかしたら、誰かが事故に偽装して……」
「やめろ、ユリ」
フロイシスの制止にも彼女は止まらない。
「ねぇ、もしあれが作為的なものだとしたら、誰の仕業だと思う? エルシア様が死んで都合のよかった人は誰? ――誰があの方を殺したの?」
「やめろ!!」
大音声が、性急にユリを遮った。
張り詰めた沈黙が室内を満たす。
「そなたは……疲れているのだ。今日は教師を下がらせるから、もう休んだ方がいい」
足音が扉の方へと近付いてきて、エルセはようやく我に返った。
どこかに隠れなければ見つかってしまう。
物音を立てないよう細心の注意を払いつつ、けれどエルセにしては最大限機敏に動いて、隣の部屋に飛び込んだ。
間に合ったかどうかという際どいすれ違い。エルセは恐怖に息を詰めた。
その時、遠くで何かが落ちる音がした。
「……何だ? 人払いはしてあるはずだが」
フロイシスは呟くと、確認のためか音がした方へ歩いていく。
足音が徐々に遠ざかって、エルセは肩の力を抜いた。
バクバクと鳴る心臓を無理やり押さえ付けながら、これは何に対する動揺なのかと自問する。ユリの言葉が頭から離れなかった。
よく考えれば、グレンダはなぜあそこまで悔いていたのだろう。五年も前に死んだ者のために号泣するだろうか。アリオはあんなに平然としていたのに。
動揺といえば、フロイシスも相当だった。
エルシアにどんな情も抱いていなかっただろうに、今さら何に狼狽える必要があった?
――ユリさんが、的を射ていたから? いいえ、そんなはずは……。
今さら手が震えてきた。
じんわりと汗がにじむ手の平を、ゆっくりと握り締める。
エルセは溜めていた息を吐き出しながら、顔を上向かせた。
ゴチン。
後頭部が扉に当たってしまったのは、完全なる油断としか言いようがない。
エルセは一気に顔色を失った。
「……誰か、いるの?」
隣の部屋から誰何が飛んでくる。考えずとも、声の主が誰であるのか分かった。
エルセの頭の中を、一瞬で様々な葛藤が交錯する。
今日ここに来たのは、近い内に起こる魔物の大発生を彼女に知らせるため。
けれど、ただ話したとして信じてもらえる可能性は低い。だからエルセは、いざとなれば前世がエルシアであったことを話していいと思っていた。
ユリにならば、打ち明けてもいいと。
それなのに今は躊躇わざるを得ない。
フロイシスとの口論の内容が内容のため、とてもではないがバラしにくい状況だった。
迷った末、エルセはゆっくり口を動かす。
「す、すみません。わた、私は……エルセと申します」
扉が外側から開いていく。
記憶にあるよりも大人びた女性が、そこには立っていた。
漆黒の黒髪は、真っ直ぐで絹糸のよう。黒い瞳は泣いた名残りか、より一層艷やかに潤んで神秘的だ。
小造りの顔と折れそうに細い首、頼りないほど華奢な肩。
いかにも守ってあげたくなるような容姿なのに、彼女が誰にも屈しない心の持ち主だと知っている。
なのに今はひどく辛そうで、まるで花が萎れてしまっているかのようだ。
ユリ・イイヅカ。エルシア・フォードの跡を継いだ、当代の聖女。
身長はほとんど変わっていないけれど、彼女はすっかり大人の雰囲気をまとうようになっていた。
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