葬送章第8節「決して綴られざる顛末」

 アトランティスは文字通りに破壊された。ジェンキンスが思い描いた最悪の筋書きとは少し異なる形で。

 町を破滅へと導いたのは、神の子たるラスヴェートでもなければ、魔界の悪魔ことルミナでもない。彼が知る由もなかったラスヴェートの腹違いの妹イヴでもなかった。実際に手を下したのは、イヴの母親である超能力者セツナだ。彼女はジェンキンスと同じようにイヴやラスヴェートが神の子であることに気づき、ジェンキンスとは異なり彼らが死神になる前に始末をつけようと考えた。その結果、アトランティスはその大地ごと粉砕され、今も魔界の海を大地の破片となって漂っている。

 だが当然ながら、ジェンキンスはその事実を知り得ない。それでいて、彼の知見は大きく間違っているわけでもない。セツナとイヴの親子は誰にも誑かされていないが、ドロシーとラスヴェートの親子を誑かしたのは誰でもないルミナなのだから。

 あれから、ルミナは町に訪れる前と同じように魔界を彷徨っていた。決定的に違うのは、彼女の手には魔剣ライフダストが握られていること。

 レミューリア神話にて語られる魔剣ライフダストは、天国と地獄を切り拓いたとされる二振りの内の生命を司る剣。同時に魔界を出入りすることができる鍵でもあるのだ。であるならば、その剣を使うことで現世を切り拓き転生することもできるはず。錬金術師グランチェスター卿の孫娘の考察だが、ルミナも同じことを考えついていた。

 とはいえ、ルミナがいる場所は天国というより地獄の様相を呈している。町の残骸から一歩外へ踏み出せば、底知れぬ奈落が広がっている────先ほどまではそうだったが、魔界の奥まで漂流したせいか奈落には深い雲がかかっていた。さながら、山頂から眺望できる雲海のようにすら見える。が、空模様は赤く濁っていて尋常ならざる光を発していた。

 町の残骸を渡り歩いていたルミナだが、彼女にとっては退屈な散歩だった。なぜなら、アトランティスという町に何の思い入れもないからだ。しかしそんな彼女でも面影の見て取れる場所があった。

 大部分が無惨に削り取られた壁面、一面には割れたステンドグラスが残されている。それ自体では建造物の断面が不恰好に残っている状態だが、ルミナはそれが教会であったことを連想することができた。

「………………」

 その時、チャラチャラチャラ────という鎖の音が響く。音のする頭上を見上げると、昏い雲間を割いて降ってきたのは巨大な鎖だった。降ってきた鎖の先端にはアンカーらしきものがついていて、それが地面に接触すると地中深くへめり込んでいく。硬い地盤ではなく水面に落としたように。

 やがて、地中深くへ落ちた鎖は動きを止める。それからすぐに、鎖はゆっくりと持ち上がり始めた。魔界の瘴気が溢れ出す地中から、何かを引き揚げるために。

 一連の様子を見守っていると、鎖が引き揚げたのは棺だ。それを見てようやく、ルミナは教会の裏に墓地があったことを思い出した。しかし、いったい誰が入った棺なのだろうか。

 ルミナはラスヴェートのために多くの洗煉師せんれんしを贄に捧げるようドロシーに仕向けたが、その中の誰かだろうか。答えはすぐに分かった。

 天からの鎖に引き揚げられた棺は空中で開け放たれ、中からある人物を落とした。彼は腕を胸の前で交差させて眠っていたが、地面へ落ちると両足で着地する。ゆっくりと顔をあげ、闇に染まった眼窩はルミナを捉えようと蠢く。虚ろを湛えた口は何を語ることもなく、ただ息を吹き返す。

「あら、ごきげんよう神父さん。思ったより元気そうじゃない」

 ひび割れた肉体はもはや生者の息吹を感じさせないが、彼は間違いなく教会の神父であり枢機卿だったアルセーヌ・ジェンキンスだ。

 変わり果てた彼の口から何か言葉が発されることはない。ただ、ふらっとよろめきながら歩き出す。すると、ひび割れた肉体の奥が赤熱の光を漏らす。その光が燃えたぎる復讐心だということに気づき、ルミナは哀れむ表情を浮かべて見せた。

