第Ⅲ章 狂愛

第37話 追憶

「レティーシャ」


夢の中で私はレティーシャと呼ばれていた。


黒い髪に赤い目をした美しい男性が愛しそうに私を見る。


彼の美しさには妖しさがあり、何というか人ならざる者のような雰囲気がある。


彼を見て愛しいと感じているのはレティーシャなのか、私なのか分からない。


彼は誰なのだろう。


そして、レティーシャと呼ばれている彼女と私にはいったいどんな繋がりがあるの?


スカーレット・ブラッティーネになる前の私なのか、それともオルガの心臓が見せている記憶なのか分からない。


ただ、ただ、愛しくて悲しい。


彼とレティーシャが初めて出会ったのは森の中だった。


彼は怪我を負って動けないようだった。


「大丈夫?」


「失せろ」


低くなるような彼はまるで手負いの獣。どんなに美しい姿をしていても自分を傷つける相手だと分かれば近づこうとは思わない。


けれど、レティーシャは愚かなのか、果敢なのか、無鉄砲なのか分からないが彼に近づいた。


「怪我してるじゃない。手当てをさせて」


「この程度、問題ない」


「何を言っているの?かなりの出血量よ。このまま放置していたら死ぬわよ」


「はっ。貴様らのような軟弱な下等生物と一緒にするな」


そう吐き捨てる彼の目には明らかにレティーシャを見下している。彼女個人というよりは人間全体と捉えた方が良いかもしれない。


自分だって同じ人間だろうに。


「いい加減にしなさいっ!怪我人は黙って私の言うことに従いなさい」


レティーシャはかなり強引で頑固な女の子だった。言い出したら聞かないし、気も強い。そんな彼女に彼は歯向かうことを止めた。そして一緒に過ごすうちに彼女の明るさに彼は次第に惹かれていった。


愛し、愛される。そんな関係だったのだろう。誰が見てもラブラブだった。他人が入る隙なんてどこにもない程に。




◇◇◇




場面が変わった。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!」


彼が叫んでいる。


腕に抱いているのはレティーシャ。


彼女は死んだ。殺されたのだ。


「なぜだ、なぜだ、なぜだ、なぜだ、なぜだ、なぜだ、なぜだ、なぜだ、なぜだ、なぜだ、なぜだ、なぜだあぁっ!」


男はレティーシャの亡骸を掻き抱く。叫び過ぎて喉が切れたのか、彼は吐血していた。


「どうして彼女を殺した、神王」


‥‥‥神王?


彼の前に眩い光を放つ人間が現れた。比喩ではない。文字通り、輝いているのだ。


大人の色気を持った男だった。


彼がレティーシャを殺したのだろう。


「お前のせいだろう。全ては禁忌を犯したお前のせいだ」


神王は淡々とした声で言う。


「お前とて言っていたではないか。人間なんて取るに足らない存在だと」


「ああ、言った。思ってもいた。俺自身が人と関わったことがないからだ。今は違う。いろんな人と関わった。愚かな人間だけではないことを知った。何も知らずに上から見下ろして評価することこそが愚かなことだ」


「くだらない」


神王は彼の言葉を失笑した。


「人とは学ぶことを知らぬ愚かな生き物だ。くだらない争いばかりを繰り返す。平和を望み、やっとの思いで築き上げた平和すらせいぜいもって百年。自ら平和を壊し、争いを始めながら争いが続く世に絶望し、怒り、そして平和を望む。不毛だな。彼らの存在に価値があるのか?」


神王とやらの言うことは最もだ。


間違ってはいない。けれど冷徹なほど正しすぎるのだ。その正しさこそ、どれだけの価値があるのだろう。


「それを決めるのは俺たちの役目じゃないだろ。そんな人間ばかりじゃない。少なくともレティーシャはそうだった。俺はそんな彼女だから愛したんだ」


「錯覚だ。人と関わり、人のように振る舞い、暮らしたことによる弊害だ。何れ忘れる」


神王の目には何も映っていないのだ。目の前にいる知人であるはずの彼の姿すらも。


「そんなことはないっ!この気持ちは錯覚なんかじゃない。俺は彼女を愛しているんだ」


「そうか。ならばその記憶を持ち、永遠に人としての生を繰り返せ。それが貴様に与える罰だ。しかし、彼女がお前を思い出すことはないだろう。お前だけが覚えているのだ。何も覚えていないその人間がお前の手を取るとは限らない。人の生を受ける度にお前は見るのだ。お前以外の男と縁を結ぶその娘を。何も知らずにその女だけが幸せを掴む。お前はそれでも永遠に彼女を愛し続けることができるのか。試してみよ。錯覚ではないと言うのなら証明してみよ」


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