葬送章第9節「決して綴られざる顛末」

 はるか昔から、人間は生活するこの世とは別に死者や神々の住まうあの世があると考えてきた。いくら追い求めようと決して辿り着けない最果ての地。それらは、地平線や水平線の先、あるいは空の上、海の中にあると。

 本来、その境界線は魂しか越えることができない。あの世へは死ぬことでしか行けないことと同じように。そうした一線を越えることを、人々は転生と呼んだ。だが、ルミナはその一線を土足で踏み越えてきた。彼女がもといた世界から魔界へ。さらに魔界に沈没した町アトランティスへ。

 レミューリア神話では魔界には天国と地獄があると言い伝えられているが、彼女が立っている場所は果たして天国か地獄、どちらだろうか。

 永劫の時を魔界で彷徨い続けてきたルミナは、歩みを止めて水平線を見つめていた。周囲には砂以外に何一つ存在せず、ただの孤独であり続ける。唯一見えるのは、水平線へと沈んでいく黒い太陽だ。魔界では常に燦々と輝き、アトランティスから夜を奪い去った元凶。

 それがついに、沈む。

「……こっちの方が楽しいし、元の世界に未練なんてないけれど……正直どうなっているかは気になるのよね」

 ルミナは砂浜に引きずってきた魔剣ライフダストを見やった。

 そもそも、彼女は魔界の調査隊として派遣されてきた。それから魔界で様々なものに魅入られ、神の子、そして生命を司る魔剣を見つけた。彼女には弟がいたが、とりわけ元の世界に思い入れがあったわけではない。むしろ、魔界でのひと時は彼女の危うい野性を暴くほど刺激的で、元の世界では味わえない快楽を得ることさえできた。が、こうして転生するチャンスを握ると考えずにはいられなかった。

 その時、彼女の足元まで波が押し寄せ、透明な水面が魔剣の光を反射する。黒い太陽が沈んだ今、世界は光を失った。では何が魔剣を光らせたのか。

 彼女がふと見上げると、黒い太陽が沈んだばかりの水平線が目に入る。水平線は未だ光を帯びていて、それはなおも魔剣に光を与えていた。そして、水面は魔剣の光を反射する。

「…………」

 ふと思い立ったルミナは砂浜に魔剣を突き立てる。光のない世界で、海に反射する魔剣の光。地平線を切り裂き天国を作ることができる剣の閃きであれば、水平線を切り裂き元いた世界に戻ることもできるはず。

 彼女は握り込んだ魔剣ライフダストの柄を──鍵を回す要領で──徐々にひねっていく。反射した光は砂浜から海へ、海を切り裂いて水平線へ、さらに水平線から空へと結んでいく。

 すると、水平線は縦に引き裂かれ、昏い空は真っ二つに切り離された。かつて、魔剣ライフダストが天国を切り拓いたように。

 綺麗に引かれた空の裂け目からは、彼女が長い間忘れていた光が降り注いだ。魔界の昏い空ですっかり燻んでいた瞳には眩し過ぎるほど。

 地獄の荒野を覆う天蓋を開くは、美しい夜空に輝く星々の光。それらは空を覆っていた暗闇を晴らし、遥かな青を取り戻していく。

「こうして夜を迎えるなんて、久しぶりね」

 ────ゆっくりと落ちてくる星空を眺めて、ルミナは眠りについた。やがて、朝が迎えに来ることも知らずに。

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