「再会できた喜びのあまり言葉も出ないかしら?」

 言葉に返事はなく。代わりにジェンキンスの頭上に残されていた棺に変化があった。鎖に引き揚げられた棺は液状化すると、ドーム状に膨張し地面のジェンキンスをも包み込む。シャボン玉の如く膨らんだ空間の中に囚われ、彼は重力に見放され苦悶の声をあげる。そのまま肉体をのけぞらせると、亀裂の走る背中から二本の杭が突き出された。背中を突き破ったそれは滑らかに形を変え、複雑に枝分かれしていく。乱れた頭髪には蛇の頭が混じり始め、彼は変貌を受け入れるようにして再び胸の前で腕を交差させている。そうして、彼は膨張した空間に浮かぶ魔力の全てを吸収し、悪魔としての姿を顕現させた。

 ひび割れた肉体の奥には復讐心を滾らせ、背中には枝分かれした木のような翼を携える。無骨な翼には棺から溢れ出た魔力を蓄え始め、孔雀の羽根の如く扇状に広がった。その姿は神々しくも禍々しい堕落した神のようだった。

「アッハハハハハ……!」

 魔界へと降臨したジェンキンスの変貌した姿を見てなお、ルミナは笑いを抑えようとはしなかった。彼の姿は彼女の好奇心をくすぐるに値するものだったから。

「……大層ご立派な翼ね。二度と飛び立てないよう毟り取ってあげるわ」

 言いながら、ルミナは右手に握っていた魔剣ライフダストを左手に持ち替えて前に掲げる。それから右手を魔剣の刃に添えて、何かを引き抜くように動かす。同時に、右手と刃の接触点から激しい火花が迸り、彼女の右手には一対の刃を持つ双魔刀そうまとうが握られた。

 そして二刀流の内、ルミナが敵に向けたのは左手の魔剣ライフダスト。今の彼女は愛刀よりもそちらに関心を向けているらしい。

「これの試し切りもまだだったし、少しは楽しませてちょうだい」

 堕天使の如きジェンキンスと対峙するルミナ。ジェンキンスには復讐という強い動機があるが、ルミナには彼に対する執着がない。言わば、取るに足らない存在だった。だが、先に動いたのは意外にもルミナの方だった。

 空間を歪ませるほどの魔力を纏うジェンキンスだが、ルミナはものともせずに斬りかかる。応じるジェンキンスは胸の前に組んでいた両腕を剣に変化させた。

 魔剣ライフダストと双魔刀。二つ──いや、三つの刃を両腕で受け止めたジェンキンスは、すぐさま距離を離す。魔剣ライフダストは生命を司り、双魔刀はその名の通り魔を切り裂く。使い手が誰であれ、悪魔と変わり果てたジェンキンスにとっては弱点となる。それを知ってか知らずか、ルミナは容赦なく距離を詰めてきた。

 ジェンキンスの右腕を双魔刀で弾き、振り下ろされた魔剣を左腕で受け止める。二刀流による手数の差はほとんど埋められているが、明らかに一方が追い詰められていた。

 弾かれる度に大きくよろめき、受け止める度に肉体の亀裂を広げていく。そうして絶え間ない猛攻を仕掛けるのはルミナ。彼女は普段の上品な振る舞いからは想像もつかない獰猛さを晒していた。

 ルミナの太刀筋はお世辞にも洗練されたものとは言えない。だがその豪快さと凶暴さは鍛錬で身につけられる代物でもなかった。

 容赦のない攻撃に押され気味なジェンキンスは、その中に隙を見つけては鋭い突きを放つ。魔界から禍々しい力を授かった彼の攻撃もまた過負荷なもので、いくらルミナでも容易く捌くとはできない。剣となった両腕による連撃を凌ぎ、鍔迫り合いに持ち込んだ彼女は歯を食いしばっていた。しかし、その表情に苦悶の色はなく、恍惚とした笑みだけがあった。

「ふふっ、あなたは私に死ぬ覚悟をさせてくれる?」

 言い終わるや否や攻勢へ転じたルミナは、彼の右腕を双魔刀で挟み込んで地面に縫い付ける。二本の刃の間に挟まれた右腕は動きを封じられ、同じく剣状になった左腕で暴れる。が、ルミナは地面に縫い止めた双魔刀の柄から手を離し、両手で魔剣ライフダストを握ると彼の左腕を勢いよく弾く。そして勢いと体重を乗せた一撃を、双魔刀で押さえた彼の右腕に振り下ろす。

 甲高い金属音と共に叩き切られた右腕は砕け散り、ジェンキンスは大きく退いた。彼の様子を見ていたルミナは、小さくため息を吐く。

「……まさかこれで終わりなんて言わないでしょうね? あっけないのは嫌いなの。みたいに私をガッカリさせないでちょうだい」

 彼女の言葉を理解できるほどの理性は、彼に残っていただろうか。ともかく、右腕を粉砕されたジェンキンスはすぐにそれを再生させて咆哮をあげる。これまで畳んでいた孔雀のような翼を広げ、その神々しさを燦然と輝かせた。翼が織り成す紋様は魔法陣に似た複雑な規則性を持っている。そんな翼に蓄えられていた光は、昏い空に満ちる雲を裂く勢いで打ち上げられた。

「悪くないわ」

 昏い空へ放たれた神々しい光は、ルミナ目掛けて降り注ぐ。光の雨を見てせせら笑う彼女は、晒される直前になってから腰を落として体を翻す。同時に剣と刀を用いて周囲の空間を円形に切り取り、降ってきた光の雨を蒸発させた。

 しかし、ジェンキンスの攻撃もこれだけで終わらない。彼は両腕に加えて両足をも剣の形状へと変化させ、回転しながらルミナへ襲いかかる。残像を閃かせた凄まじい速度で迫り来る大車輪に、ルミナは迷わず魔剣ライフダストと双魔刀を交差させる形で当てがった。

 ギギギ、と耐えきれないほどの負荷が刀身と腕にかかり、数メートルほど押しのけられる。今は力が拮抗した状態となり、四肢を剣にした回転攻撃を剣と刀で受け続けている。とはいえ、ルミナとてこのままでは切り刻まれてしまうだろう。そんな窮地にあるに関わらず、ルミナは笑みを崩すことはなかった。

 彼女は剣となった四肢を受け止めていた二振りの内、魔剣ライフダストをどけた。双魔刀一本で攻撃を受け止め続けられるのは、ほんの短い間。今にも弾かれそうになりながらも、ルミナが魔剣をどかしたのには狙いがあった。回転する彼の真横。回転軸の中心に釘を差し込んで阻害することと同じように、ルミナは魔剣を横から差し込んだ。

 すると轟音と共に魔剣は真上に弾きあげられ、回転が乱れる。その隙を見逃さなかったルミナは、双魔刀を握る力を強めて押し返す。回転による勢いを失い体勢を崩したジェンキンスは、ルミナの前で膝をつく。

「見苦しくってよ、

 彼女はそれを涼しげに見下ろしながらも、不意に双魔刀を空に掲げる。先刻、真上に打ち上げられていた魔剣ライフダスト。それに合わせて、落下してきた魔剣の柄部分に双魔刀の刃を器用に通し大振りに振り回す。まるで鎌のように扱われた魔剣は、ジェンキンスの背中にある神々しい翼をスッパリと斬り落とした。

 翼を失いもがき苦しむジェンキンスから目を逸らし、ルミナは大袈裟な口調で言う。

「あぁ、あの時私になんて言ったかしら。そう、地獄に堕ちろ」

 彼女が神の子に手を下させようとした時、ジェンキンスはそう罵倒した。実際のところ、ルミナは既にその通りの状態になっていたことに、彼は気づいていただろうか。彼女が初めて魔界に踏み入れた時から、逃れようのない事実。

「私はとっくに地獄に堕ちてるのよ」

 そして今、ジェンキンスは一度ならず二度までも命を奪われようとしている。これ以上ない過酷なことだが、ルミナが考えるようにはならない。あるいは、彼女の考える以上の結末になり得るだろう。その証拠に、彼のひび割れた肉体は灰となって崩れ始めていた。

「けど……あなたには私が招待状を送るまでもなかったみたいね」

 復讐に取り憑かれた悪魔に変わり果て、ついには魔界の塵へと還る。彼が復讐を果たしているかいないかに関わらず、全ては淘汰されていく。

 またしても一人残されたルミナは、魔剣ライフダストを拾いあげて見果てぬ地平線へと向かう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る